目次
- 男女格差は「制度不足」よりも「社会規範」で決まってしまう
- 社会規範は「産業・生産体制」からつくられる
- 焼畑と犂の違いが、現代のジェンダーギャップまで影響する理由
- 既得権益がない側でも地位を上げられる「5ステップ」の考え方
- 規範の更新は30〜50年かかる。でも日本は「待てない」局面にいる
男女格差は「制度不足」よりも「社会規範」で決まってしまう
- ✅ 男女格差の原因は制度の有無だけでは説明できず、「制度があっても使えない」状況を生む社会規範が大きい
- ✅ 企業の現場でも、休暇制度や支援策は整っていても“空気”が壁になり、利用が進まないことがある
- ✅ まずは「何が当たり前として刷り込まれているか」を言語化し、議論の土台をそろえることが出発点になる
NewsPicks「WOMANSHIP」のCOTEN調査パートでは、株式会社COTENの品川光介氏が、歴史調査の入口として「男女格差の主因は制度ではなく社会規範にある」という結論を提示している。調査では各国の子育て支援や休暇制度を比較した結果、制度が整っていれば女性の労働参加が自動的に進む、という単純な構図ではない点が見えてきたという。さらに日本は制度面で「比較的いい方」と捉えられる一方、制度が機能しきっていないという指摘もあり、その“ねじれ”を説明する鍵として社会規範が登場する。
私たちも最初は、育休や給付みたいな制度が足りないからだろう、と考えていました。でも各国を見比べると、制度が整っているのに参加が進むとは限らない。逆に、制度が薄いのに回っている国もある。そこで「制度があるのに、使えない・使おうと思えない・使う前に力尽きる」という層が生まれていることが気になりました。ここに強く影響しているのが社会規範で、ここがいちばん根本なんじゃないか、というところに早い段階で行き着きました。
― 品川
各国比較で見える「制度だけでは足りない」
品川氏は、女性の労働参加を妨げる要因として制度が注目されやすい一方で、比較調査を進めるほど「制度だけでは説明がつかない」手触りが増したと話す。日本や韓国は制度を手厚くしてきたが、それだけでギャップが決定的に解消されたとは言いづらい、という観察も共有される。制度が“効く”前に、制度の受け取り方や使い方を縛る前提が存在している、という見立てがここで強調される。
制度は大事です。ただ、制度を整えること自体がゴールになってしまうと、実態が置き去りになります。制度が整っているのに参加が進まないなら、「制度の外側」に原因があるはずです。私はそこを、社会規範という言葉で捉えました。何を良しとするか、何を“やりづらい”と感じるかが、制度の使われ方を左右してしまうからです。
― 品川
企業の現場にある「空気」の壁
議論は社会全体の規範だけでなく、企業内の規範にも広がる。番組では、制度の名称変更で取得が増えた例や、人事側が工夫を重ねても取得が伸びにくい場面が語られ、「制度があっても、それを使うカルチャーや空気感がないと機能しない」という実感が共有された。つまり規範は国家や社会の話にとどまらず、組織の中にも多層的に存在し、現場の意思決定を静かに縛っている。
現場で見ていると、制度はあるのに取得者が増えない、ということが本当によくあります。名称を変えたら取りやすくなった、みたいな話もあって、結局は制度そのものより「どう見られるか」「取りやすい空気があるか」が大きいんだと思いました。人事がお願いして、工夫して、やっと取ってもらう。制度があるのに“もったいない現象”が起きるのは、空気や環境の問題が大きいと感じます。
― 川口
まず「当たり前」を疑える材料をそろえる
このパートでの重要点は、善悪の断定ではなく、議論の入口として「規範」を置くことにある。品川氏は、男性はこうあるべき・女性はこうあるべき、といった主張を先にぶつけ合うより、前提知識とファクトをそろえてから考えることが大切だ、という姿勢を示している。制度設計の話を前に進めるためにも、制度の手前にある“当たり前”を可視化しない限り、同じ場所で足踏みしやすい。次のテーマでは、その社会規範が歴史の中でどう形成されてきたのかが、産業や生産体制の変化から説明されていく。
