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縄文人になれ?苫米地英人が語るAI時代の子育ての核心|学校と家庭の役割を整理

目次

AI時代の子育ては「AIを避ける」より「選べる知性」を育てる

  • ✅ AIを子どもから遠ざけることよりも、将来「使う・使わない」を自分で選べる状態を目標に据えることが重要です。
  • ✅ 親の役割は、AIの是非を先回りして決めることではなく、判断の土台となる知性と環境を整えることです。
  • ✅ 便利さに流されないためには、目的意識と主体性を家庭で育てていく視点が欠かせません。

生成AIが急速に普及する中で、子どもにどこまでAIを触れさせるべきかは、多くの家庭で現実的な悩みになっています。苫米地英人氏は、この問いに対して「AIに触れさせない」か「早くから使わせる」かの二択に回収せず、もっと長い時間軸で子どもの主体性を育てる方向へ論点を移しています。

苫米地氏の見立てでは、AIを避けること自体を知性の証明だとする言い方が先行すると、親の不安がそのままルール化しやすくなります。一方で、成長した子どもが社会に出る頃には、AIは「あるのが前提」の道具になっている可能性が高く、親がすべてを管理し続ける現実性も下がります。だからこそ、最終的に本人が選べるように育てる、という設計が中核に置かれます。

AIに関しては、「触れさせないほうが賢い」と言い切ってしまうより、もっと自然に構えていいと思っています。子どもの頃に親が全部決めてしまうと、肝心なところで自分の判断が育ちにくくなります。

私は、基本的には今までと同じように学び、考え、生活していけばいいと思っています。その上で、大人になったときに「自分はAIを使うのか、使わないのか」を自分の意思で選べるようになっていれば十分です。

AIを遠ざける教育の落とし穴

子どもを守りたいという動機から、AIやデジタル機器を一律に禁止する家庭もあります。ただ、禁止は短期的には分かりやすい反面、「なぜ使わないのか」「どう危険なのか」を自分で整理する機会を奪いやすくなります。苫米地氏は、AIとの距離の取り方そのものを“親が決め切る”ことに慎重で、判断を本人に返していく発想を強調しています。

私が気になるのは、禁止のルールが増えるほど、子どもが「自分の頭で決める」練習をしにくくなる点です。使うか使わないかは、結局は人生の目的や価値観に結びつく話です。

だからこそ、親ができるのは「危ないからダメ」と切り捨てることよりも、判断の材料を増やして、考える習慣を支えることだと思っています。

「大人になってから決める」を前提にする

苫米地氏の発言で特徴的なのは、「将来、本人が選択する」という前提を先に置いている点です。AIの活用は、学習・仕事・創作など幅が広く、家庭の価値観とも絡みます。そのため、幼少期に結論を固定するよりも、成長段階に応じて“自分の選択”をアップデートできる状態が目標になります。

私は「使うかどうか」を早く決めるより、「いつでも決め直せる」ほうが大切だと思っています。状況も技術も変わるので、その時点で納得できる選択を重ねるしかありません。

そのためには、流行や周囲の空気に引っ張られず、「自分は何のために学ぶのか」「何をしたいのか」を言葉にできることが土台になります。

家庭で整える「選択できる」環境

この視点に立つと、家庭が担うべきことは「AIの操作を早く覚えさせる」よりも、目的意識・判断力・振り回されない習慣を育てる方向へ寄ります。親が先回りして正解を与えるのではなく、子どもが自分で選び、その結果を振り返って次の選択につなげられる環境が重要です。次のテーマでは、こうした家庭の役割を「教育」とは別の軸で捉え直し、学校と家庭の分担として整理していきます。


学校教育と家庭の役割分担──知育は学校、徳育は家庭という整理

  • ✅ 「教育」を学校に限定し、家庭は躾(徳育)を担うという線引きで、親が果たすべき役割を明確にします。
  • ✅ 学校に求めるのは知識や技能の学習であり、情動や自制心などの基盤は家庭で整える発想です。
  • ✅ 家庭ごとの価値観を押しつけずに伝えるためには、親が日常の振る舞いで示す姿勢が重要になります。

子育ての議論では、「教育」という言葉が広く使われる一方で、どこまでが学校の役割で、どこからが家庭の役割なのかが曖昧になりがちです。苫米地氏はこの点を整理し、「教育は学校で行うもの」であり、家庭は躾としての徳育を担う、という区分を示しています。

