目次
- 思考力は本当に必要なのか?論理より大切な「自分を知る力」
- 創作が読まれない理由と、読者に届く作品づくりの考え方
- 就活で見える家庭環境の差と、お金が選択肢に与える影響
- すぐ信者になってしまう心理と、影響を受けることの意味
- 嫌な情報を見てしまう理由と、人間の好奇心の扱い方
思考力は本当に必要なのか?論理より大切な「自分を知る力」
- ✅ 論理的思考力は、人生を劇的に変える万能の力というより、物事を整理するための便利な道具です。
- ✅ 誰が考えても同じ結論にたどり着く場面では、論理力だけでは独自性が生まれにくいといえます。
- ✅ 思考力が本当に役立つのは、自分の偏りや非合理な行動を見つめ直すときです。
論理的思考力は「大事」よりも「便利」に近い
論理的思考力は、現代社会でよく重視される能力のひとつです。学校でも仕事でも、「筋道を立てて考える力」「言語化する力」「問題を分解する力」が大切だと言われます。たしかに、論理的に考えられる人は、複雑な問題を整理しやすくなります。受験勉強や資格試験、ビジネス上の判断などでは、かなり役に立つ場面もあります。
とはいえ、ここで意識しておきたいのは、論理的思考力を必要以上に持ち上げすぎないことです。わかりやすく言えば、論理力は人生を一気に成功へ導く魔法の力ではありません。むしろ、物事を素早く整理したり、誰でもいつか到達できる結論に少し早くたどり着いたりするための「便利な道具」に近いものです。
たとえば、数学の問題を解くときには、論理的に考える力がはっきり役立ちます。公式をただ暗記するだけでなく、なぜその解き方になるのかまで理解できるようになると、初めて見る問題にも対応しやすくなります。これは、思考力が伸びたことで起きる大きな変化です。
ただ、社会に出たあとのあらゆる場面で、論理的思考力だけが決定的な武器になるわけではありません。人間関係、仕事の選び方、好き嫌い、価値観、将来への不安などは、きれいな論理だけでは整理しきれないことが多いからです。人はいつも合理的に動いているわけではなく、むしろ感情や直感、過去の体験に大きく左右されています。
論理だけでは独自性が生まれにくい
論理的な考え方には、ひとつ弱点があります。同じ前提から出発すれば、多くの人が似たような結論にたどり着きやすい、という点です。もちろん、早く正確に答えを出せることには価値があります。ただ、誰が考えても同じ答えになりやすいものは、その人だけの個性や魅力にはつながりにくい面もあります。
ここがポイントです。論理的な結論は、わかりやすく、説明しやすく、他人にも共有しやすいものです。一方で、人を強く惹きつける考え方や行動は、必ずしも論理的とは限りません。子どもの頃の体験、強い感情、なぜか気になってしまうもの、説明しきれない違和感。そうした非合理な部分から、その人らしさが生まれることもあります。
たとえば、ある人が特定の作品に強く惹かれる理由は、論理だけでは説明できない場合があります。なぜその場面に感動するのか、なぜそのキャラクターにこだわるのか、なぜあるテーマに何年も関心を持ち続けるのか。そうした部分には、本人の経験や感情の積み重ねが関係しています。
つまり、論理的思考は「正しさ」に近づくためには便利ですが、「その人らしさ」を生み出す力とは少し違います。独自性や魅力は、むしろ論理からはみ出した部分に宿ることがあります。だからこそ、論理だけを鍛えれば十分という考え方には、少し注意が必要です。
思考力は自分の偏りを見つけるために役立つ
では、思考力はどこで本当に役立つのでしょうか。大きな意味を持つのは、自分自身の偏りや非合理な行動を見つめ直す場面です。人は、自分では冷静に考えているつもりでも、実際にはかなり偏った判断をしていることがあります。
たとえば、なぜか苦手なタイプの人がいる。根拠は弱いのに、特定の意見に強く反発してしまう。どう考えても損なのに、同じ行動を繰り返してしまう。こうしたときに、「なぜ自分はそう感じるのか」と考える力が役立ちます。
この場合の思考力は、他人を論破するためのものではありません。自分の内側を観察するための道具です。外の世界を正しく分析するだけでなく、自分の心の動きを少し離れた場所から見るために使うもの、と言い換えられます。
具体的には、次のような問いを立てることができます。
- なぜ自分はこの意見に強く反応したのか
- 過去の経験が、今の判断に影響していないか
- 本当に嫌なのか、それとも怖いだけなのか
- 自分にとって都合のいい情報だけを選んでいないか
こうした問いを持てるようになると、自分の感情に振り回されるだけではなくなります。怒りや不安を消すことはできなくても、それがどこから来ているのかを考えられるようになります。ここに、思考力の大きな価値があります。
頭の良さは楽しさを増やすために使う
思考力があることで得られるものは、実用的な利益だけではありません。むしろ、自分の世界を少し面白くするためにこそ、思考力は役立ちます。目の前の出来事をただ受け取るだけでなく、「なぜそうなるのか」「自分はなぜそう感じたのか」と考えられると、日常の中に小さな発見が増えていきます。
たとえば、映画を見たときに「面白かった」「つまらなかった」で終わるのではなく、なぜそう感じたのかを考える。人間関係でモヤモヤしたときに、相手の問題だけでなく、自分の受け取り方も振り返る。こうした習慣があると、同じ経験から受け取れる情報量が増えていきます。
ただ、思考力を「他人より上に立つための能力」として使い始めると、少し窮屈になります。論理的に正しいことを言えても、人の気持ちを無視してしまえば、周囲との関係はうまくいきにくくなります。頭の良さは、誰かを負かすためよりも、自分がより楽しく、より自由に生きるために使ったほうが健全です。
思考力は、人生に絶対必要な特別な才能というより、自分の中にある不思議さを楽しむための道具です。人は合理的でありたいと思いながら、実際にはかなり感情的に動いています。そのズレを面白がれるようになると、考えること自体が少し楽しくなります。
論理と非合理のあいだに自分らしさがある
論理的思考力は、たしかに役に立ちます。勉強や仕事では、問題を整理し、早く答えに近づくための力になります。ただ、それだけで人生のすべてがうまくいくわけではありません。人間の魅力や独自性は、論理だけでは説明できない感情や体験、偏りの中にもあります。
