目次
- 養老孟司「なるようになる」:戦後を生きた実感と“説明責任”社会への違和感
- 情報化社会とシミュレーション思考:富国強兵からAI時代までの一本道
- 言葉は世界を止める:無常の思想と“情報=動かないもの”の関係
- 変わる自分と変わらない自分:意識・睡眠・医療現場が示す“予測不能”
養老孟司「なるようになる」:戦後を生きた実感と“説明責任”社会への違和感
- ✅ 自分の人生を「計画して進めた」のではなく、結果として「そうなってきた」
- ✅ 現代は「なぜそうしたのか」を説明できないと許されにくく、その空気が生きづらさを生む
- ✅ 戦後の急激な価値観の転換を体感したことが、「先のことは当てにならない」という感覚につながっている
真宗大谷派名古屋別院(東別院)での講演で、養老孟司氏は「なるようになる」という言葉を手がかりに、自身が生きてきた時代を振り返りました。社会が合理性や計画性を強めるほど、個人にも「筋の通る理由」や「説明責任」が求められます。一方で、養老氏の語りは、人生が必ずしも理屈通りに進まない現実に立ち返り、説明できない出来事を含めて受け止める感覚を丁寧に示していきます。
私は、自分がやってきたことを「こう考えて、こう決めた」ときれいに説明しろと言われると、正直むずかしいです。今日ここに来た理由だって、突き詰められても「分かりません」としか言いようがありません。たぶん、そういう流れになったから、そうなったのだと思います。
世の中は「こうすればこうなる」と言い切れるほうが安心なのでしょうが、私はあまりその感覚に乗れません。気づいたらここまで来ていた、というほうが実感に近いです。
戦後の景色が一変した経験
養老氏は、終戦を小学校2年生の夏に迎えた世代として、戦後の教育を「最初にまともに受けた側」に位置づけます。上の世代が持っていた戦前の“型”と、自身の世代が吸い込まれていった戦後の空気の違いを語り、価値観がひっくり返ることは実際に起きると示します。社会が大きく反転する経験を、子どもの目で体に刻んだ感覚が、のちの「先は読めない」という姿勢を支えている流れです。
終戦の日のことは、子どもの記憶として残っています。あの日が境目になって、世の中の雰囲気は確かに変わっていきました。いま振り返ると、あの転換を経験しただけで「世の中の見通しなんて、そう簡単に立つものではない」と思うようになります。
あとになって本で読めば、だれが悪い、何が間違いだった、という話に寄りがちです。でも、そのときそのときは、みんな一生懸命だったのだと思います。そう考えると、単純に割り切れないものが残ります。
「説明できないといけない」空気の窮屈さ
講演の前半で印象的なのは、「説明」の圧力への違和感です。現代は、政治でも仕事でも日常でも、選択の理由を筋道立てて語れることが求められます。養老氏は、そうした社会の流れ自体は理解しつつも、個人の人生の歩みまで同じ作法で整理しようとすると、現実からずれてしまうと感じています。
いまは「説明責任」という言葉が当たり前のようにありますが、自分の人生をそんなに整然と説明できる人は、どれくらいいるのでしょうか。私は無理です。やってきたことは、あとから理由を並べればそれらしく見えるだけで、当時はそんなに計画的ではありません。
「こうすればこうなる」と言い切って進めて、うまくいかなければ文句が出る。そういう構図の中にいると、だんだん息が詰まります。私は、もっと雑に言うと「そういうことになったから、そうなった」と受け止めるほうが合っています。
計画より先に起きること
養老氏の「なるようになる」は、投げやりな諦めではなく、人生に混ざる偶然や説明不能な出来事を“無理に整形しない”態度として聞こえます。社会が「予測」や「正しさ」を強めるほど、個人は不安を減らすために言葉で人生を固めたくなります。次のテーマでは、その“言葉で固める力”が社会全体で加速した結果としての情報化やシミュレーション思考へ、話がつながっていきます。
情報化社会とシミュレーション思考:富国強兵からAI時代までの一本道
- ✅ 社会が「こうすればこうなる」を前提に動くほど、人間の生き方が窮屈になる
- ✅ 予測や計画を強める“シミュレーション思考”は、近代化の流れの中で積み上がってきた
- ✅ AIもその延長線上にあるが、人生の出来事は最後まで予測しきれない
