終身雇用の呪縛と「辞めるまで怖かった」転職体験
元テレビ東京プロデューサーで、現在はサイバーエージェントグループのABEMA社員かつ株式会社隣の代表取締役社長として活動する高橋弘樹氏は、自身の転職について「辞めるまでがいちばん怖かった」と振り返っています。仕事自体は充実しており、テレビ東京という組織にも強い愛着がありながら、偶然のきっかけでABEMAへ転職し、経営とクリエイティブと会社員という三つの立場を同時に担うようになった経緯を語っています。この体験には、日本型の終身雇用や同期文化が働く人の心理に与える影響と、実際に一歩を踏み出した時のギャップが色濃く表れています。
私は長くテレビ東京で番組制作に携わり、本当に楽しく仕事をしてきました。現場は忙しくても、やりたい企画に挑戦させてもらえましたし、一緒に走ってきた仲間との時間は今でも大切な思い出です。正直なところ、会社を辞めるという選択肢を真剣に考えたことはほとんどなく、終身雇用的な空気の中で「このままここで頑張っていくものだ」と自然に思い込んでいました。
そんな中で、サイバーエージェントやABEMAの仕事と接点が生まれ、気付けば自分のキャリアに別のルートが見えてきました。ただ、転職を現実の選択肢として意識し始めてから実際に辞める決断に至るまでの期間は、ずっと怖さと不安がつきまとっていました。仕事の評価もそれなりに得ていましたし、辞めて失敗したらどうしようという思いも強く、頭では新しい環境に挑戦した方が良いと分かっていても、心のどこかでブレーキを踏み続けていた感覚があります。
テレ東時代とABEMA転職の舞台裏
テレビ東京での時間は、本当に良い会社で楽しく働かせてもらったという印象が強いです。番組作りの現場では、多くの人を巻き込みながら企画を実現させていくプロセスがあり、その調整や駆け引きも含めて仕事の醍醐味だと感じていました。一方で、自分の中にはもっとスピード感のある環境で、より幅広い挑戦をしたいという気持ちも少しずつ膨らんでいました。
サイバーエージェントと関わる仕事が増え、ABEMAでの企画にも携わるようになると、会社員としての立場を保ちながら、外部のプロジェクトに関わるという二重のスタンスが生まれました。その流れの延長線上で独立と転職が一気に進み、気付けば会社員と経営者とクリエイターという三つの顔を持つ働き方にシフトしていました。自分としてはかなり事故のような展開だったのですが、結果としては血圧が二十ほど下がるほど心身が軽くなり、「事故って良かった」と思えるほどの変化になりました。振り返ると、転職はよく離婚にたとえられますが、自分にとっては離婚よりもずっと簡単だったという感覚があります。
終身雇用と同期文化が生むキャリアの怖さ
辞めるまで怖かった理由を考えると、日本の終身雇用的な前提と同期文化の影響が大きかったと感じます。自分も長い間、終身雇用の呪縛のようなものの中にいて、「この会社で頑張り続けるのが当たり前」という意識から抜け出せていませんでした。同期と同じペースで昇進し、同じレールの上を進んでいくことが良いキャリアだという空気の中にいると、その流れから外れる選択をすること自体が大きなリスクのように思えてしまいます。
実際に辞めてみると、転職は想像していたほど大ごとではなく、「こんなものだったのか」と感じました。もちろん不安がゼロになるわけではありませんが、専門職としてのスキルがあれば、首になってもやり直しやすいという実感もあります。映像ディレクターとして培ってきた経験は、会社の中だけで完結するものではなく、外の世界でも通用する土台になります。その意味で、会社固有の調整能力に偏りがちなジェネラリストよりも、専門職としての軸を持つことが、転職や独立への心理的な怖さを和らげる一つの要素になったと感じています。
転職で浮かび上がる日本型キャリアの前提
高橋氏の転職体験は、終身雇用と同期文化を前提とした日本型キャリアの構造が、どれほど「辞める怖さ」を増幅しているかを示しています。一方で、実際に一歩を踏み出してみると、転職は離婚よりもはるかに軽い決断であり、想像していたほどの決定的な断絶にはならないことも浮かび上がっています。