大切なのは、論理を捨てることではなく、論理だけに頼りすぎないことです。自分が非合理に動いてしまう理由を考える。自分の偏りを観察する。なぜか惹かれるものや、なぜか怖いものに目を向ける。そうした使い方をしたとき、思考力はただの勉強道具ではなく、自分を知るための力になります。
思考力があることの良さは、正解を早く出せることだけではありません。自分の心のクセに気づき、世界の見え方を少し広げられることにあります。その意味で、思考力は「大事だから身につけるもの」というより、「あると人生の解像度が上がるもの」といえます。次のテーマでは、その思考力を創作や発信にどう活かすかという視点から、読まれる作品づくりの考え方を整理していきます。
創作が読まれない理由と、読者に届く作品づくりの考え方
- ✅ 創作を多くの人に届けたいなら、「自分が書きたいもの」と「読者が読みたいもの」のズレを意識する必要があります。
- ✅ オリジナル作品は、読者にとって入口が少ないため、作品そのものの魅力だけでなく、見つけてもらう工夫も重要です。
- ✅ 読者が求めるジャンルや形式の中に、自分の個性を少しずつ混ぜていく方法は、創作を続けるうえで現実的な戦略です。
読まれない悩みは、創作者にとって自然な壁になる
創作を続けている人にとって、「自分の作品をもっと読んでほしい」という気持ちはとても自然なものです。小説、漫画、イラスト、動画、ブログなど、形は違っても、何かを作って公開する以上、反応があるかどうかは大きな関心になります。反応が少ない状態が続くと、作品の価値そのものを疑ってしまうこともあります。
特に、二次創作やR-18作品では反応があったのに、オリジナル作品に移った途端に読まれなくなるケースは珍しくありません。これは、作品の質だけで説明できる話ではありません。二次創作には、すでに作品世界やキャラクターを知っている読者がいます。読者は入口に迷わず、「このキャラクターの別の物語を読みたい」「好きな世界観をもっと楽しみたい」という気持ちで作品に入れます。
一方で、オリジナル作品は最初のハードルが高くなります。読者にとっては、キャラクターも世界観も作者名も、まだ知らないものばかりです。つまり、読む前に「これは面白そうだ」と感じてもらうための材料が少ないのです。ここが、オリジナル創作の難しさです。
だからこそ、読まれないことをすぐに「自分には才能がない」と結びつける必要はありません。問題は、作品の魅力が足りない場合もあれば、読者に届く入口が足りない場合もあります。創作を続けるためには、この2つを分けて考えることが大切です。
自分が書きたいものだけで届く人は少ない
創作者は、自分が面白いと思うもの、自分が書きたいものを作品にしたくなります。それ自体は創作の出発点としてとても大切です。自分の興味や熱量がなければ、長く作品を作り続けることは難しいからです。
ただ、多くの人に見てもらいたい場合は、それだけでは届きにくいことがあります。わかりやすく言えば、「自分が書きたいもの」と「読者が見たいもの」が重なっていなければ、反応は広がりにくくなります。これは創作だけでなく、商売全般にも通じる考え方です。飲食店でも、動画投稿でも、商品づくりでも、提供する側のこだわりと、受け取る側の需要が重なる場所を探す必要があります。
もちろん、自分が作りたいものをそのまま出して、いきなり大きく支持される人もいます。そういう人は、本人の感覚と大勢の読者の感覚が偶然重なっている場合があります。しかし、それはかなり特別なケースです。多くの創作者は、自分のやりたいことを守りながら、読者が入りやすい形に調整していく必要があります。
ここで押さえておきたいのは、「読者に合わせること」は必ずしも敗北ではないという点です。読者の求めるものを考えることは、自分の個性を捨てることではありません。むしろ、自分の個性を届けるために、入口をわかりやすくする作業です。面白いアイデアがあっても、読者がそこまでたどり着けなければ、作品は読まれないままになってしまいます。
読者に届く作品には入口の魅力が必要になる
オリジナル作品が読まれにくい理由のひとつは、読者が作品を選ぶ瞬間に、判断材料が少ないことです。投稿サイトでは大量の作品が並んでいます。その中で、読者はタイトル、あらすじ、タグ、表紙、イラスト、ジャンル、作者名などを見て、読むかどうかを短時間で決めます。
つまり、作品本文がどれだけ面白くても、最初の入口で魅力が伝わらなければ、読まれる前に通り過ぎられてしまいます。特に小説の場合、イラストや表紙がないと視覚的な引きが弱くなることもあります。これは文章力とは別の問題です。作品の中身と同じくらい、読者がクリックしたくなる見せ方も重要になります。
読者に届く入口を作るためには、次のような点を整理する必要があります。
- どんな読者に読んでほしい作品なのか
- その読者は、どんなジャンルや設定を求めているのか
- タイトルやあらすじだけで魅力が伝わるか
- 作品独自の面白さが、最初の数行で見えるか
こうした工夫は、作品を軽くすることではありません。むしろ、読者に作品の魅力を正しく届けるための翻訳作業に近いものです。作者の中では面白さがはっきりしていても、初めて見る読者には伝わりにくいことがあります。そのズレを埋めることが、読まれる作品づくりの第一歩になります。
需要のある場所に自分の個性を混ぜていく
創作を多くの人に届けるための現実的な方法として、読者がすでに求めているジャンルや形式の中に、自分のオリジナル要素を混ぜていくやり方があります。これは、自分の創作をあきらめる方法ではありません。むしろ、自分の個性を読者に覚えてもらうための戦略です。
たとえば、二次創作や人気ジャンルには、すでに読者がいます。その中で作品を発表しながら、共通するモチーフ、独自のキャラクター解釈、文章のクセ、テーマ性などを少しずつ入れていくと、読者は「この作者の作品らしさ」を感じるようになります。最初はジャンル目当てで読んでいた人が、やがて作者そのものに関心を持つ可能性が出てきます。
これは、創作者が商業的な依頼や読者の期待に応えながら、自分のやりたいテーマを忍ばせていく方法にも近いものです。完全に自由な場所でいきなり個性を出すより、読者が集まっている場所で少しずつ自分の色を見せるほうが、届きやすいことがあります。