この区分では、学校が受け持つ中心は知識を教える領域であり、それ以外の基盤づくりは家庭に戻して考えます。苫米地氏は、知識を教えることに学校が集中し、それ以外は家庭で担うほうが自然だという方向性を語っています。

私は、「教育」という言葉を広げすぎると、何でも学校に任せる空気が強くなるのが気になります。学校は知識や技能を教える場として、そこに集中してもらうほうが分かりやすいと思っています。

一方で、家庭は家庭で、日々の生活の中で身につくものがあります。挨拶や言葉づかい、相手への配慮のようなことは、授業よりも日常の積み重ねのほうが伝わりやすいと感じています。

「教育」を学校に限定して見直す

苫米地氏の整理は、学校教育の領域を「知育」に寄せることで、家庭が担うべき徳育の輪郭をはっきりさせる狙いがあります。学校の枠内に徳育・体育など多様な要素が入り込み、「それも教育」と一括りにされるほど、親が家庭で何を引き受けるのかが見えにくくなります。

学校にいろいろな役割を背負わせるより、学校は学校の仕事をきちんとやるほうがいいと思っています。知識を教えるところは、専門性も仕組みもあるので、そこで力を発揮してもらえば十分です。

その分、家庭は「家庭でしかできないこと」を丁寧にやればいいと思っています。家庭の中での振る舞いは、子どもにとって一番身近な学びになりやすいからです。

家庭には家庭の「躾」の基準がある

苫米地氏は、家庭の躾にはそれぞれの家の価値観や背景が反映されるという捉え方も示しています。家庭の姿勢は画一的な正解に寄せるよりも、家族の中で一貫した態度として示されることが大切だという方向へ話が進みます。苫米地氏自身も、家の背景から厳しさがあったと述べています。

家庭の躾は、結局はその家の価値観が出るものだと思っています。だから、外の基準をそのまま持ち込むより、家の中で筋が通っていることのほうが大事だと感じています。

厳しさを出すにしても、優しさを優先するにしても、子どもに伝わるのは一貫性です。日によって言うことが変わると、子どもは何を拠り所にしていいか分からなくなりやすいと思っています。

徳育の中心は「情動」と「コントロール」に置く

徳育を家庭で扱うという発想は、道徳の言葉を教えることよりも、情動の扱い方や自制心といった土台を整えることへ比重が移ります。苫米地氏は、徳育の中身として情動やコントロールが含まれるという見立てを示し、そこが十分に教えられていないという問題意識にも触れています。

私は、徳育は「こうしなさい」という言葉より、感情の扱い方や自分を整える力のほうが本質だと思っています。怒りや不安が出たときに、どう受け止めて、どう行動を選ぶかが大切だからです。

家庭でできることは、小さな場面で丁寧に示すことだと思っています。例えば、失敗したときに責めるより、次の一手を一緒に考えるほうが、落ち着いて行動する感覚が育ちやすいと感じています。

このテーマでは、学校が担う知育と、家庭が担う徳育を分けて捉えることで、親の役割を「学習管理」から「人格の土台づくり」へ置き直しました。次のテーマでは、この整理を踏まえたうえで、体育や制服などが教育の中に組み込まれてきた背景をたどり、制度を当然視しない見方へ話が進みます。


体育・制服・規律は「教育」なのか──制度の由来から見える違和感

  • ✅ 体育や制服のように「学校の当たり前」とされる要素でも、そもそも教育の目的と一致しているのかを問い直す視点が必要です。
  • ✅ 体育は「教育の一部ではない」と捉え、軍事訓練の文脈から入った歴史を踏まえて整理すると、学校の役割が見えやすくなります。
  • ✅ 制服が象徴する規律や同質化が、子どもに与えるメッセージまで含めて、家庭側が意識的に補うことが重要です。

学校の制度は、長く続くほど「そういうものだ」と受け止められやすくなります。苫米地氏は、教育の定義が曖昧なまま、知育以外の要素が「教育」として学校に入り込んできた点に違和感を示しています。特に体育については、「教育の一部ではない」という切り分けを提示し、制度の由来から考える必要があると述べています。

私は、学校にあるものを全部「教育」と呼んでしまうと、何が本質なのかが分からなくなると思っています。知識を教えることと、別の目的で入ってきたものは、分けて考えたほうが整理しやすいです。

特に体育は、学ぶ内容そのものより、別の文脈で導入された経緯を意識したほうがいいと感じています。そこを見ずに「学校だから必要」と決めてしまうと、家庭が担うべき部分も見落としやすくなります。