専門性を軸にした働き方に移行することで、組織との関係性は「一社に依存する終身雇用」から「スキルを持ち寄る流動的な関係」へと変わりつつあります。高橋氏が会社員と経営者とクリエイターを兼ねる現在のスタイルは、その象徴的な姿と言えます。次のテーマでは、このような転職のしやすさや働き方の変化が、AIやDXの進展によってどのように加速し、仕事そのものの意味や楽しさをどう塗り替えていくのかという視点から整理していきます。
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AIとDXが変える仕事の中身と「遊びを仕事にする」発想
デジタル化とAIの進展により、仕事の中身そのものが大きく書き換わりつつあります。堀江氏は、定型的なホワイトカラー業務や単純作業は容赦なくAIに置き換えられていくと指摘しつつ、同時に「遊びを仕事にする」ことで働く楽しさを最大化できる時代になっていると語っています。高橋氏との対話では、AIと会話しながら生活する未来像や、エネルギーコストがほぼゼロに近づく世界を前提にしたベーシックインカム的な発想まで含めて、今後の働き方が議論されています。
私は堀江さんの話を聞きながら、AIの進化によって「これはもうAIでいい」と判断される仕事が着実に増えていく感覚を共有しています。事務作業やルーティンワークだけでなく、映像やコンテンツ制作の一部でも生成AIが活用される場面が増えてきました。人間がやる必然性の低い部分はどんどん自動化され、その分、人間はより創造的で遊びに近い領域にシフトしていくのだろうと感じています。
一方で、AIと共存する世界では「どう稼ぐか」だけでなく「どう使うか」が重要になるという指摘にも共感しています。自分が楽しいと感じることにお金や時間を使い、そのプロセス自体を仕事に変えていく発想が、これからのキャリアデザインの中心になるのではないかと考えています。
AIと仕事の関係が変わる現場感覚
現場の実感として、AIはすでに仕事道具の一つになっています。画像生成やテキスト生成のAIを組み合わせれば、ロゴ制作や資料作成のたたき台は短時間で用意できますし、アイデア出しの相手としてもかなり優秀です。GPTを自分仕様にカスタマイズして、好みや価値観を学習させながら企画の相談相手にすることも現実的になってきました。
こうしたツールを活用すると、従来は人が時間をかけていた部分がどんどん効率化され、企画の芯を考える時間に集中できるようになります。同時に、AIに置き換えられる領域にしがみつくのではなく、自分だからこそ出せる視点やストーリーをどこまで磨けるかが問われる時代になっていると感じています。
番組内では、テレビの報道番組や資料用イラストにおいても、既存素材だけでなく生成AIが活用され始めている現状が紹介されています。また、画像生成を含む各種AIを組み合わせ、自分専用のGPTを作り込むことで、日常的な作業や判断を支援させる使い方も語られています。こうした状況は、AIが単なる自動化ツールから「一緒に考える相棒」へと位置づけを変えつつあることを示しています。
リモートワークと複数拠点がもたらす働き方の自由度
働き方の面では、リモートワークを認める会社が増えたことで、生活の選択肢も大きく広がっていると感じています。地方移住や二拠点、三拠点生活を実現しながら、朝はゴルフやサーフィンを楽しみ、日中はオンラインで仕事をするというスタイルも現実味を帯びてきました。こうした暮らし方は、かつては一部のフリーランスだけの特権のように思われていましたが、今は会社員でも実現できるケースが増えています。
私自身も、会社員として組織に所属しながら、経営者として自分の会社を動かし、クリエイターとしてコンテンツを作るという複数の立場を掛け合わせることで、働き方と暮らし方の自由度を高めてきました。ITツールやクラウドサービスが整備され、オンラインでの連絡や共同作業が当たり前になったからこそ可能になったスタイルだと感じています。