大切なのは、需要に寄せることと、自分を消すことを混同しないことです。読者が読みたいものを提供しながら、その中に自分だけの見方やこだわりを入れる。そうすると、作品はただの流行の模倣ではなくなります。読者にとって入りやすく、同時に作者らしさも感じられるものになります。
創作を続けるには、理想と現実を分けて考える
創作者にとって理想的なのは、自分が本当に書きたいものを書き、それが多くの人に読まれることです。しかし、現実には、その理想がすぐに成立するとは限りません。特にオリジナル作品では、読者に見つけてもらうまでに時間がかかります。反応が少ない期間が長くなることもあります。
だからこそ、創作では理想と現実を分けて考える必要があります。自分が本当に作りたい作品を育てることと、読者に届く形を研究することは、どちらも大切です。どちらか一方だけでは、続けるのが難しくなります。
作品を多くの人に届けたいなら、読者が何を求めているのかを見る必要があります。一方で、読者の反応だけを追いかけすぎると、自分が何を書きたかったのかわからなくなることもあります。創作の難しさは、このバランスにあります。
そのため、創作活動では次のような二重の視点を持つと考えやすくなります。ひとつは、自分の中にある「どうしても書きたいもの」を大切にする視点です。もうひとつは、読者がどこに興味を持ち、どのような入口から作品に入るのかを考える視点です。この2つが重なった場所に、作品が読まれる可能性が生まれます。
読まれる工夫は、創作の自由を広げる
作品が読まれないとき、必要なのは単純な努力論ではありません。ただ書き続ければ必ず読まれる、というほど創作の世界は甘くありません。一方で、反応が少ないからといって、作品に価値がないと決めつける必要もありません。
大切なのは、作品の魅力を高めることと、読者に届く入口を作ることを両方進めることです。オリジナル作品の面白さを磨く道もあります。読者の多いジャンルの中で、自分の個性を少しずつ覚えてもらう道もあります。どちらが正解というより、自分が続けやすい形を見つけることが重要です。
読まれるための工夫は、創作を不自由にするものではありません。むしろ、自分の作品を必要としている読者に届けるための技術です。書きたいものを守るためにも、読者が何を求めているのかを考える力が必要になります。
創作は、自己表現であると同時に、読者との関係の中で育っていくものです。自分だけの面白さをどう外に出すか。読者の期待とどう重ねるか。その試行錯誤こそが、創作を続けるうえでの大きなテーマになります。次のテーマでは、就職活動をめぐる価値観の違いから、家庭環境やお金が人生の選択肢にどう影響するのかを整理していきます。
就活で見える家庭環境の差と、お金が選択肢に与える影響
- ✅ 就職活動で「給料より充実感を重視する」という価値観は、家庭環境や経済的余裕によって受け止められ方が変わります。
- ✅ お金が少ない環境では、進学・留学・資格取得・仕事選びなど、人生の選択肢が狭まりやすくなります。
- ✅ 恵まれた環境にいた人ほど、自分では気づきにくい前提を理解し、相手の経験を尊重する姿勢が大切です。
就職活動では価値観の違いが表に出やすい
就職活動は、単に会社を選ぶだけの時間ではありません。仕事に何を求めるのか、人生で何を優先するのか、自分がどんな環境で生きてきたのかが、はっきり表に出やすい場面です。給料、安定、やりがい、成長、勤務地、福利厚生など、重視するポイントは人によって違います。
その中で、「給料には強くこだわらず、充実感を感じられる仕事に就きたい」という考え方は、ひとつの価値観として自然です。仕事は生活の大部分を占めるものなので、やりがいや納得感を重視したいと考える人は少なくありません。毎日続ける仕事だからこそ、精神的な満足感を大切にしたいという感覚も理解できます。
ただし、この価値観は、誰にとっても同じように受け止められるわけではありません。経済的な余裕が少ない家庭で育った人にとって、給料は単なる条件のひとつではなく、生活の安全や将来の選択肢に直結するものです。そのため、給料へのこだわりが薄い発言を聞いたときに、「それは余裕のある環境で育ったから言えることだ」と感じる場合があります。
ここで起きているのは、単なる意見の食い違いではありません。仕事選びの前提にある生活感覚の違いです。同じ就職活動をしていても、見えている景色が少し違うのです。
お金がないと選択肢は静かに狭まっていく
家庭環境と仕事選びの関係を考えるとき、重要なのは「お金がないと不幸になる」という単純な話ではありません。より具体的には、お金が少ない環境では、人生の選択肢が静かに狭まっていくということです。
たとえば、進学先を選ぶとき、学費や生活費の問題があります。留学したいと思っても、渡航費や滞在費が大きな壁になります。資格を取りたい場合も、受講料や教材費、勉強時間を確保するための生活費が必要になります。やりたいことがあっても、その前にお金を貯める期間が必要になることがあります。
こうした制約は、外から見るとわかりにくいものです。本人にとっては当たり前のように「これは無理」「これは後回し」と判断しているため、いちいち説明されることも少ないからです。しかし、その積み重ねによって、将来の選択肢は少しずつ変わっていきます。
お金が選択肢に与える影響は、次のような形で表れます。
- 進学先や学部を費用面から選ばざるを得ない
- 留学や長期インターンなどに挑戦しにくい
- 資格取得や学び直しに時間と費用をかけにくい
- 収入の低い仕事を選ぶことに不安を感じやすい
つまり、給料を重視する姿勢は、単なる欲深さではありません。将来の自由度を守るための現実的な判断でもあります。生活に余裕がない環境では、収入は安心を支える土台になります。その感覚を持つ人から見ると、「給料より充実感」という言葉は、リスクをあまり感じなくて済む立場からの発言に見えることがあります。
恵まれた環境では見えにくい前提がある
恵まれた家庭環境で育つこと自体は、悪いことではありません。むしろ、安定した環境で学び、安心して進路を考えられることは、とても大きな幸運です。ただ、その幸運は本人にとって日常になりやすいため、自分がどれほど多くの選択肢を持っていたのかに気づきにくい面があります。