体育は知育と同じ枠で語れない

苫米地氏は、体育を「教育の一部」とみなす前提自体を疑っています。体育は軍事訓練の流れから入ったという見立てを示し、日本の体育の源流として、当時の軍隊がイギリスのロイヤルネービーのやり方を模したという説明につなげています。

私は「体育=教育」と当たり前に言われることに、少し引っかかりがあります。体育は、知識を学ぶこととは目的が違う形で入ってきたものだと思っているからです。

もちろん体を動かすこと自体が悪いと言いたいわけではありません。ただ、「何のために、どんな文脈で入ったのか」を知ったうえで、家庭としてどう受け止めるかを決めたほうが納得感が出ると思っています。

制服が残す規律のメッセージ

体育の話は制服の話題にも連動します。苫米地氏は、海軍由来のセーラー服や、詰め襟の制服が学校制度に入り、その名残が今も残っているという見方を示しています。さらに、制服が固定され続けることが「差別」にもつながりうる、という問題意識にも触れています。

私は、制服を「伝統」や「便利さ」だけで片づけないほうがいいと思っています。どこから来た形なのかを知ると、子どもに渡しているメッセージが変わって見えるからです。

見た目を揃えることが安心につながる面はありますが、同時に「みんな同じにする」圧力も生みます。家庭では、その圧力を前提に、子どもが自分の感覚を失わないように支える必要があると思っています。

「学校がやること」と「家庭が支えること」を分け直す

苫米地氏は、知識を教える領域こそ学校が担うべきだという整理を繰り返し、知育以外を学校に抱え込ませない発想を示しています。この見方に立つと、体育や制服のような制度が残っていても、家庭側は「それを教育の中心に置かない」姿勢を取りやすくなります。

私は、学校には知識をしっかり教えてほしいと思っています。それ以外の部分まで学校に期待しすぎると、家庭が本来やるべきことが薄くなってしまうからです。

だから、制度として残っているものは「ある」として受け止めつつ、家庭の中では別の軸を育てるのが現実的だと思っています。子どもが自分で意味づけできるように、日常の会話や姿勢で補っていきたいです。

このテーマでは、体育や制服を「学校の常識」として受け入れるのではなく、由来や目的から見直すことで、学校と家庭の役割分担を立て直す視点を整理しました。次のテーマでは、家庭が育てるべき土台として、読書や暗記、情報収集の習慣がどのように思考の体力につながるのかを掘り下げていきます。


読書・暗記・情報収集がつくる思考体力──「成功」の定義までつなげる

  • ✅ 子どもの知性の土台は、読書や暗記といった「知的な遊び」の積み重ねで育ちやすいです。
  • ✅ 成功は本人の自己評価だけでは成立しにくく、人間関係の中で周囲からどう評価されるかが重要だと整理します。
  • ✅ 日々の情報収集を習慣化すると、流行や空気に流されずに判断する力が鍛えられます。

苫米地氏は、子どもの頃に熱中した遊びとして「読書」と「暗記」を挙げ、知識を詰め込むこと自体よりも、知的好奇心を習慣に変えていく感覚を語っています。また、そうした知性の土台は最終的に「社会の中でどう見られるか」という成功観にもつながるとし、家庭が担うべき基盤づくりを具体化しています。

私は子どもの頃、遊びの延長みたいな感覚で読書をしていました。物語を追いかけるというより、知識のまとまりを頭の中に入れていくのが楽しかったです。

暗記も、無理にやらされていたというより、好きでやっていました。覚えてみると見える景色が増えるので、結果として考える材料が増えていった感覚があります。

知的な遊びを「勉強」より先に置く

苫米地氏は、百科事典や歴史の全集を通して丸暗記していた経験に触れています。ここで重要なのは、受験のための詰め込みではなく、知識を自分の興味で取りに行く姿勢です。家庭でできる支援としては、成果を急かすよりも、子どもが没頭できる素材を手の届く場所に置き、知的な遊びが自然に続く環境を整える方向が示唆されます。

私は、読書や暗記を「やらなきゃいけない勉強」にすると途端に面白くなくなると思っています。面白いからやる、分かるから次に進みたくなる、という流れを大事にしたいです。

親ができるのは、難しく管理することより、触れられる本や資料を増やして、好奇心が動くきっかけを作ることだと思っています。

成功は「他者からの評価」で決まるという前提

苫米地氏は、成功を「人間関係の中で『すごい』と言われること」と定義し、逆に「だめだ」と言われれば成功ではない、と述べています。つまり成功は本人の内側だけで完結せず、他者との関係性の中で決まる、という整理です。この前提に立つと、家庭で育てるべきものは、知識量だけでなく、信頼される振る舞いや情動の扱い方など、人格の基盤へと広がっていきます。