番組では、リモートワークを前提にした転職によって、親との世界一周旅行を実現しようとする若者のエピソードや、ゴルフ場の近くやサーフポイントのそばに移住して、早朝に趣味を楽しんだ後に仕事をする生活スタイルが紹介されています。また、クラウドツールやスマートフォンの普及により、物理的に離れた場所で働きながらもチームと連携できる環境が整ったことで、副業や複業を前提にした柔軟な働き方を認める企業も増えている状況が語られています。
AI時代に仕事を選ぶ視点
AIとDXが進む時代において、堀江氏は「お金を稼ぐ時代ではなく、どう使うかの時代」に入っていると指摘しています。CTスキャンの購入や宇宙事業、メディア運営など、一見すると合理性だけでは説明しにくい投資や挑戦も、本人にとっては「遊びを仕事にする」プロセスの一部として位置づけられています。
こうした視点に触れながら高橋氏は、AIに代替されやすい領域から距離を取りつつ、自分ならではの興味や遊び心を核に仕事を組み立てていくことの重要性を認識しています。AIに任せられる部分は積極的に委ね、人間にしかできない創造や関係構築に集中することで、働く楽しさと成果の両方を高める道筋が見えてきます。
次のテーマでは、働くウェルビーイングという概念を手がかりに、転職や就活に不安を抱える若い世代が、どのように自分なりの幸せな働き方を描いていけるのかを整理していきます。
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働くウェルビーイングと同期文化から自由になる働き方
番組では、働きがいや幸福度を重視する流れの中で「働くウェルビーイング」という概念が取り上げられています。働くウェルビーイングは、年収や役職といった客観的指標ではなく、日々の仕事を通じて感じる充実感や満足感を指す言葉として紹介されました。高橋氏と堀江氏の対話では、日本人が働きながら幸福を高めることを妨げている要因として、終身雇用や同期文化、そして「周囲がそうしているから自分もそうする」という固定観念が挙げられています。働くウェルビーイングを軸に、自分の価値観に沿った働き方を選び直す視点が議論されています。
働くウェルビーイングという言葉を聞いたとき、正直なところ最初は少し距離のある概念のように感じていました。ですが、説明を聞いていくと、それは特別な理想論ではなく「日々の仕事を通じて自分がどれだけ満たされているか」という実感そのものだと理解するようになりました。収入や肩書きよりも、仕事のプロセスでどれだけ好奇心ややりがいを感じられるかという問いは、自分の働き方を振り返るうえでとても重要だと感じています。
自分自身を振り返ると、テレビ東京での番組制作もABEMAでの仕事も、表面的には忙しく大変な局面が多かったです。それでも続けてこられたのは、企画を考え、人と出会い、作品が世に出て反応が返ってくる過程が楽しく、そのプロセスの中に強い充実感があったからだと思います。その実感こそが、自分にとっての働くウェルビーイングの核になっていたのだと、改めて意識するようになりました。
働くウェルビーイングという視点で仕事を見直す
働くウェルビーイングの話を聞きながら感じたのは、「幸せに働くにはどうすればよいか」という問い自体が、どこか昭和的な前提を含んでいるという指摘の重さでした。仕事と幸せを別物として捉え、あとからどう結び付けるかを考えるよりも、最初から仕事そのものを自分の興味や楽しさと結び付けて設計する方が自然なのだと思います。
番組の中では、地方移住や二拠点生活、社会課題へのコミットメントなど、働きながら充実感を得ている人の具体例も紹介されていました。こうした事例に触れると、働き方は本来もっと自由で、多様な選択肢があるにもかかわらず、自分で自分の可能性を狭めてしまっている場面が多いと感じます。働くウェルビーイングという言葉は、目の前の仕事を「やるべきこと」としてこなすだけでなく、「自分がどう生きたいか」と結び付けて考え直すきっかけになると感じています。