幼い頃から私立に通い、教育や生活の面で大きな不安を感じずに育った場合、「やりたいことを選ぶ」「充実感を重視する」という考え方が自然に身につきやすくなります。将来に多少の不確実性があっても、家庭の支えや過去の経験によって、どこかで何とかなるという感覚を持ちやすいからです。
一方で、経済的に厳しい環境で育った人は、早い段階から「どうすれば損をしないか」「どの選択なら現実的か」「失敗したときに立て直せるか」を考える機会が増えます。これは苦労であると同時に、判断力や応用力を鍛える経験にもなります。生活の制約があるからこそ、現実的に考える力が身につくこともあります。
ここが少し難しいところです。恵まれた側が劣っているわけでも、苦労した側が必ず正しいわけでもありません。ただ、育ってきた環境によって、自然に鍛えられる感覚が違うということです。経済的な制約を経験した人は、限られた条件の中で考える力を育てやすい。一方で、恵まれた環境にいた人は、その制約が見えにくいまま大人になることがあります。
相手の指摘を責め言葉だけで受け取らない
友人から「それは裕福な家庭で育ったからだ」と言われると、責められたように感じることがあります。自分の努力や価値観を否定されたように思えるかもしれません。ただ、その言葉の奥には、相手自身の経験や痛みが含まれている可能性があります。
給料にこだわる人は、お金が好きだからそうしているとは限りません。家族への負担、奨学金、将来への不安、失敗できない感覚など、さまざまな背景があります。その人にとっては、給料を重視することが現実を生きるための知恵になっている場合があります。
そのため、こうした場面では、まず相手の前提を想像することが大切です。「なぜそんな言い方をするのか」と反発する前に、「自分には見えていない制約があったのかもしれない」と考えることで、会話の受け止め方は変わります。
もちろん、相手の言い方がきつかったり、決めつけに感じられたりすることもあります。その場合でも、すぐに勝ち負けの話にしないほうがよいでしょう。就職活動中は、誰もが不安定になりやすい時期です。友人の言葉も、冷静な分析というより、自分の不安や葛藤から出てきたものかもしれません。
世間知は少しずつ身につけていける
家庭環境による価値観の違いに気づくことは、社会に出る前の大切な学びになります。世の中には、自分と同じ前提で考えていない人がたくさんいます。お金への感覚、仕事への不安、将来設計、家族との関係。どれも、その人が生きてきた環境によって大きく変わります。
こうした違いを理解する力は、いわゆる「世間知」に近いものです。世間知とは、教科書的な知識ではなく、人がどんな事情で動き、どんな言葉に傷つき、どんな前提で判断しているのかを感じ取る力です。これは、最初から完璧に身についている必要はありません。むしろ、違和感のある会話や小さな失敗を通じて、少しずつ学んでいくものです。
恵まれた環境で育った人ができることは、自分の幸運を否定することではありません。大切なのは、その幸運が自分の価値観に影響している可能性を認めることです。そして、異なる環境で育った人の言葉を、単なる攻撃としてではなく、別の現実を知るきっかけとして受け取ることです。
友人に対しては、「自分は苦労していなかったから、その感覚がわかっていなかった」と伝えるだけでも、関係は少しやわらかくなります。相手の苦労を過剰に持ち上げる必要はありませんが、自分には見えていなかった視点を認めることは、対話の入口になります。
環境の違いを理解することが人間関係を広げる
就職活動で起きる価値観の衝突は、社会に出たあとにも何度も起こります。給料を重視する人、やりがいを重視する人、安定を求める人、挑戦を選ぶ人。それぞれの判断の裏には、家庭環境や過去の経験、将来への不安があります。
大切なのは、どちらの価値観が正しいかをすぐに決めないことです。給料より充実感を重視する考え方にも意味があります。一方で、給料を重視する考え方にも、現実を生きるための切実さがあります。その違いを理解できるようになると、人間関係の見え方は少し変わります。
お金は、人生のすべてではありません。しかし、お金が選択肢を広げたり狭めたりする力を持っているのも事実です。その感覚を知ることは、就職活動だけでなく、これから多様な人と関わるうえでも役立ちます。
家庭環境の違いは、ときに会話のすれ違いを生みます。ただ、そのすれ違いは、自分の前提を見直す機会にもなります。相手の背景を想像し、自分の幸運にも気づけるようになることは、社会で生きるうえで大きな力になります。次のテーマでは、誰かに強く影響を受けてしまう心理を通じて、人との距離感や学び方について整理していきます。
すぐ信者になってしまう心理と、影響を受けることの意味
- ✅ 誰かに強く影響を受けることは、必ずしも悪いことではありません。深く学ぶためには、一度かなり近い距離まで入り込む時期もあります。
- ✅ ただし、信者のようにハマったあとは、反発や検証を経て、自分にとって適切な距離を見つけることが大切です。
- ✅ 人から受けた影響は、ひとつに染まりきるのではなく、自分の中の「考え方の棚」に並べていくことで財産になります。
誰かにかぶれることは、若い時期には自然なこと
好きな思想家、作家、配信者、先生、スポーツ選手などに強く惹かれ、その人の考え方をすべて正しいように感じてしまうことがあります。自分では「信者になってしまっている」と不安になるかもしれませんが、誰かに深く影響を受けること自体は、とても自然なことです。
特に10代や20代の時期は、価値観が大きく形づくられる時期です。新しい考え方に出会ったとき、強い衝撃を受けるのは珍しいことではありません。むしろ、誰にも影響されず、何にもハマらずに過ごすほうが、学びの入口を失っている場合もあります。
わかりやすく言うと、人は一度かなり近い距離まで入り込まないと、物事を本当の意味で理解しにくいところがあります。少し離れた場所から冷静に眺めているだけでは、その人の考え方の熱量や、なぜ多くの人が惹かれるのかまでは見えてきません。だから、一時的に「この人はすごい」「全部正しいかもしれない」と感じる時期があっても、それだけで危険とはいえません。