社会規範は「産業・生産体制」からつくられる
- ✅ 男女格差を生む社会規範は、文化や気分だけでなく「どんな産業で生きているか」という生産体制と深く結びつく
- ✅ 狩猟採集→農耕→工業→ITという大きな転換のたびに、家族の形や働き方が変わり、性別役割分業の強さも揺れ動いてきた
- ✅ 現代は生産体制が先に変わり、規範が追いつかない“ギャップ”が生まれやすい局面にある
本編の核になっているのは、「制度の前に社会規範がある」という見立てを、歴史の長いスパンで説明し直す視点である。品川氏は、社会規範を“褒められる行動/批判される行動の基準”として捉えつつ、その基準は偶然ではなく、産業や生産体制の変化に引っ張られて形成されるのではないか、と仮説を置く。狩猟採集から農耕、工業化、そしてITへという変化を並べることで、ジェンダーに関する規範が世界各地で似た傾向を持って動いてきたことも見えてくる、という話が展開される。
私が置いた2つ目の結論は、社会規範がどうできるかを考えると、産業や生産体制の影響がとても大きい、ということです。どんな産業をしているのか、農業なのか工業なのかITなのかで、社会の前提が変わります。前提が変われば、家族の形も価値観も変わっていきます。
調べて面白かったのは、地域が違っても、人類全体として似た変化が見えるところです。狩猟採集の時代は社会的な格差が小さく、ジェンダーギャップも相対的に小さい。農耕が始まり社会的な格差が出てくると、ジェンダーに関する規範も傾きやすくなる。大きな流れとして、まずそこが前提だと思いました。
― 品川
生産体制が変わると、家族の形と価値観が変わる
品川氏の説明では、生産体制の変化は働き方の変化にとどまらず、生活の基本単位である家族の形や、よしとされる価値観まで連鎖的に動かす。ここで重要なのは、社会規範を良い・悪いの思想として扱うのではなく、その時代に社会が回るための標準設定として捉える点である。安定した時代ほど規範は長持ちしやすく、逆に変化の時代には規範が揺れ、古い規範が残るほど摩擦が大きくなる、という構図が示される。
規範って、普段はあまり考えなくていい“当たり前”になりがちです。だからこそ、時代が変わっても残り続けます。安定している社会では規範がある方が生きやすい面もありますし、規範それ自体を悪者にしたいわけではありません。
ただ、生産体制が動くと、社会の安定の条件が変わります。そのときに規範が古いままだと、現実とのズレが大きくなって苦しくなる。そこが今の大きなテーマだと思っています。
― 品川
工業化が「職住分離」を進め、役割分業を強めた
番組内では、工業化を大きな分岐点として挙げている。中世までの生活では、働く場所と生活の場所が近く、家族単位での生産も多かった。しかし工業化が進み、工場労働やオフィスワークが一般化すると、働く場所が家から切り離される職住分離が起きる。すると外で賃金労働を担う側と家の中を担う側という分け方が社会の標準になりやすく、性別役割分業の規範が強化される、という説明につながる。
工業化して工場労働が普通になってくると、職住分離が起きます。働く場所と生活の場所が別になります。そうなると、外に出て働く役割と、家の中を支える役割が分かれやすくなります。
この分岐点の延長線上に、今の規範がある、という見立てです。細かい違いは地域ごとにありますが、近代に入ってギャップが広がる流れ自体は、多くのエリアで観察できると思いました。
― 品川
IT化で「筋力の前提」が薄れ、規範も動き始める
さらに品川氏は、現代の変化として、工場中心からIT中心へと軸足が移ることに触れる。仕事の中心が筋力に依存しにくい領域へ移るほど、性別による役割の固定が必然ではなくなり、規範も変わらざるを得ない、という見通しが語られる。一方で、生産体制の変化はここ数十年で急速に起きたため、規範の更新が追いつかず、旧来の前提と新しい働き方がせめぎ合っているのが今だ、という位置づけになる。