養老氏は「なるようになる」を単なる気分の言葉ではなく、社会が強めてきた“予測”や“設計”への違和感として語ります。近代以降、社会は「目的を立て、手段を組み、結果を管理する」という発想を洗練させてきました。便利さの裏側で、人間が本来持っている曖昧さや偶然の余地が削られていく。その流れを、養老氏は「シミュレーション」という言い方で整理していきます。
私は、世の中がだんだん「筋書き」を求める方向に進んだと思っています。先に結果を置いて、そこへ行く道筋を組み立てる。うまくいけば安心ですし、うまくいかなければ誰かを責められる。そういう形のほうが、社会としては扱いやすいのでしょう。
ただ、人間の暮らしはそこまで整っていません。予定通りにいかないことのほうが多いのに、予定通りにいく前提で話を進めると、無理が出ます。
富国強兵は“筋書き”から始まった
講演では、近代国家の構想そのものが「こうすれば国が強くなる」という設計思想だった、という見立てが示されます。富国強兵のような目標設定は、手段と成果を因果で結び、社会を動かしやすくする一方で、想定外の揺れや人間の雑さを見えにくくします。養老氏は、その発想が長い時間をかけて生活の隅々に入り込んだと捉えています。
明治以降の日本は、国として「こうすればこうなる」を真面目にやってきたのだと思います。貧しいなら豊かにする、弱いなら強くする。そのために制度を作り、教育を整え、目標へ向かって進む。言い方を変えれば、社会全体のシミュレーションです。
そのやり方は確かに成果も出しました。ただ、その成功体験が強すぎると、何でも同じ調子で割り切ろうとしてしまいます。
天気予報が変えた人間の感覚
予測が生活を変える例として、養老氏は天気予報の話を持ち出します。以前は空を見て決めていた行動が、数値や予報の「情報」によって先回りされる。ここには、現実より先に“予測の世界”が立ち上がり、行動がそれに引っぱられる構造があります。予測が外れたときに「外れたこと」が問題化するのも、社会が予測を前提にしているからです。
天気予報が当たるようになると、人はそれに合わせて動きます。雨が降ると言われたら傘を持つ。便利です。でも、その便利さの分だけ、現実の空より先に「予報」が来るようになります。
すると、外れたときに腹が立つ。もともと天気は変わるのに、変わるものを変わらない前提で扱い始めるから、ずれが気になるのだと思います。
AIは延長線上にある
講演ではAIにも触れつつ、社会が「予測できるはず」という方向へさらに進んでいることが示唆されます。大量のデータから傾向を抽出し、判断を最適化する仕組みは、シミュレーション思考の強化版とも言えます。一方で養老氏は、予測の精度が上がるほど、人間が引き受けるべき“予測不能”を忘れやすい点に目を向けます。
AIが出てきて、ますます「当てにいく」社会になるのでしょう。データを集めて、確率を上げて、失敗を減らす。そういう方向は止まらないと思います。
ただ、確率が上がっても、人生が全部当たるわけではありません。最後に残るのは、思い通りにならないことをどう受け止めるかです。私はそこに「なるようになる」という言葉が戻ってくる気がします。
予測や最適化が進むほど、社会は整然としますが、その分だけ「説明できない出来事」を置き去りにしがちです。次のテーマでは、養老氏が語る「情報化」とは何か、そして言葉にした瞬間に世界が“止まる”という感覚が、無常の思想とどうつながるのかを整理していきます。
言葉は世界を止める:無常の思想と“情報=動かないもの”の関係
- ✅ 「情報化」とは、変化し続ける現実を“変わらない形”に固めること
- ✅ 言葉にした瞬間、出来事は止まったものとして扱われやすくなり、無常の感覚とズレが生まれる
- ✅ 仏教や古典の「無常」は、情報化が進む現代ほど読み直す意味が大きい
養老氏の話は、社会の仕組みだけでなく、「言葉」そのものの性質へ踏み込みます。現実は常に動いているのに、言葉にして整理した途端、出来事は“確定したもの”として扱われやすくなる。養老氏はこの働きを「情報化」と呼び、変化を前提にした仏教的な無常観と対比させながら、現代人の感覚のズレを解きほぐしていきます。
私は「情報」というものを、現実そのものだとは思っていません。現実は動いています。ところが言葉にした瞬間、動いていたものが止まったように見える。そこに、最初の違和感があります。