問題は、ハマることそのものではなく、そこから戻ってこられなくなることです。誰かの考えをすべて正解として受け取り続けると、自分で考える余地が狭くなります。大切なのは、影響を受けながらも、最終的には自分の距離を取り戻すことです。
学びには「ハイハイ期」「イヤイヤ期」「着陸」がある
人が誰かから強く学ぶ過程は、いくつかの段階に分けて考えることができます。最初に訪れるのは、相手の言葉を何でも受け入れたくなる時期です。これは、相手に近づきたい、もっと理解したいという気持ちから生まれます。
この段階では、「この人の言うことは全部正しい」と感じやすくなります。考え方、言葉づかい、価値判断、好きなものまで真似したくなることがあります。外から見ると危うく見える場合もありますが、学びの初期段階としては自然です。まずは相手の世界に深く入ってみることで、その人の考え方の構造が見えてくるからです。
次に起こりやすいのが、強い反発の時期です。近づきすぎた相手に対して、「やっぱり違う」「この人は間違っている」と感じるようになります。以前はすべて正しいと思っていたからこそ、少しの矛盾や違和感が大きく見えるのです。
この流れは、次のように整理できます。
- 最初は相手に近づきたくなり、考え方を全面的に受け入れる
- 次に近づきすぎた反動で、強く反発したくなる
- 最後に適度な距離を取り、その人の良さと限界を同時に見られるようになる
最後の段階が、いわば「着陸」です。相手を神のように見るわけでもなく、全否定するわけでもない状態です。「この人のここは面白い」「この考え方は役に立つ」「でも、ここは自分とは違う」と判断できるようになります。ここまで来ると、影響を受けた経験は自分の中で消化され始めます。
信者化のあとには、検証する時間が必要になる
誰かにハマることが悪くないとしても、ハマったままで止まってしまうと、視野は狭くなります。好きな人の意見だけを正しいものとして受け入れ、他の考え方を拒絶するようになると、本来得られたはずの情報を見落としやすくなります。
そのため、信者のように深く入り込んだあとは、意識的に検証する時間が必要です。検証とは、相手を攻撃することではありません。その人の考え方を一度自分の中で分解し、どこが納得できて、どこが違うのかを確認する作業です。
たとえば、好きな人物の発言に対して、すぐに賛成するのではなく、「なぜ自分はこれに惹かれたのか」「反対意見にはどんな根拠があるのか」「この考え方は別の場面でも通用するのか」と考えてみる。こうした問いを持つだけでも、ただの信者状態から少し距離が生まれます。
ここで重要なのは、反発する時期もまた学びの一部だということです。一度好きになった相手を批判的に見るのは、少し苦しい作業かもしれません。しかし、批判的に見ることで、ようやく相手の考えを自分のものとして扱えるようになります。受け売りではなく、自分の判断を通した理解に変わるからです。
人との関係は、正しい距離を探すこと
人間関係において大切なのは、相手を完全に信じるか、完全に拒絶するかではありません。自分にとって、その人との距離がどのくらいなら健全なのかを探すことです。これは、尊敬する相手だけでなく、嫌いな相手や苦手な相手にも当てはまります。
好きな相手には近づきたくなります。もっと知りたい、もっと影響を受けたいと感じます。一方で、嫌いな相手からは離れたくなります。できるだけ見たくない、関わりたくないと感じます。ただ、どちらの場合も極端になりすぎると、自分の心が相手に支配されやすくなります。
尊敬する相手に近づきすぎると、自分の判断が弱くなります。嫌いな相手を意識しすぎると、今度は反発心によって自分の判断が縛られます。つまり、好きでも嫌いでも、距離が近すぎると相手に振り回されるのです。
だからこそ、人との関係では「自分にとっての適切な距離」を見つけることが大切です。その距離は、すぐにわかるものではありません。何年もかけて変わることもあります。若い頃はただ憧れていた人の言葉が、10年後になってようやく別の意味で理解できることもあります。逆に、かつて強く反発していた相手の一部を、あとから認められるようになることもあります。
影響を受けた経験は、自分の中の棚に並んでいく
誰かに影響を受けることは、自分が空っぽになることではありません。むしろ、さまざまな人の考え方を自分の中に取り込み、整理していく過程です。ひとつの思想に染まりきるのではなく、いろいろな影響を受け、それぞれを自分の中の棚に並べていくような感覚です。
ある時期は、特定の思想家の言葉が強く響くかもしれません。別の時期には、作家の表現やスポーツ選手の姿勢、先生の考え方が大きな意味を持つかもしれません。そのときどきの自分に必要なものが前面に出てきて、不要になったものは少し奥に下がります。
この棚の中身は、その人らしさを形づくります。誰の影響も受けていない人よりも、いろいろな人にハマり、反発し、また距離を取り直してきた人のほうが、考え方に厚みが出やすくなります。影響を受けた経験は、時間が経つほど自分の一部として消化されていきます。
ただし、棚に並べるためには、ひとりの考えだけで棚を埋め尽くさないことが大切です。ひとつの人物や思想だけが絶対化されると、他のものを置く余地がなくなります。さまざまな考え方に触れ、その中から自分に必要なものを選び直していくことで、影響は依存ではなく財産になります。
ハマることを恐れすぎず、戻ってくる力を持つ
すぐに信者になってしまうことを不安に感じる人は、すでに自分の状態を少し離れて見ています。その時点で、完全に飲み込まれているわけではありません。「自分は今、かなり影響を受けている」と気づけるなら、そこにはブレーキが働いています。
大切なのは、ハマることを禁止するのではなく、ハマったあとに戻ってくる力を持つことです。誰かの考えに深く入り込む。いったん信じてみる。そこから違和感を見つけ、反発し、検証し、最後に自分にとっての距離を決める。この過程を通じて、人は他者から学んだものを自分のものにしていきます。
誰にも影響を受けないことが成熟ではありません。影響を受けたうえで、自分の判断に戻ってこられることが成熟です。好きな人、尊敬する人、苦手な人、反発したくなる人。それぞれとの距離を探しながら、自分の考え方は少しずつ形になっていきます。