工場労働だけではなく、オフィスワークのように筋力があまり関係しない働き方が一般的になると、社会の規範も変わっていくはずです。さらにコロナ禍以降のリモートワークの普及みたいな動きもあって、ITが中心になっていく流れは強まっています。
歴史の傾向で言うと、生産体制が変われば規範も変わります。ただ、生産体制が変わったのが直近の数十年なので、追いつけていない部分がある。そのギャップが、いまのしんどさとして出ているのだと思います。
― 品川
焼畑と犂の違いが、現代のジェンダーギャップまで影響する理由
- ✅ 「女性は筋力が弱いから格差が生まれた」という説明だけでは足りず、上位の要因として“どんな生産体制だったか”が効いてくる
- ✅ 焼畑のように重労働が相対的に少ない農業をしていた地域は、現代でもジェンダーギャップが小さい傾向が示されている
- ✅ 産業革命直後のように筋力が求められる仕事が中心になる局面では、女性の労働参加が下がりやすいという研究知見もあり、仕事の性質が規範を押し出す
品川氏の仮説をもう一段具体化するのが、農業のタイプによる比較である。社会規範が生産体制と結びつくと言っても、抽象的なままだと議論は広がりにくい。そこで番組では、焼畑農業と、犂や大型動物を使う定住農耕を対比し、労働の危険度や必要な身体性の違いが、性別役割の固定化にどう影響しうるかが説明されている。ここでのポイントは、筋力差がゼロだから平等になるという単純化ではなく、筋力差が意味を持つ環境を作ったのが生産体制の選択だった、という整理である。
具体例として農業にフォーカスすると分かりやすいです。焼畑農業は、使う道具の性質もあって、ものすごい力が必要な重労働ではないらしいんですね。一方で、定住農耕で犂を使ったり、大型の動物に道具を引かせたりするタイプは、危険もあって重労働になりやすい。
研究によると、焼畑農業をしていたエリアは、現代のジェンダーギャップが小さい傾向があると言われています。つまり、力が必要な仕事を中心にしていたかどうかが、当時の役割分担の固定化に影響して、その名残が今にもつながっている、という見方ができます。
― 品川
「筋力差」より先にある分岐点
この話が効いてくるのは、「女性は筋力が少ないから格差が広がった」という説明を、もう一段だけ上のレイヤーに引き上げられる点にある。筋力差そのものが原因だと考えると、議論は生物学的な特性の話に吸い込まれやすい。しかし品川氏は、筋力差が社会規範に変換されるのは、生産体制が筋力が報酬や地位につながりやすい形になっていたからだ、と捉えている。すると、論点は身体差ではなく仕事の設計や産業の中心に移り、現代の変化とも接続しやすくなる。
よく「筋力が少ないからジェンダーギャップが広がった」と言われます。でも今の例で分かるのは、筋力が関係するのは確かだけれど、その一個前の分岐として、生産体制や「どんな農業をしていたか」が効いている、ということです。
筋力差が社会の差になっていくのは、筋力が必要とされる前提のほうが先にあるからです。そこを押さえると、議論がぐっと整理しやすくなると思います。
― 品川
産業革命直後は、なぜ女性の労働参加が下がったのか
番組では農業の例に加えて、産業革命直後の労働が筋力を強く要求していた、という話にも触れられる。ここでは経済学の研究として、産業革命直後に女性の労働参加が下がったという指摘が紹介され、何をしているか、筋力が関係するかが労働参加と規範の両方に影響しうるという補強になる。社会規範は思想や道徳だけで形成されるのではなく、仕事の現実に引っ張られてもっともらしく固定化されることがある、という見取り図である。
産業革命直後の労働は、筋力がすごく必要だったと言われています。そういう局面では女性の労働参加が下がった、という研究もあります。何を中心に生産しているかで、筋力が関係する度合いが変わる。その違いが、結果として社会規範の形にも反映されていきます。
逆に言うと、工場労働だけではなくオフィスワークのように筋力が関係しにくい仕事が一般化すると、規範も変わっていくはずだ、という見立ても立てやすくなります。
― 品川
既得権益がない側でも地位を上げられる「5ステップ」の考え方