たとえば、何か出来事が起きたときに、文章にすれば「こういうことが起きた」と固定できます。でも、本当はその場の空気や、前後の流れや、当人の気分まで含めて動いているはずです。言葉は便利な反面、動きを切り落とします。
「無常」と「情報化」は逆向きに働く
養老氏が繰り返すのは、「変化」をどう扱うかという問いです。無常は、変化することを前提に世界を見る姿勢です。一方で情報化は、変化するものを“変わらないもの”として保存し、共有し、管理できるようにします。便利さは増えますが、現実の質感から離れた説明が増えるほど、心の側に無理が出るという見立てです。
仏教の「諸行無常」は、私にはすごく当たり前の感覚です。生き物も、体も、気持ちも、同じままではいません。ところが社会は、同じであることを前提にしたがります。名前も、肩書きも、制度も、固定して扱うほうが楽だからです。
私は「情報化」というのは、変化するものを変化しない形にしてしまうことだと思っています。情報にすれば安心しますが、無常の世界を生きている以上、どこかで無理が出ます。
録音や文章が生む“確かさ”の錯覚
養老氏は、録音や記録のたとえを使いながら、情報の特徴を直感的に説明します。録音は、その瞬間の音を「同じもの」として再生できます。文章も同じで、書いた内容は基本的に変わりません。しかし現実の会話や感情は、同じ状況が二度と再現できないほど揺れ動きます。情報は“保存できる確かさ”を与えますが、それを現実と同一視すると、ズレが大きくなっていきます。
録音は便利です。一度しゃべった声が、そのまま出てきます。でも、それは「その瞬間」を切り取っているだけです。現実の私は、もう次の瞬間へ動いています。同じことを話したつもりでも、受け取り方は変わります。
文章も同じです。書いてしまえば、書いた内容は動きません。動かないものが増えるほど、世の中は分かりやすくなります。ただ、分かりやすさが増えるほど、現実の動きが見えにくくなる気がします。
方丈記の鴨川が示す「同じ名前、違う中身」
古典の例として語られるのが、方丈記の鴨川です。川は同じ名前で呼ばれ続けますが、水は常に入れ替わり、同じ川であり続けることはありません。養老氏は、この感覚を「現実は無常だが、言葉は同一性を与える」という問題として捉え直します。現代の情報社会は、まさに「同じ名前」「同じ説明」で世界を固定する力が強くなった状態だとつながっていきます。
川の名前は変わりません。「鴨川」と言えば通じます。でも、水はずっと流れていて、同じ水ではありません。私はそこに、言葉の性質がよく出ていると思います。
名前や説明は、世界を扱いやすくします。ただ、その扱いやすさを現実だと思い込むと、動いているものに追いつけなくなる。無常というのは、そのズレを忘れないための言葉なのだと思います。
養老氏の「言葉は世界を止める」という感覚は、情報が増えた現代ほど切実になります。説明や記録が整うほど、現実の揺れや偶然は見えにくくなります。次のテーマでは、こうしたズレが「人は本当は変わるのに、社会は変わらない前提で動く」という問題として現れ、意識や睡眠、医療の現場の話へつながっていきます。
変わる自分と変わらない自分:意識・睡眠・医療現場が示す“予測不能”
- ✅ 人は本来変化しているのに、社会は「同じ人が同じままいる」前提で回りやすい
- ✅ 意識や睡眠の話は、「説明できるつもり」で世界を固める危うさを浮かび上がらせる
- ✅ 医療の現場でも「いつまで生きるか」を断言したがる圧があり、そこに“なるようになる”の感覚が戻ってくる
養老氏は、社会が求める「予測」や「説明」の延長線上に、人間そのものの捉え方の問題があると語ります。人は日々変わっているのに、制度や言葉は「同一人物」を前提に固定しがちです。そのズレが強くなるほど、意識の不思議や、生死の見通しの不確かさが見えにくくなります。講演の後半では、睡眠の例や医療現場でのやり取りが、予測不能な現実を受け入れる視点として提示されました。
私は、人間は変わるものだと思っています。昨日の自分と今日の自分は、同じようでいて同じではありません。気分も体も、少しずつずれています。それなのに社会は、「同じ人が同じままいる」前提で扱うほうが便利だから、そちらへ寄っていくのだと思います。
名前や番号や履歴で人を固定できると、話が早いです。でも固定した瞬間に、動いている部分が落ちます。私はその落ちた部分が、現実のほうに残っている気がします。
意識と睡眠の“穴”が示すもの