私は、成功は「自分が成功だと思う」だけでは足りないと思っています。結局は人との関係の中で、「あの人はすごい」と言われるかどうかが大きいです。

だから、知識があるかどうかだけでなく、周りとどう関わるか、どういう人物として見られるかを大事にしたいです。

毎日の情報収集が判断の速度を上げる

苫米地氏は、日々のルーチンとして複数の新聞や海外メディアを読む習慣に触れています。情報源を一つに固定せず、広く取り込みながら「気になったらもう一度見る」という扱い方は、AI時代の意思決定にも通じます。家庭の文脈では、子どもに結論だけを渡すのではなく、材料を見比べる姿勢を日常の会話で示すことが、主体的な判断を支えます。

私は、情報はできるだけ幅を持って見たいと思っています。ひとつの見方に寄りすぎると、気づかない前提が増えるからです。

全部を深く読むというより、まず全体を早く把握して、引っかかったものをもう一回見直すほうが、自分の判断に役立つと感じています。

このテーマでは、読書・暗記・情報収集といった習慣が、思考の体力を支え、さらに「成功は人間関係の中で評価される」という見方へつながる流れを整理しました。ここまでの4テーマを踏まえると、AI時代の子育ては、道具の是非よりも、知性と徳育の土台を家庭でどう育てるかに焦点が移っていきます。


出典

本記事は、YouTube番組「縄文人になれ!?学校に行かせるな!?AI時代に親が知るべき「子育ての核心」」(苫米地英人の銀河系アカデミア/2026年1月19日公開) の内容をもとに要約しています。

読後のひと考察──事実と背景から見えてくるもの

生成AIの扱い、学校の規律、読書習慣は何を育てるのかを、国際機関のガイドラインと横断データ、査読論文を突き合わせて検証し、効果と副作用が生じる条件を整理します。[1,2,3]

問題設定/問いの明確化

子どものデジタル利用をめぐる議論は、家庭内の安心感を優先して「一律に避ける」方向へ傾きやすい一方、学習や社会参加の機会を広げる可能性も同時に含みます。国際機関の文書では、技術そのものの善悪よりも、子どもの権利と安全、透明性、学習目的との整合をどう確保するかが中心課題として示されています。[1,2]

同様に、制服や校則、体育など学校制度をめぐる論点も、「教育のため」と一括りにすると目的が混ざりやすくなります。制度がどの成果を狙い、どの副作用を伴い得るのかを分解して検討しないと、家庭が補うべき領域も曖昧になりがちです。[3]

定義と前提の整理

本稿で扱う「選べる力」とは、道具の有無を固定することではなく、目的に照らして使い方や距離を更新できる状態を指します。教育現場のICTについてOECDは、導入それ自体が学力向上を自動的に保証するわけではなく、学習目標・授業設計・利用の質が成果を左右し得ると整理しています。家庭でも学校でも、目的の言語化と振り返りが前提になります。[4]

また、学習成果は知識だけで決まりにくく、自己制御や協調といった社会情動的スキルが学業や健康行動、生活満足などと関連することが示されています。したがって「知育」と「徳育」を完全に分離して考えるより、相互に支え合う条件として捉えるほうが現実に近い面があります。[5]

エビデンスの検証

生成AIは「禁止か推奨か」より、条件設計が中心になりやすい

UNESCOは生成AIの教育・研究利用について、学習支援の可能性がある一方で、誤情報、偏り、透明性の不足、個人情報、評価の公正など複数のリスクを挙げています。ここからは、家庭の関与が「危ないから排除する」だけに寄ると、根拠確認や自己調整の練習機会が不足し得るという含意が読み取れます。[1]

UNICEFも、子どもの権利の観点から、AIの設計・運用におけるプライバシー、非差別、説明可能性などの要件を示しています。家庭が全てを管理することは現実的でない場合が多く、日常の中で「出力をうのみにしない」「別の情報源で確かめる」「個人情報を入れない理由を理解する」といった行動を繰り返すことが、長期的には選択可能性を支える土台になり得ます。[2]

さらにOECDの報告は、子どものデジタル環境を機会とリスクの両面で捉え、保護とエンパワーメントを同時に進める政策枠組みを示しています。したがって家庭の議論も、「使うか使わないか」より「安全な条件で使い、必要なら距離を取れる」状態をどう作るかへ移したほうが、制度設計と整合しやすくなります。[3]