同期文化と固定観念がつくる生き方の枠
日本人が働きながら幸福を高めることを難しくしている要因として、終身雇用と同期文化の話が出たとき、自分の経験とも強く重なりました。同じ学年、同じ会社、同じ入社年という枠組みの中で長く過ごしていると、どうしても横を見て比較する癖がつきます。出世のスピードや待遇、任されている仕事の規模を同期と比べてしまい、必要以上に焦りや劣等感を抱えてしまうことが少なくありません。
自分も若い頃は、同期が評価されれば悔しくなり、逆に同期の失敗をどこかで安心材料にしてしまうような感情がありました。そうした比較の連鎖の中で、会社の外にどれだけ多様な生き方があるかを想像する余裕が失われていきます。その結果、社内での一度の失敗が過度に大きな意味を持ち、うつっぽくなったり、仕事自体が楽しく感じられなくなったりすることもあります。振り返ると、同期文化は青春のような楽しさを与えてくれる一方で、働くウェルビーイングを損なう要因にもなり得ると感じています。
働きながら幸せを感じるためのヒント
番組では、視野を広げて外の世界や異なるコミュニティに触れることが、働くウェルビーイングを高めるうえで重要だと語られています。同じ会社や同期だけで完結する人間関係から一歩外に出て、年代やバックグラウンドの異なる人と関わることで、自分の生き方や働き方の選択肢が一気に広がるという指摘です。オンラインサロンや複業コミュニティなど、会社以外のコミュニティに参加して小さな挑戦を積み重ねることで、転職や独立といった大きなライフイベントへの心理的なハードルも下がっていくと説明されています。
高橋氏自身も、終身雇用や同期文化という「当たり前」から距離を取り、会社員と経営者とクリエイターという複数の立場を組み合わせることで、自分なりの働くウェルビーイングを高めてきました。堀江氏は、若い世代にとっては労働力不足の時代背景も相まって、むしろ選択肢が豊富であり、自分の価値を過小評価する必要はないと強調しています。働くことと幸せを両立させるためには、固定観念に縛られたレールから一度離れ、多様なコミュニティの中で自分の価値観や楽しさの軸を見つめ直すことが重要であるという結論が示されています。
こうした議論を通じて、働くウェルビーイングは特別な人だけのテーマではなく、多くの人が日常の中で少しずつ選び方を変えることで高めていけるものであることが浮かび上がります。記事全体を通じて語られてきた転職の怖さ、AI時代の仕事の変化、同期文化の影響といった論点は、最終的に「自分がどのように働きながら幸せを感じたいか」という一つの問いに集約されます。
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出典
本記事は、YouTube番組「「辞めるまで怖かったけど…」元テレ東・高橋弘樹が激白、ABEMA転職は”事故みたいなもん”新時代の働き方をホリエモンと考える」および「幸せに働けていないアナタへ「はたらくと幸せは共存できるか」/HORIE ONE+」(NewsPicks/2025年2月28日公開)の内容をもとに要約しています。
読後のひと考察──事実と背景から見えてくるもの
日本では、転職や独立に関する不安が語られる一方で、長期雇用や同期文化への違和感、AIやリモートワークが開く新しい働き方への期待も同時に存在しています。このギャップは、個人の性格だけでなく、戦後に形作られた雇用慣行や社会保障の仕組みと密接に結びついていると考えられます[1,2]。本稿では、「転職の怖さ」「AIが変える仕事」「働くウェルビーイング」という三つの観点を、データと研究に基づいて丁寧に見直していきます。
問題設定/問いの明確化
まず整理しておきたい問いは三つあります。
第一に、日本で「会社を辞める」という行為が、なぜここまで重い決断として感じられやすいのかという点です。長期雇用を前提にした制度や、同期と足並みを揃えることを重視する文化が、心理的ハードルを高めている可能性があります。