- ✅ 地位向上には共通パターンがあり、「5つの段階」を飛ばすと途中で止まりやすい
- ✅ ポイントは“権利の主張”だけでなく、先に「社会が重要視する有期プロジェクト」で成果を示す設計にある
- ✅ 明文化(制度・法律)で終わらず、最後に「社会規範の更新」まで到達して初めて定着する
品川氏は、男女格差の話を女性だけの問題として閉じず、より一般化した社会変化の型として捉え直している。その軸になるのが、固定的な地位を持たなかった層が、歴史の中で権利や権力を獲得していく際に踏んできた「5ステップ」だという。女性史に限らず、他のケースも含めて成功・失敗パターンを並べると、どこでつまずいたかまで見えてくる、という発想である。
歴史を見ていると、女性の地位がずっと一直線に低いままというより、たまにふっと上がるタイミングがあります。古代ローマでもそういう局面があったりして、上がったり下がったりのきっかけに共通要素があるんじゃないか、と思ったのが調査の出発点でした。
女性だけを見ていると見えにくいので、既得権益を持たない側が地位を獲得してきたプロセスを、成功も失敗も含めて並べました。そうすると「このステップで失敗した」という見方が結構できて、傾向としては5ステップにかなり当てはまる、という感触がありました。
― 品川
ステップ1は「グループとして認識される」
最初の段階は、当事者が個人ではなく社会的な単位として見える状態を作ることだとされる。近代以前は身分など別の区分が優先され、性別という属性が政治的・社会的な単位として扱われにくい時代もあった。スタート地点が曖昧なままだと、次の段階で成果を示しても例外として処理されやすい、という問題意識につながる。
ステップ1は、グループとして認識されることです。女性を例にすると、女性が女性として社会的な単位として認識されるというのが第一歩になります。
今だと当たり前に聞こえるかもしれませんが、近代以前は身分の区分の方が強くて、女性という属性で社会が語られにくかった。だからまず単位として見える状態が必要だと思っています。
― 品川
ステップ2〜3は「重要プロジェクトで貢献→権利主張」
品川氏が強調するのがステップ2で、社会が重要視する有期プロジェクトに貢献する段階である。近代までなら戦争、地域によっては生産体制そのものが巨大プロジェクトになる。そこで成果が積み上がると、ステップ3として権利主張が成立しやすくなる。権利主張だけを先に行うのではなく、貢献が可視化され、認められた後に主張が通る順番が肝になる。
ステップ2は、有期プロジェクトに貢献することです。社会によってめちゃめちゃ大事なプロジェクトがあって、近代までだと戦争が分かりやすいですし、農業のように生産体制そのものが巨大プロジェクトになることもあります。
そこで活躍して、このグループは社会に貢献したと認められると、ステップ3として権利主張が出てきます。これだけ活躍したんだから、こういう権利が欲しいと言える土台ができる、という順番です。
― 品川
ステップ4〜5は「明文化→規範の更新」で定着する
ステップ4は、権利主張が認められて法律や制度として明文化される段階である。ただし明文化で終わらない点が重要で、最後のステップ5で明文化をきっかけに社会規範が書き換わり、次世代へ普通として引き継がれるところまで行って初めて定着する。制度設計だけでは終われない理由が、ここで再び規範に回収される。
ステップ4は、権利主張が認められて明文化されることです。法律や制度として形になる段階ですね。
ただ最後のステップ5があって、明文化によって社会規範がリバイズされます。規範は下の世代に普通として伝わっていくので、ここが変わらないと定着しません。学校教育やメディアの影響も大きくて、ここまで行く必要がある、という感覚です。
― 品川
規範の更新は30〜50年かかる。でも日本は「待てない」局面にいる
- ✅ 規範は1〜2年で変わらず、30〜50年単位で動くことが多い
- ✅ 生産体制はこの20〜30年で急速に変わり、規範が追いつかないせめぎ合いが起きている