家庭の役割は「監視の強化」だけでは説明しにくい

デジタル時代の子育てを扱ったシステマティックレビューでは、家庭の関わりは監視やルール設定だけでなく、対話、共利用、スキル支援など多面的に整理されています。単一の方法に固定するより、子どもの発達段階や生活状況に合わせて、ルールと対話を更新する設計のほうが現実的になりやすいと考えられます。[6]

欧州の大規模調査(EU Kids Online)でも、オンライン利用は機会とリスクが同時に存在し、年齢や家庭背景によって経験が異なることが示されています。一律の正解を求めるより、家庭ごとに「どの場面で、どの設定で、どの行動を約束するか」を具体化し、定期的に見直す運用が重要になります。[7]

制服は効果を断定しにくく、目的の言語化が先に必要になる

制服の導入が学力・行動・出席を単独で改善するという頑健な根拠は限定的だと、教育実践のエビデンスを整理する機関はまとめています。したがって制服を維持する場合でも、「安全」「経済負担」「帰属意識」など狙う目的を明確にし、他の手段で代替できないかを含めて検討する姿勢が求められます。[8]

また、全国規模のデータを用いた研究では、制服の有無が社会行動や問題行動、出席に一貫した改善を示しにくい一方、特定条件下では一部集団の出席に差が示唆されるなど、単純化しにくい結果が報告されています。家庭としては、制度を前提にしつつも、子どもが「目的と手段」を言語化できるよう支える余地が残ります。[9]

規律や身体の扱いは、歴史的背景と現代の目的を切り分けて点検する

学校制度の一部が、近代化の過程で身体や行動を規律化する思想と結びつきながら整備されてきた面があることは、歴史研究で論じられています。由来を知ることは、制度が学習以外の目的を含み得る点を理解し、現代の目的に照らして再設計の余地を検討する手がかりになります。[10]

身体活動は健康面の推奨が明確だが、学業への効果は条件つきで読む必要がある

WHOは子ども・若者を含む身体活動と座位行動について、健康上の推奨を示しています。座位時間が増えやすい生活環境では、学校と家庭の双方で身体活動を扱う意義は、学力以前に生活条件を整える点にあります。[11]

一方、身体活動と学業・認知の関係を扱ったメタ分析では、肯定的な関連が示されることがあるものの、介入の質や報告のばらつき、測定の違いなどの限界も指摘されています。したがって「運動すれば学力が上がる」といった単純な一般化を避け、健康、自己調整、学習条件という複数の目的を分けて検討する余地が残ります。[12]

読書と記憶の基礎体力は、AI時代ほど「判断の材料」として残りやすい

OECDPISA関連報告では、楽しみとして読む習慣がある生徒ほど読解の成績が高い傾向が示されています。ただし、家庭環境や既存の読解力などが絡み得るため、読書を単独原因として断定するより、学びの条件を整える要素として位置づけるほうが妥当です。[13]

また学習心理学では、単に読み返すよりも「思い出す練習(検索練習)」を挟むほうが長期保持が高まりやすいことが示されています。生成AIが答えを出しやすい環境ほど、必要な場面で自分の頭から取り出して検討できる状態をどう作るかが、実務的な論点になります。[14]

自己制御と自律性は「強い統制」と相性が悪い場合がある

幼少期の自己制御が成人期の健康や経済状況、犯罪など広い指標と関連することを示した追跡研究はありますが、単独因果に還元しにくく、環境要因の積み重ねとして読む必要があります。家庭だけに責任を集中させる議論は、条件の違いを見落としやすい点に注意が必要です。[15]

さらに自己決定理論の研究では、自律性は放任ではなく、理由の説明、選択肢の提示、関係性の支えなどと結びついて育つと整理されます。規律を重視するほど、短期の従順さは得られても、長期の自己調整が育ちにくいという矛盾が起こり得るため、「統制を強めるほど安心になる」とは限らない点が示唆されます。[16]

反証・限界・異説

第一に、「選べる力」を重視する立場は、生成AIの早期活用を無条件に推奨する立場ではありません。UNESCOやUNICEFの文書は、権利と安全の観点からガードレールの必要性を強調しており、家庭内でも年齢や状況に応じた制限と運用設計が前提になります。[1,2]