養老氏は、意識を「理解したつもり」になりやすい点を取り上げます。眠っている間は意識が途切れているのに、目が覚めると、その断絶をなかったことのように説明したくなる。意識がない状態を、意識の側が言葉で埋めようとする構図が見えてきます。ここには「分かる形にしないと落ち着かない」という現代的な癖が映し出されます。
睡眠というのは面白いです。寝ている間は、意識がないと言っていいでしょう。でも起きたあとになると、その「ない時間」を平気でつなげてしまう。意識がある側が、都合よく説明を作っているようにも見えます。
意識は便利ですが、意識で全部つかめると思うと危ないと思っています。つかめない部分があるのが当たり前で、その部分まで言葉で固めようとすると、無理が出ます。
「いつまで?」と聞かれる医療の現場
講演では、生死の場面でも「予測」が強く求められる現実が語られます。本人や家族は不安だから、医師に「あとどれくらいか」を聞きたくなる。しかし、未来は条件が重なって揺れるもので、断言できないものでもあります。養老氏は、そこに説明責任の圧と似たものを見て、予測不能を織り込む態度の重要性へ話を戻していきます。
医療の現場では「いつまで生きられますか」と聞かれることがあると聞きます。聞きたくなる気持ちは分かります。でも、本当のところは誰にも分かりません。分からないのに、分かる形にしてほしいという要求だけが強くなると、現場は苦しくなるでしょう。
私は、そういうところで「なるようになる」という言葉が生きると思っています。投げるのではなく、分からないものを分からないまま置ける力です。
養老氏の語りは、予測や説明を否定するのではなく、それらが届かない領域が確かにあると指摘します。人は変わり、意識には穴があり、生死には揺れがある。その現実を消さずに持ちこたえる言葉として、「なるようになる」が置かれていました。ここまでの流れを踏まえると、情報化が進むほど、無常の感覚を生活に戻すことが、かえって現代的な知恵として浮かび上がります。
出典
本記事は、YouTube番組「【講演・養老孟司】「なるようになる」」(真宗大谷派名古屋別院/東別院/2025年10月22日公開)の内容をもとに要約しています。
読後のひと考察──事実と背景から見えてくるもの
説明責任と予測志向が生きやすさに与える影響を検証します。AI規制の法文、OECD・WMO・WHOなど国際機関資料、心理学・医学の査読論文を突き合わせ、説明の限界と副作用を整理します。
問題設定/問いの明確化
現代社会では、判断や行動に「理由の説明」を求める場面が増えています。行政や企業の意思決定を検証可能にし、不利益が生じたときに原因を点検するためには、説明責任は重要な仕組みです。
一方で、説明が常に可能であるという前提が強まりすぎると、偶然や環境要因、本人も把握しきれない意思決定の要素が「説明不足」や「責任回避」とみなされ、かえって息苦しさを生むことがあります。ここでは、説明や予測はどこまで有効で、どこに限界があるのかを、制度・科学・臨床の証拠から確かめます。
定義と前提の整理
説明責任は大きく分けて、手続きや根拠を示す「過程の説明」と、結果に対して責任を負う「結果の説明」があります。過程の説明は透明性や検証可能性を高めますが、結果の説明が強くなると、成功・失敗を単純な因果で語り直す圧力が高まりやすい点に注意が必要です。
AIの利用が広がる領域では、検証可能性を制度として確保するために、リスクに応じた義務を課す枠組みが導入されています。EUのAI規則はリスクベースの考え方を採り、特に高リスクAIでは技術文書、記録保持(ログを含む)、人による監督など、運用の点検に関わる要素を条文として位置づけています[1,2]。またNISTのAIリスク管理枠組みは、AIの不確実性を前提に、リスクを「把握・測定・管理」していく考え方を整理しています[3]。
エビデンスの検証
まず「人は自分の判断をどれほど正確に説明できるか」という点では、慎重な知見が示されています。意思決定の高次の過程には直接アクセスしにくい場合があり、本人の言語報告は、実際の判断要因と一致しないことがあると論じられています[7]。これは、説明が誠実であっても「説明=原因の再現」には限界があることを意味します。
同様に、本人が自分の選択の結果を取り違えても、それに気づかず「もっともらしい理由」を語ってしまう現象が報告されています[8]。この種の研究は、説明が常に内的事実の“写し”になるとは限らず、状況に応じて後から整えられる可能性がある点を示唆します。