第二に、AIや自動化、テレワークといった技術や制度の変化が、仕事の中身や安定性をどのように変えつつあるのかという点です。しばしば「仕事が奪われる」と表現されますが、国際機関の分析は、より多面的な影響を示しています[2,7]。
第三に、「働くウェルビーイング(仕事を通じてどれだけ充実していると感じるか)」を高めるために、どのような条件を整えることが有効なのかという点です。仕事の自律性、ワークライフバランス、雇用の安心感など、複数の要素のバランスが重要だと考えられています[4,5,6,8,9]。
定義と前提の整理
ここで扱う「終身雇用」は、主に大企業を中心に、正社員を長期に雇用し、社内の配置転換や年功的賃金・昇進を通じて人材を育成する日本型の雇用慣行を指します。労働政策の研究によれば、この仕組みは依然として一定程度維持されており、長期雇用が所得や退職給付、社会保険と結びつくことで、生活の安全網として機能してきたとされています[1]。
同時に、OECDは日本について、長期雇用や年功賃金、正規・非正規の二重構造が、労働移動の低さやジェンダー格差の一因となっていると指摘しています[2]。特に若年層や女性が非正規雇用に偏りやすく、賃金やキャリアの面で不利な立場に置かれやすいことが、生活設計や家族形成にも影響していると分析されています。
本稿で用いる「働くウェルビーイング」は、年収や役職といった外的な成功指標ではなく、日々の仕事の中で感じるやりがい、充実感、ストレスの少なさなどを含む、主観的な働きやすさの概念として扱います。国際調査でも、仕事の有無だけでなく、仕事内容や自律性、人間関係が生活満足度を大きく左右することが繰り返し示されています[4,9]。
エビデンスの検証
1. 長期雇用と転職の現実
労働研究機関のレビューによれば、日本の長期雇用は高齢化や産業構造の変化の中で比重を減らしつつも、大企業を中心に依然として重要な仕組みとして残っているとされています[1]。長期雇用は、安定した所得と社会保障を通じて生活の基盤を支える一方、社内での昇進や評価にキャリアが強く依存する構造も生み出してきました。
他方で、日本企業が中途採用を行う割合は近年大きく増えています。企業調査では、ここ数年で中途採用を実施した、あるいは予定している企業が約8割に達しており、経験者採用が人材確保の中心手段になりつつあると報告されています[3]。また、転職後に賃金が上昇したと回答する転職者も一定数おり、人手不足を背景に、転職が賃金改善の機会になっている側面も指摘されています[3]。
このように、心理的には「辞めるのが怖い」と感じやすい一方で、市場としては転職や中途採用が一般的な選択肢として広がっており、「レールから外れる行為」というより、多様なキャリアパスの一つになりつつあると言えます。
2. 職場エンゲージメントとストレスの実態
長く同じ会社にいることが、必ずしも働く人の満足度を高めているとは限りません。Gallupの世界調査によると、日本の従業員エンゲージメント(仕事への熱意や自発的な関与の度合い)は6%にとどまり、世界平均を大きく下回っています[4]。多くの人が「職場にいるが、心はあまり仕事に向いていない」状態にあると解釈されています。
同じ調査では、日本の従業員の多くが日常的に高いストレスを感じており、「生活がうまくいっている」と自己評価する割合も世界平均より低いことが示されています[4]。OECDの経済審査でも、日本は長時間労働が依然多く、ワークライフバランスや女性の就業継続が課題であると指摘されています[2]。すなわち、長期雇用が提供する安定と引き換えに、時間面・心理面での負荷が高くなっている可能性があります。
3. 仕事の自律性とウェルビーイング
仕事の自律性(仕事の進め方やペースをどれだけ自分で決められるか)は、ウェルビーイングにとって重要な要素と考えられています。中国の労働者を対象とした研究では、残業時間が長いほど主観的幸福感が低下する一方で、仕事の裁量権が高い場合、その悪影響が緩和されることが報告されています[5]。これは、忙しくても自分でコントロールできる感覚があれば、負担の受け止め方が変わることを示唆します。