信者になりやすい心理は、見方を変えれば、強く学べる力でもあります。その力を危険な依存にしないためには、検証する時間と、適切な距離感が必要です。次のテーマでは、クレーム履歴のような嫌な情報をつい見てしまう心理を通じて、人間の好奇心や不快なものへの関心について整理していきます。
嫌な情報を見てしまう理由と、人間の好奇心の扱い方
- ✅ クレーム履歴のような嫌な情報を見てしまう心理は、必ずしも珍しいものではありません。
- ✅ 人は不快なものに対しても好奇心を持つことがあり、ホラー映画や実話系コンテンツを見たくなる感覚にも近いといえます。
- ✅ 嫌な気分になる行動でも、生活や仕事に大きな支障がないなら、自分の中にある好奇心のクセとして扱うことができます。
嫌なのに見てしまう心理は意外とよくある
クレーム対応の履歴や、強い怒りが書き残された記録を見ると、気分が悪くなることがあります。乱暴な言葉、理不尽な要求、攻撃的な態度などに触れると、直接自分が言われたわけではなくても、心が疲れてしまうものです。
それなのに、時間が空くとつい検索して見に行ってしまう。見れば嫌な気持ちになるとわかっているのに、なぜかやめられない。このような行動は、自分でも不思議に感じやすいものです。「何がしたいのかわからない」「性格が悪いのではないか」と不安になることもあります。
ただ、嫌なものを見てしまう心理は、それほど特殊なものではありません。人間には、怖いもの、不快なもの、理不尽なもの、混乱したものに対しても好奇心を持つ性質があります。日常生活では見ないほうがいいとわかっていても、少し覗いてみたくなる感覚です。
これは、事故や事件のニュースを追ってしまう心理にも近いものがあります。見ていて楽しいわけではないのに、なぜ起きたのか、どんな人が関わっていたのか、どれほどひどい状況だったのかを知りたくなる。人の心には、明るいものだけでなく、暗くて嫌なものにも引き寄せられる部分があります。
不快な情報は一種の刺激として消費される
クレーム履歴を見て嫌な気分になる行動は、ホラー映画を見る感覚に近いところがあります。ホラー映画は、怖さや不快感を楽しむコンテンツです。観ている間は緊張し、嫌な気分にもなります。それでも、観終わったあとに少しすっきりしたり、日常に戻った安心感を得たりすることがあります。
嫌な情報を見てしまう行動にも、これに似た要素があります。理不尽なクレーマーの記録を見て、「うわ、嫌だな」と感じる。その不快感自体が、ある種の刺激になっている場合があります。気持ちのいい刺激ではなくても、退屈な時間を埋めるものとして機能してしまうことがあるのです。
世の中には、実話系の不幸話やトラブル体験談、迷惑な人のエピソードをまとめたコンテンツが数多くあります。そうしたものが読まれるのは、人が他人のトラブルや不快な出来事に一定の関心を持つからです。もちろん、誰もが好きというわけではありません。しかし、一定数の人にとっては、そうした話が強い吸引力を持っています。
ここで重要なのは、不快なものに関心を持つことと、悪意があることは別だという点です。嫌な情報を見てしまうからといって、必ずしも人の不幸を喜んでいるわけではありません。むしろ、「こんな人がいるのか」「なぜこうなるのか」という観察欲や、日常では触れにくい混乱への興味が働いていることもあります。
退屈しのぎとして機能している場合がある
仕事中にやることがなくなる時間があると、人は何かしら刺激を探したくなります。スマートフォンを見たり、ニュースを読んだり、雑談をしたりするのと同じように、職場で見られる範囲の情報に目が向くことがあります。
クレーム履歴を見に行く行動も、まずは退屈しのぎとして始まっている可能性があります。暇な時間があり、専用ソフトの中に強い刺激のある記録がある。しかも、それは業務上アクセスできる情報です。外部サイトで遊んでいるわけでもなく、仕事にまったく関係ない漫画を読んでいるわけでもありません。そのため、行動としては続きやすくなります。
もちろん、嫌な気持ちになるなら見ないほうがいいという考え方もあります。ただ、実際には人間は合理的にだけ動くわけではありません。不快になるとわかっていても、刺激があるほうへ向かってしまうことがあります。
この行動を整理すると、次のような流れが考えられます。
- 仕事中に空き時間ができる
- 退屈を埋める刺激を探す
- クレーム履歴という強い情報に目が向く
- 嫌な気分になるが、また同じ刺激を見に行く
この流れは、本人の性格が特別に悪いから起きるというより、退屈と刺激の組み合わせによって起きていると考えるほうが自然です。人は、何もない時間に耐えるのが意外と苦手です。そこに強い情報があると、つい覗いてしまうのです。
嫌なものを見ることは心の換気になる場合もある
不快な情報を見ることには、単なる悪趣味では説明できない面もあります。たとえば、嫌な話を読んだあとに、逆に自分の日常へ戻る感覚が強まることがあります。ひどいクレームや理不尽なトラブルを見て、「世の中にはこういう混乱もある」と確認したあと、普段の生活が少し落ち着いて見えることがあるのです。
これは、きれいなものや感動的なものを摂取して心を整える方法とは逆の方向です。美しい話や泣ける話で気持ちを満たす人もいれば、不快な話や怖い話を見て、逆に現実へ戻る人もいます。人によって、心の整え方は違います。
嫌な情報を見ることで、気分が重くなるだけなら距離を置いたほうがよいかもしれません。しかし、見たあとにどこかで日常へ戻る感覚があるなら、その行動は一種の刺激処理になっている可能性があります。怖いものを見て、怖かったと感じたあと、自分は安全な場所にいると確認する。ホラー映画に近い心理です。
ただし、ここには注意も必要です。嫌な情報を見続けることで、他人への見方が荒くなったり、世界全体を悪く感じるようになったりする場合は、少し距離を置いたほうがよいでしょう。不快な情報は刺激が強いため、浴び続けると心の基準がそちらに引っ張られることがあります。
やめるよりも、扱い方を決めるほうが現実的
嫌な情報を見てしまう行動を、すぐに完全にやめようとすると、かえって意識してしまうことがあります。特に、仕事中の空き時間にアクセスしやすい場所に情報がある場合、禁止だけで対応するのは難しいかもしれません。