説明責任が意思決定そのものを変える可能性も指摘されています。責任を問われる状況では、人は批判を避けるために判断戦略を調整したり、防衛的になったりすることがあると整理されています[19]。透明性の確保が「より良い判断」を促す場合がある一方で、「説明しやすい結論」へ寄る副作用も起こり得る、という前提確認が必要です。
次に予測については、成果と限界が併存します。気象分野では、3〜10日先の予報技能が長期的に改善してきたことが国際機関で明記されています[5]。一方で、初期条件に敏感な系では長期予測に限界が生じることが古典的研究で示されており、「予測精度の向上=不確実性の消滅」ではない点も重要です[6]。
また、予測がうまくいかない理由は、モデルやデータだけではありません。人の側に「計画はうまく進む」という楽観が入り込むこともあります。いわゆる計画錯誤(計画の見積もりが楽観に偏る傾向)を示した研究では、過去の経験よりも“計画シナリオ”に注意が向きやすいことが示されています[16]。予測志向が強い環境ほど、予測の限界と人間の認知バイアスが重なりやすい点は、実務上の盲点になり得ます。
「測ること」と「説明すること」が現場を歪める可能性も、国際機関の報告で整理されています。公共部門の測定を扱うOECDは、指標がターゲット化すると“gaming(指標に合わせた戦略的反応)”が起こり得ること、そして複数情報の突き合わせなどで副作用を抑える必要があることを述べています[4]。説明責任が「数字で示せる成果」へ過度に寄ると、目的そのものが置き去りになる危険があります。
その危険はAI領域でも無関係ではありません。EUのAI規則が、高リスクAIに対しログの自動記録や人による監督などを求めるのは、失敗や不利益が生じた際に検証できる状態を制度で確保する狙いがあるためです[2]。ただし、記録が増えるほど「記録できるものだけが現実」という誤認が起きやすい点は、運用上の倫理課題として残ります。
言語と認知の関係についても、誤解を避けた整理が必要です。言語ラベルが知覚や分類を“迅速に調整(modulate)”し得るという仮説(label-feedback hypothesis)は、知覚を恒久的に固定するというより、状況次第で効果が変わり得る仕組みとして議論されています[9]。したがって、「言葉が現実を固定する」という表現は比喩としては理解しやすい一方、科学的には「ラベルが切り分け方を一時的に強調し、共有可能な枠組みを作る」といった慎重な言い方が適切です[9]。
記憶についても同様です。想起された記憶が一時的に不安定化し、再安定化の過程で更新され得るという再固定化(reconsolidation)の議論は、神経科学で重要なテーマとして整理されています[10]。ただし、基礎的証拠は動物研究が大きな比重を占め、日常会話の「説明」が直ちに経験理解を作り替えると断言するのは慎重であるべきです[10]。ここで言えるのは、記憶が“固定された記録”ではなく、条件によって変化し得るという前提が、説明を過信しない姿勢を支える、という範囲にとどまります。
自己の連続性(同じ自分として生きている感覚)は、動機づけや行動の安定に関わると総説で整理されていますが、その連続性は絶対不変の実体というより、過去・現在・未来を結ぶ主観的なつながりとして説明されています[11]。さらに、睡眠研究のレビューでは、睡眠段階に応じた脳活動と意識・学習・記憶の関係が論じられており[12]、夢と覚醒の認知の“途切れ”や不連続性を扱う整理も示されています[13]。こうした知見は、「説明が常に一貫した自己像を与えるべきだ」という要求が、現実の人間像と緊張し得る点を補足します。
医療の現場では、不確実性の扱いが切実です。終末期の生存予測に関する系統的レビューでは、臨床家の予測が不正確で、楽観に偏りやすい傾向が報告されています[14]。また、別の研究では、死期が近づくほど予測精度が改善する一方、「差し迫った死」の予測は陽性的中率が比較的高くても感度が低い(見逃しが残る)ことが示されています[15]。なお[15]は系統的レビューではなく、PiPS2データの二次解析による前向き観察研究として位置づけるのが正確です[15]。