- ✅ 変化を先送りすると、企業の競争力や人材流出という形で待てないコストが出る
番組の終盤では、社会規範は変わるのかという問いが、より切実な時間軸の議論に接続される。品川氏は、生産体制の変化によって規範はいずれ更新されるという見通しを示しつつも、問題はどれくらいのスピードで変えられるかにあると整理する。制度を整えても実態が追いつかない場面が残り、規範の更新が遅いまま放置すると、企業や社会が先に持たなくなる可能性があるという危機感が語られる。
規範って、1年とかで変わらないですよね。多くても30年とか50年くらいは普通にかかると思います。普通にやっていれば、30年後や50年後には変わるのかもしれない。でもその間に社会や企業が持つのかは別問題です。
このまま行くと、日本は手遅れになってしまうかもしれないという感覚がありました。AIが普及して働き方がもっと変わっていくと、女性が活躍しやすい環境が海外にあるなら、優秀な人は海外へ行く流れも現実味を帯びてきます。50年待っている間に、日本企業の競争力が先に危うくなる。だからスピードを上げる最後のチャンスが今なのではないか、という話は社内でもしていました。
― 品川
生産体制は先に変わった。規範は追いついていない
品川氏は、工場中心からIT中心へと重心が移るほど、性別役割分業の規範も必然的に変わるという長期トレンドを示している。一方で、その変化が起きたのは直近の数十年であり、規範が更新しきれないまま現場に摩擦が残る。この状態はギャップやせめぎ合いとして表現され、しんどさと同時に希望もあると語られている。
生産体制が変わってきて、工場労働だけではなく、筋力が関係しにくい働き方が増えています。だから歴史の傾向としては、規範も必ず変わるはずです。ただ、生産体制が変わったのは直近この数十年なので、追いつけていない部分がある。
そのギャップの中にいるので苦しい面もあります。でも、変わる方向が見えていること自体は希望でもあると思っています。
― 品川
分断ではなく、意思決定の材料として扱う
この議論が実務的なのは、誰かを責めるためではなく、意思決定の材料をそろえるために規範を言語化する点にある。まずは客観的な材料を置き、そこから一緒に考えるという姿勢が一貫している。規範の更新は時間がかかる前提に立つからこそ、企業や社会は変化を待つだけでなく、どこをどう早められるのかを設計していく必要がある。
この話は、誰かを悪者にして分断を作りたいわけではありません。まずは客観的な材料を出して、そこからどう考えるか、どう対話するかが大事だと思っています。
規範は勝手に変わることもあるけれど、待っているだけだと間に合わない局面がある。だからこそ、今の変化を構造として理解して、意思決定できる状態を作っていきたいです。
― 川口
出典
本記事は、YouTube番組「【COTEN調査】歴史に学ぶ「男女格差」が生まれるメカニズム |WOMANSHIP NewsPicks for WE」(NewsPicks /ニューズピックス/公開日不明)の内容をもとに要約しています。
読後のひと考察──事実と背景から見えてくるもの
制度を整えても格差が残るのはなぜか。本稿は政府統計・国際機関報告・査読研究を用い、社会規範と産業構造の関係を検証します[1,2,4]。
問題設定/問いの明確化
育児休業や保育支援などの制度は、整備すれば自動的に利用が広がるように見えます。しかし現実には、制度があっても利用が進みにくい局面が各国で確認されています。ここで焦点になるのが「制度の外側」にある要因、つまり職場や家庭での期待・評価・慣行(社会規範)が、制度利用の心理的・実務的コストを押し上げる可能性です[2]。
この問いを立てる利点は、個人の意識だけを責める議論から距離を取りやすい点にあります。制度が使われにくい状況は、個々人の善悪というより、組織の評価制度、代替要員の配置、所得構造などの「仕組み」が規範を補強している場合があるためです[2,8]。
定義と前提の整理