そのため、まずは「自分にはこういう刺激を見に行くクセがある」と認めるほうが現実的です。認めたうえで、見方を少し変えていく。たとえば、長時間見続けない、気分が沈む日は見ない、見たあとに別の作業へ切り替えるなど、自分なりの扱い方を決めることができます。
大切なのは、行動を過剰に罪悪視しすぎないことです。業務上問題がなく、個人情報の扱いにも反しておらず、仕事の支障にもなっていないなら、それは退屈しのぎのひとつとして存在しているだけかもしれません。もちろん、守秘義務や社内ルールに反する見方をしている場合は別です。その場合は、職場のルールを優先する必要があります。
自分でも呆れてしまうようなクセは、多くの人にあります。意味がないとわかっているのにSNSを見続ける。嫌なニュースを追ってしまう。怒りを感じるコメント欄を読んでしまう。クレーム履歴を見る行動も、その延長にあると考えると、少し扱いやすくなります。
人間の好奇心には明るい面と暗い面がある
人間の好奇心は、明るく前向きなものだけに向かうわけではありません。美しいもの、楽しいもの、役に立つものだけでなく、怖いもの、不快なもの、混乱したものにも向かいます。これは、人間の心が持つ自然な幅です。
クレーム履歴のような嫌な情報を見てしまう行動は、その暗い好奇心が表に出ている状態といえます。だからといって、すぐに自分を責める必要はありません。大切なのは、その行動が自分の生活や仕事、人への見方に悪影響を与えているかどうかです。
もし大きな支障がないなら、自分の中にある少し変わった好奇心として受け止めることもできます。逆に、見たあとに強く落ち込む、他人を信じにくくなる、仕事への嫌悪感が増すといった影響があるなら、見る量を減らす工夫が必要です。
嫌な情報への関心は、人間の弱さであると同時に、人間らしさでもあります。きれいなものだけを見て生きているわけではなく、理不尽さや不快さにも目が向いてしまう。その自分を理解することは、心の扱い方を知ることにつながります。
思考力、創作、就職活動、人への影響、そして嫌な情報への好奇心。どのテーマにも共通しているのは、人間はそれほど単純ではないということです。合理的に考えたいと思いながら、感情や環境や好奇心に動かされる。その複雑さを知ることが、自分や他人との距離を少し楽にしてくれます。
出典
本記事は、YouTube番組「「思考力って本当に大事なんですか?」「就職活動中の友人とのトラブル」「すぐに信者になってしまいます」#485(2023.4.30)サイコパスの人生相談4月増刊号」(岡田斗司夫/2023年4月30日公開)の内容をもとに要約しています。
読後のひと考察──事実と背景から見えてくるもの
思考力・創作の届き方・進路選択の格差・他者の影響・嫌な情報への引力は、どこまで個人の努力で変えられるのか。本稿では国際機関の統計と査読論文を軸に、前提条件と限界を整理します。
これらのテーマは「気づき」や「体験談」で語られやすい一方、一般化するには根拠の置き方が問われます。たとえば、論理や内省が役立つ場面は確かにあります。ただ、その効果は学習環境や支援の設計によって変わり得ます[1,2]。創作の反応も、作品の良し悪しだけで決まるとは限らず、発見されやすさ(入口)を左右する仕組みの影響を受け得ます[11,12]。また、選択肢の広さは家計や制度と結びつき、心理的負担とも連動する可能性があります[3-6]。
問題設定/問いの明確化
本稿で立てる問いは二つです。第一に「個人の能力や好みとして語られる現象が、どの程度まで環境・制度・心理傾向に左右されるのか」。第二に「左右されるとして、個人が取り得る現実的な工夫はどこにあるのか」です。ここで注意したいのは、環境要因を強調しすぎると無力感につながり、個人要因を強調しすぎると自己責任論に傾く点です。両者のバランスを、第三者のデータと研究の範囲内で確かめます。
定義と前提の整理
「思考力」は、単に論理的に説明できる力だけではありません。学習や仕事の場面では、自分の理解度を点検し、方略を選び直すメタ認知や自己調整の要素が重要になります。教育分野の実践ガイダンスでは、メタ認知や自己調整を単発の訓練として切り離すより、課題や授業の中に組み込む設計が重視されています[1]。
「創作が届く/届かない」は、作者の技能だけで決まる現象ではありません。オンラインでは、検索や推薦が発見の入口を作る一方、人気作品に注目が集まりやすい偏りが生まれる可能性も議論されています[11,12]。そのため、反応の多寡をそのまま能力に還元すると、構造的な要因を取りこぼしやすくなります。
「家庭環境と選択肢」については、親の背景と子の教育・所得などの関連が国際機関で分析対象となっており、教育が世代間移動の主要経路として扱われています[3,4]。ここでの前提は、関連があることと、個人の努力が無意味であることは同義ではない、という点です。統計が示すのは平均的な傾向であり、個人差や制度差は残ります。
「影響を受けること」は、学びの入口にも、依存の入口にもなり得ます。古典的には、メディア上の人物に対して擬似的な親密さを感じる現象が概念化されてきました[7]。近年のレビューでも、こうした関係が行動の後押しになる可能性がある一方、心理面のリスクと結びつき得る点が論じられています[8]。
「嫌な情報を見てしまう」行動は、道徳的な善悪ではなく、注意の偏りや報酬設計の問題として捉えると整理しやすくなります。心理学では、一般にネガティブな出来事の方が影響が強くなりやすいという整理が知られています[13]。ニュース研究でも、ネガティブな情報が反応を引き起こしやすい傾向が国際比較で報告されています[14]。
エビデンスの検証
第一に、メタ認知・自己調整の実用性です。オンライン/ブレンデッド学習における自己調整学習介入のメタ分析では、学業達成に対して平均としてプラスの効果が報告されています[2]。ただし、これは「思考力があれば何でも解決する」という意味ではありません。設計された介入として、一定の再現性が期待できる領域がある、という含意に留まります。実践ガイダンスが強調するのも、実装の仕方(授業設計、フィードバック、振り返りの組み込み)です[1]。