説明責任が人の健康に与える影響も、設計次第で変わります。WHOは、良い仕事がメンタルヘルスの保護要因になり得る一方、過重労働や低い裁量などの悪い環境がリスクになり得ると整理しています[17]。説明責任が支援や改善ではなく監視や責任転嫁に傾くと、心理的負担を増やす可能性がある点は、政策・組織設計で繰り返し検討が必要です[17]。
さらに、説明責任の運用が現場の仕事を変えてしまう例として、エビデンスに基づくプログラムでの説明責任実務を扱った研究では、監査・報告の要請が業務の焦点や関係性に意図せぬ影響を与え得ると論じられています[18]。この知見は特定領域の事例研究であるため一般化には慎重さが必要ですが、少なくとも「説明が増える=現場が良くなる」とは限らない点を示します[18]。
反証・限界・異説
ここまでの検討は、説明責任や予測を弱めるべきだという主張ではありません。AI規制が示すように、技術が社会に影響するほど、技術文書や記録、人的監督などを通じて検証可能性を確保する必要が高まります[1,2]。NISTの枠組みも、AIの不確実性を前提にしつつ、継続的にリスクを管理する姿勢を推奨しています[3]。
ただし、説明や指標が万能だとみなされると、説明しやすさや測りやすさが目的化しやすい点は残ります[4,18]。言語ラベルの効果についても、知覚や分類を調整し得るという説明は支持されますが[9]、そこから「現実が固定される」と飛躍すると、科学的な射程を超える解釈になります。記憶の再固定化も同様で、記憶が動的であることは重要な前提ですが[10]、日常の説明が常に経験を作り替えると断定するには追加の根拠が必要です。
実務・政策・生活への含意
第一に、説明責任は「本人の内省の正確さ」を求めるより、「意思決定の条件・手続き・限界を残し、第三者が検証できる状態」を目標に置くほうが実務的です。AI規制が記録保持や人的監督を求めるのは、説明を“物語”ではなく“検証のための材料”として扱う発想に近いと言えます[2]。
第二に、数値指標は単独で使うほど副作用が増えるため、複数指標・定性情報・現場観察を組み合わせる運用が重要です。OECDが示すように、指標のターゲット化には歪みが伴い得るため、突き合わせや監視設計が欠かせません[4]。
第三に、予測は「幅」と「条件」をセットで共有することが、誤解を減らします。気象のように改善が積み上がる領域がある一方[5]、理論的限界[6]と認知バイアス[16]が残るため、予測値を単一の確定情報として扱わない工夫が必要です。医療の予後予測でも、精度が上がる条件と限界(感度の低さなど)を併記することが、過度な期待や不要な対立を抑える方向につながります[14,15]。
第四に、言語による説明は便利であるほど、説明が“現実そのもの”だという錯覚を生みやすい点に注意が必要です。ラベルが認知を調整し得るという知見は[9]、説明の表現が当事者の理解を助ける一方で、切り分け方を狭める可能性も示唆します。説明の目的(救済、学習、再発防止)を明確にし、説明の形式が目的を代替しないように設計することが重要です[4,18]。
最後に、説明責任の強化が健康や生活に影響する場合、個人の努力だけに回収しない視点が必要です。WHOが示すように、職場環境は保護要因にもリスク要因にもなり得ます[17]。説明を求める文化そのものが過重負担を生む場合、評価制度や支援制度の設計が問われることになります。
まとめ:何が事実として残るか
査読研究と国際機関資料を突き合わせると、説明と予測は社会の信頼を支える一方で、人の内省には限界があること[7,8]、予測には理論的限界が残ること[6]、指標や監査には副作用があり得ること[4,18]が確認できます。言語は知覚や分類を調整し得ますが[9]、それを「現実の固定」と言い切るのは慎重であるべきです。記憶も動的であり得る一方[10]、日常の説明への適用は条件差を踏まえた解釈が求められます。
したがって、説明責任を「整った物語」に寄せるのではなく、検証可能性を高めつつ(文書・ログ・監督など)[2]、不確実性を前提にした運用(幅・条件・複数情報)を組み込むことが現実的です[4,14,15]。説明できることと説明しきれないことの境界を、制度と実務の両面で更新し続ける点に、なお課題が残ります。
本記事の事実主張は、本文の[番号]と文末の「出典一覧」を対応させて検証可能としています。
出典一覧
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