本稿でいう「制度」は、法律・給付・休暇日数など明文化されたルールを指します。一方「社会規範」は、明文化されなくても「それは当たり前」「それはやりづらい」といった暗黙の基準で、周囲の反応や評価を通じて行動を誘導します[2]。制度と規範は独立ではなく、規範が制度の利用を抑制したり、逆に制度が規範を少しずつ変えたりする相互作用があり得ます[2]。
また「男女格差」と一口に言っても、教育・健康・経済・政治など領域によって様相は異なります。国際指標でも、領域ごとに進展の速度が異なることが示されており、単一の原因で全体を説明するのは難しいという前提が必要です[3]。
エビデンスの検証
日本の育児休業取得をみると、厚生労働省の「雇用均等基本調査(令和5年度)」では、育児休業取得者の割合が女性84.1%、男性30.1%と報告されています[1]。男性の取得は近年上昇している一方、男女差が残ること自体は、制度の存在だけでは利用が対称化しない可能性を示す材料になります[1]。
国際的にも、父親の育児関連休暇は制度が広がる一方で、利用には大きな国差があり、職場文化・規範、給付水準、休暇設計(父親専用枠の扱い等)が利用を左右し得ると整理されています[2,10]。この点からは「制度を作ること」と「制度が使われること」を分けて考える必要がある、という示唆が得られます[2]。
次に、規範がどこから生まれるかという論点では、産業や生産技術が長期的に影響し得ることを示す研究が知られています。たとえば、伝統的農業における犂(プラウ)利用の歴史が、性別分業の形成と、現代に残るジェンダー規範・態度と関連し得ることを、国際比較データで検証した査読研究があります[4]。ここで重要なのは、身体差を直接の原因と決めつけるのではなく、「どのような仕事が地位や所得に結びつきやすい構造だったか」が、規範の固定化に関与し得るという見取り図です[4]。
さらに、産業構造の転換と女性就業の関係は、単純な右肩上がりではない可能性が示されてきました。歴史経済学では、家内生産から市場労働へ移る段階で女性の労働参加が一度低下し、その後に教育拡大や産業のサービス化などで再び上昇するという「U字」仮説が整理されています[5]。この見方は、産業化の局面で「望ましい家族役割」が強まり得ること、そして経済環境の再転換で規範が再調整され得ることを説明する補助線になります[5]。
加えて、制度利用を現実に制約する土台として、無償ケア(家事・育児・介護)の偏りが挙げられます。ILOは無償・有償ケア労働と労働市場の結びつきを包括的に整理し、ケア負担の不均衡が就業機会や労働条件の格差と関連しやすい点を論じています[6]。UN Womenも、無償ケア時間の男女差が将来も残り得る推計を示し、自然な時間経過だけでは差が解消しにくい可能性を示唆しています[7]。
反証・限界・異説
ただし「規範が根本原因」とだけ捉えると、別の説明力を持つ要因を過小評価するおそれがあります。たとえば世界銀行のWomen, Business and the Lawは、法律(権利の明文化)だけでなく、政策的支援や実現度(実際に権利が行使できるか)を含めて評価する枠組みを提示し、法制度と実態のギャップが広く存在することを示しています[8]。この観点では、規範に加えて、行政・企業の実装能力や監督、現場の運用設計も同時に点検すべきだと整理できます[8]。
また、規範は固定物ではなく、家族・学校・コミュニティを通じて学習され、世代をまたいで伝播し得ます。移民家族を含むデータから、ジェンダー役割態度が家族関係を通じて行動(就業など)に影響し得ることを検討する研究もあり、規範の変化には「制度改正」以外の経路が関わり得ます[9]。したがって、規範を単独の犯人にするより、「どの経路で維持され、どの経路で更新されるか」を分解して扱う方が、対話可能性を保ちやすいと考えられます[2,9]。
実務・政策・生活への含意
実務面では、制度導入だけでなく「利用しても不利益が生じない」設計が重要になります。父親の休暇取得を例にとると、給付水準や父親専用枠の設計、職場での評価・代替要員の整備などが取得の障壁になり得るため、制度・運用・評価の三点セットで見直す必要があります[2]。また、国際比較のデータベースは制度の型や水準が国ごとに異なることを示しており、単に休暇日数を増やすだけでなく、設計全体の整合性が問われます[10]。