第二に、制度(制服・校則・体育)を点検する際は、効果が限定的という結論に急がず、「何を目的にするか」「代替手段はあるか」「副作用をどう抑えるか」を分けて検討する必要があります。とくにエビデンスが限定的な領域ほど、価値観の対立に流れやすく、議論の設計自体が成果を左右し得ます。[8,9,12]

実務・政策・生活への含意

家庭で実行しやすい運用としては、「禁止」か「放任」かではなく、目的・ルール・振り返りをセットにする方法が考えられます。例えば生成AIを使う場面では、課題の目的、根拠確認の手順、個人情報の扱い、使わない選択肢の有無を、短い会話で固定化するだけでも、長期的な自己調整に寄与し得ます。[1,2]

学校側には、機器配備だけでなく、評価の設計、教員研修、データガバナンス、信頼を確保する仕組みなど、周辺の条件を整えることが求められます。OECDのデジタル教育に関する報告は、デジタル教育を「エコシステム」として捉え、相互運用性やガバナンスを含めて設計する重要性を論じています。家庭と学校が衝突しないためには、学習目的と安全条件の共通言語を持つことが実務上の近道になります。[17]

まとめ:何が事実として残るか

国際機関の文書を照合すると、生成AIやデジタル環境は二択で整理しにくく、権利・安全・透明性・学習目的を条件として運用設計する必要がある点が確認できます。[1,2,3,4]

また、知識の学習と社会情動的スキルは分断しにくく、制度や家庭の関わり方によっては、短期の管理が長期の自律性を弱める矛盾も起こり得ます。制服や体育のような制度は目的が混在しやすい領域であり、効果の不確実性を前提に、目的の言語化と副作用の点検を続ける必要があります。[5,8,10,12,16]

読書や検索練習のような基礎的な学習行動は、AIが便利になるほど判断材料として価値が残りやすい一方、因果関係の読み違いを避ける慎重さも求められます。家庭と学校が小さく試して振り返り、条件を更新し続ける姿勢が課題として残ります。[13,14,17]

本記事の事実主張は、本文の[番号]と文末の「出典一覧」を対応させて検証可能としています。

出典一覧

  1. UNESCO(2023)『Guidance for generative AI in education and research』 UNESCO 公式ページ
  2. UNICEF Office of Global Insight & Policy(2021)『Policy guidance on AI for children 2.0』 UNICEF Innocenti 公式ページ
  3. OECD(2025)『How’s Life for Children in the Digital Age?』 OECD Publishing 公式PDF
  4. OECD(2015)『Students, Computers and Learning: Making the Connection』 OECD Publishing 公式PDF
  5. OECD(2024)『Social and Emotional Skills for Better Lives: Findings from the OECD Survey on Social and Emotional Skills 2023』 OECD Publishing 公式PDF
  6. Modecki, K. L., Goldberg, R. E., Wisniewski, P., Orben, A.(2022)“What Is Digital Parenting? A Systematic Review of Past Measurement and Blueprint for the Future” Perspectives on Psychological Science 公式ページ
  7. Smahel, D. et al.(2020)『EU Kids Online 2020: Survey results from 19 countries』 LSE eprints 公式PDF
  8. Education Endowment Foundation(年不明)“School uniform” Teaching and Learning Toolkit 公式ページ
  9. Ansari, A. et al.(2022)“School uniforms and student behavior: is there a link?” Early Childhood Research Quarterly 公式ページ
  10. 権 学俊(2018)「近代日本における身体の国民化と規律化」『立命館産業社会論集』第53巻第4号 公式PDF
  11. World Health Organization(2020)『WHO guidelines on physical activity and sedentary behaviour』 WHO 公式ページ
  12. Sember, V. et al.(2020)“Children's Physical Activity, Academic Performance, and Cognitive Functioning: A Systematic Review and Meta-Analysis” Frontiers in Public Health 公式ページ
  13. OECD(2011)“Do Students Today Read for Pleasure?” PISA in Focus No.8 公式PDF
  14. Roediger, H. L., Karpicke, J. D.(2006)“Test-Enhanced Learning: Taking Memory Tests Improves Long-Term Retention” Psychological Science 17(3) 公式ページ
  15. Moffitt, T. E. et al.(2011)“A gradient of childhood self-control predicts health, wealth, and public safety” PNAS 公式ページ
  16. Ryan, R. M., Deci, E. L.(2000)“Self-determination theory and the facilitation of intrinsic motivation, social development, and well-being” American Psychologist 55(1) 公式ページ
  17. OECD(2023)『OECD Digital Education Outlook 2023: Towards an Effective Digital Education Ecosystem』 OECD Publishing 公式PDF