ワークライフバランスと生活満足度の関係を扱ったOECD諸国の比較研究でも、長時間労働の削減や柔軟な働き方の導入が、生活満足度の向上と関連していることが示されています[9]。このような結果から、「どの会社に所属しているか」だけではなく、「どの程度自分で働き方を調整できるか」が、働くウェルビーイングの鍵になっていると考えられています。
4. テレワークがもたらす自由度と揺らぎ
内閣府の研究では、日本におけるテレワーク導入の効果がパネルデータを用いて分析されています。その結果、企業のテレワーク制度の変更を利用した推計において、テレワーク導入が労働時間の短縮や主観的な幸福度の改善と関連する傾向が示されています[6]。通勤時間が減ることや、働く場所を選べることが、一定のプラスに働いていると解釈されます。
一方で、テレワークの影響は一様ではありません。自宅環境が整っていない人や、仕事と私生活の境界が引きにくい人にとっては、かえってストレスが増えるという結果も指摘されています[6]。また、テレワーク自体が難しい職種も多く、恩恵を受けやすい層とそうでない層の格差が生じていることも報告されています。テレワークは働き方の自由度を高める可能性を持つ一方、その設計や運用次第で負担にもなり得ると考えられます。
5. AIは仕事を「奪う」のか、「変える」のか
AIと仕事の関係については、過度な恐怖と過度な楽観の両方を避ける必要があります。OECDの雇用アウトルックによると、AIを含む自動化技術の発展により、高い自動化リスクにさらされている職業は加盟国平均で雇用全体の約4分の1と推計されています[7]。一方で、現時点ではAI導入が賃金や雇用全体に与えた大規模な悪影響は確認されておらず、主に業務の一部を補完・効率化している段階にあるとされています[7]。
同レポートの調査では、AIと共に働いている労働者の多くが、危険で単調な作業が減った、仕事の一部が楽になったといったポジティブな影響も感じている一方で、将来の雇用に対する不安は依然として強いことが示されています[7]。総じて、AIは仕事を完全になくすというより、「仕事のどの部分を人間が担い、どの部分を機械に任せるか」という分担を変えている段階にあると考えられます。
6. 雇用不安とメンタルヘルス
「辞めたら生活が成り立たないのでは」という不安の背景には、雇用の不安定さが心身の健康に及ぼす影響もあります。非正規雇用や契約の不安定さとメンタルヘルスの関係を分析した体系的レビューでは、雇用不安や不安定な働き方が、うつ症状や不安のリスク上昇と有意に関連することが報告されています[8]。
この結果は、長期雇用が提供する「安定」が、単に経済的な安心だけでなく、健康面にも重要な役割を果たしている可能性を示しています。逆に言えば、転職や独立といった選択を取る場合には、収入や社会保障、周囲のサポートなど、雇用不安を和らげる「安全網」をどれだけ準備できるかが、ウェルビーイングを守るうえで非常に重要になると考えられます。
反証・限界・異説
ここまでのエビデンスを踏まえると、いくつかの単純化されたイメージには注意が必要だと考えられます。
第一に、「終身雇用=悪」「転職=善」といった二分法です。長期雇用は依然として生活の安全網として機能しており、社内での経験蓄積や人間関係の深まりといった利点も持っています[1,2]。同時に、長時間労働や柔軟性の低さ、正規・非正規の格差、低いエンゲージメントといった課題も抱えており[2,4]、一概に評価することは難しい構造と言えます。
第二に、「AIやテレワークがあれば自動的に幸せに働ける」という期待も慎重に考える必要があります。AIや自動化は一部の作業を軽くする一方で、監視感の強まりや、仕事の意味づけの変化といった新しい負担を生む可能性も指摘されています[7,8]。テレワークも、環境やマネジメントのあり方次第で、自由度向上にもストレス増大にもなり得ることが示されています[6]。