第二に、家計・制度と選択肢の関係です。奨学金の貸与利用が一定規模で存在するという事実は、教育投資が家計と無関係ではないことを示す一つの材料になります[5]。さらに、債務負担と心理的苦痛の関連を検討した研究では、負担が心理面と結びつく可能性が示されています[6]。ここで重要なのは、債務が直ちに不幸を決めるという話ではない点です。返済見通しや将来不安のような媒介要因を通じて、生活感覚や意思決定に影響し得る、という現実的な補足として押さえておく必要があります。
第三に、世代間移動の大枠です。OECDは親の背景と子の成果(教育や所得など)の関連を分析し、教育を主要な経路の一つとして扱っています[3]。世界銀行も、国際比較のための世代間所得移動データベース構築を進めています[4]。これらは「個人の努力」を否定する資料ではありません。努力が働く土台が均一ではない可能性を示す資料として読むのが適切です。
第四に、影響と同調の頑健さです。擬似的な親密さの概念は1950年代から論じられ、現代の対人メディア環境でも論点になっています[7,8]。同調に関する研究も長い歴史があり、近年の系統的レビューでも多様な状況で同調が観察されることが整理されています[9]。古典的課題の再現・拡張研究も行われ、条件次第で同調が再現され得ることが示されています[10]。このことは、個人の意志だけで「影響を受けない」状態を作るのが難しい局面がある、という現実を示唆します。
第五に、創作の「入口」と仕組みです。推薦システムが販売多様性に与える影響については、増える場合と減る場合の両面が理論的・実証的に検討されています[11]。また、人気バイアス(人気作品がさらに推されやすい偏り)の測定や緩和策をまとめたサーベイもあり、仕組み上の偏りが議論の対象であることが分かります[12]。したがって「読まれない=作品が悪い」と単線的に結論づけるより、発見コストと露出の設計を別の論点として分ける方が、改善の方向性が見えやすくなります。
第六に、嫌な情報への引力です。「悪いものの方が強く作用しやすい」という一般的整理は、心理学のレビューで広く論じられています[13]。ニュースへの反応でも、ネガティブ情報が反応を起こしやすい傾向が報告されています[14]。さらにオンライン消費の研究では、ネガティブ語を含む見出しがクリック行動と関連することが示されています[15]。負の情報を追い続ける行動特性(いわゆるドゥームスクローリング)については尺度研究が進み、心理的苦痛などとの関連が検討されています[16]。
反証・限界・異説
自己調整学習の研究は、平均効果を示す一方で、対象年齢や学習内容、支援の質によって効果が変わり得る点が課題です[1,2]。そのため「内省すれば誰でも伸びる」と一般化するより、「点検と修正が働く設計があると伸びやすい」と表現を抑える方が検証可能性が高まります。
奨学金と心理的苦痛の関連も、多くは観察研究であり、因果を一方向に断定しにくい領域です[6]。ただし、因果が断定できないからと言って無関係とは限りません。政策や職場の会話では、「負担感が意思決定に影響し得る」という可能性として扱う余地があります。
推薦システムについても、発見の助けになる側面があり、単純に「悪い」と決めつける議論は慎重であるべきです[11,12]。問題は多くの場合、ユーザーの自律性と、プラットフォームの最適化(クリック・滞在時間)との緊張にあります。ネガティブな見出しが消費と結びつくという知見は、個人の嗜好だけでなく、環境の設計が選択を形づくり得ることを示しています[15]。
実務・政策・生活への含意
実務面では、思考力を「正解を速く出す力」とみなすより、「計画→実行→点検→修正」を回す運用として扱うと、再現しやすくなります。たとえば短い振り返りを定例化し、次に試す方略を一つだけ決める、といった小さな設計が現実的です[1]。
創作や発信では、「作品の中身」と「入口(見つけられ方)」を分けて改善するのが有効です。入口を整える工夫は迎合と同義ではなく、発見コストを下げる翻訳作業に近い側面があります[12]。また、仕組みが人気に偏り得るなら、作者側は「入口の可読性」「一貫したジャンル記号」「初見の理解負担」を下げる、といった戦略が合理化されます[11,12]。
進路や仕事選びの会話では、価値観の違いとして片付ける前に、負担とリスクの見え方が異なる可能性を前提に置く方が衝突を減らしやすいと考えられます[3-6]。世代間移動の統計は、個人を裁く道具ではなく、会話の前提を丁寧にするための資料として活用できます[3,4]。
他者からの影響については、「影響を受けない」ことを目標にするより、「影響を受けた後に検証して統合する」仕組みを持つ方が現実的です。複数の視点に触れること、反対意見を読むこと、距離を置く時間を確保することは、同調の頑健さを踏まえた環境設計として意味を持ちます[9,10]。
嫌な情報に引かれる行動は、まず「そうなりやすい前提」を知るだけで自己理解が進みます[13,14]。その上で、ネガティブな言葉が消費と関連するなら、個人ができる対策は「根性で我慢」よりも、「接触の量と目的を決める」「閲覧の後に別行動を挟む」など、摩擦を入れる運用が中心になります[15,16]。
まとめ:何が事実として残るか
事実として残るのは、第一にメタ認知・自己調整が条件次第で学習成果に資する可能性があること[1,2]、第二に家計や制度が教育投資や負担感を介して選択肢と結びつき得ること[3-6]、第三に影響や同調は歴史的にも現代的にも無視できない現象であること[7-10]、第四に推薦や見出し語彙の設計が発見や消費を形づくり得ること[11,12,15]、第五にネガティブ情報が注意や反応を引き起こしやすい傾向があること[13,14,16]です。
一方で、これらは「個人は何も変えられない」という結論を要請しません。むしろ、個人の工夫が効く領域と、仕組みの影響が強い領域を分けて捉えるほど、対策が現実的になります。断定よりも条件整理を重ねる姿勢が、今後も検討に値すると考えられます。
本記事の事実主張は、本文の[番号]と文末の「出典一覧」を対応させて検証可能としています。
出典一覧
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