生活面では、無償ケアの偏りが就業・賃金・昇進の機会に連鎖するため、家庭内の分担や外部サービス(保育・介護)の利用可能性が、制度の効果を左右します。ILOやUN Womenが示すように、ケアの不均衡は国を問わず根強く、これを前提にした支援設計が不足すると、制度だけ整えても格差が別の形で再生産されやすいと言えます[6,7]。
時間軸については、「規範はゆっくり動く」という見立て自体は、無償ケア格差の将来推計などとも整合的です[7]。その一方で、産業構造や働き方の変化は短期間で進むことがあり、変化の速度差が摩擦を生む局面も想定されます。こうした局面では、制度改正と同時に、現場の運用や評価の設計を更新することが、社会的コストを抑える方向になり得ます[2,8]。
まとめ:何が事実として残るか
第三者の統計・国際機関報告・査読研究を踏まえると、制度は重要な基盤である一方、制度の利用は社会規範や職場慣行、家計制約、実装能力によって大きく左右され得る、という整理が残ります[1,2,8]。また、産業や生産技術の違いが役割分業を通じて規範に長期の影響を与え得るという知見は、規範を「気分」だけで説明しにくいことを示します[4,5]。他方で、規範だけに原因を集約せず、制度設計・運用・家庭内ケア・学習経路を分解して点検する姿勢が、対立を深めずに改善策を検討する上で課題として残ると考えられます[2,6,9]。
本記事の事実主張は、本文の[番号]と文末の「出典一覧」を対応させて検証可能としています。
出典一覧
- 厚生労働省(2024)『「令和5年度雇用均等基本調査」結果を公表します(事業所調査 結果のポイント)』政府統計資料 公式ページ
- OECD(2025)『Full Report: Paid leave for fathers』OECD iLibrary 公式ページ
- World Economic Forum(2024)『Global Gender Gap Report 2024』World Economic Forum(PDF) 公式ページ
- Alesina, A., Giuliano, P., & Nunn, N.(2013)『On the Origins of Gender Roles: Women and the Plough』Quarterly Journal of Economics 128(2) 公式ページ
- Goldin, C.(1994)『The U-Shaped Female Labor Force Function in Economic Development and Economic History』NBER Working Paper No.4707 公式ページ
- International Labour Organization(2018)『Care work and care jobs for the future of decent work』ILO Report(PDF) 公式ページ
- UN Women(2023)『Forecasting time spent in unpaid care and domestic work』UN Women Data 公式ページ
- World Bank(2024)『Women, Business and the Law 2024』World Bank Report(PDF) 公式ページ
- Bredtmann, J.(2020)『The intergenerational transmission of gender role attitudes』Journal of Economic Behavior & Organization 179(抄録ページ) 公式ページ
- OECD(2026)『PF2.1. Parental leave systems(UPDATED: JANUARY 2026)』OECD Family Database(PDF) 公式ページ