第三に、「転職すれば必ず幸せになれる」という見方も、データだけでは裏付けられていません。転職後に賃金や仕事内容が改善するケースがある一方で、不本意な転職を繰り返すことで待遇や健康が悪化するケースも報告されています[1,3,8]。重要なのは、どのような準備と選択のもとで移動を行うかという点です。
実務・政策・生活への含意
1. 個人にとってのヒント
個人の立場から見ると、「辞める怖さ」を和らげるための一つの方向性は、市場で通用するスキルと、仕事の自律性を少しずつ高めていくことです。会社の中だけで通用するスキルではなく、他社や他業種、他地域でも活かせるスキルを意識的に身につけることで、心理的な選択肢が増えます。
同時に、雇用不安がメンタルヘルスに影響するという研究結果を踏まえると[8]、転職や独立を検討する際には、生活費のクッション、保険、家族との役割分担、相談できるネットワークなど、「リスクを支える仕組み」をあらかじめ整えておくことが重要です。働くウェルビーイングは、勇気だけでなく、準備と安全網の設計によっても左右されると考えられます。
2. 企業にとっての示唆
企業側にとっては、長期雇用を維持するかどうかにかかわらず、従業員のウェルビーイングとエンゲージメントを高める仕組みづくりが欠かせない課題になりつつあります。仕事の自律性を高める裁量の付与、テレワークと出社のバランス設計、評価プロセスの透明化などは、その具体的な手段として挙げられます[2,5,6]。
AI導入についても、「人を減らすための道具」としてだけ位置づけると不安を増幅させますが、「人間が得意な部分に集中するためのインフラ」として活用することで、ウェルビーイングと生産性の両立に近づきやすくなります[7]。どの業務をAIに任せ、どの業務を人間が担うかを丁寧に設計することが、これからのマネジメントの重要な論点になります。
3. 政策にとっての示唆
政策レベルでは、二重構造の是正やワークスタイル改革の継続が重要です[2]。非正規と正規の格差縮小、リスキリング・再教育への公的支援、失業時の安全網の強化などは、労働移動の「怖さ」を和らげるうえで不可欠と考えられています。
また、ワークライフバランスと生活満足度を扱った研究では、長時間労働の是正や家族政策の充実が、生活満足度の向上と関連していることが示されています[9]。働き方改革や育児・介護との両立支援は、個人の問題にとどまらず、社会全体のウェルビーイングを底上げする政策テーマとして位置づけられます。
まとめ:何が事実として残るか
本稿で見てきたエビデンスから、いくつかの点が「事実として残る」ように思われます。
第一に、日本の長期雇用は依然として生活の安全網として重要な役割を果たしている一方、非正規との格差や労働移動の低さといった構造的な課題も抱えていることです[1,2]。
第二に、転職や中途採用は確実に増えており、「レールから外れる」特別な行為から、労働市場の一つの選択肢として広がりつつあることです[3]。しかし、誰にとってもプラスになるわけではなく、準備や条件によって結果が大きく変わり得ることも示されています。
第三に、AIとテレワークは仕事を一気になくすのではなく、「仕事の中身」と「求められるスキルの組み合わせ」を変えている段階にあり、その影響は職種や個人の状況によって異なることです[6,7]。
第四に、働くウェルビーイングを左右する鍵として、「仕事の自律性」と「雇用の安心感」、そして「ワークライフバランス」が重要であることが、多くの研究から繰り返し示されています[4,5,8,9]。
「辞めるのが怖い」という感覚は、単に気持ちの問題ではなく、こうした構造とリスクの上に成り立っています。その前提を理解したうえで、自分にとってのスキル、自律性、安全網のバランスをどう設計するかが、これからのキャリア選択の中心課題になると考えられます。この課題は簡単に結論づけられるものではなく、今後もデータと現場の声を行き来しながら検討が必要とされるテーマとして残り続けます。
本記事の事実主張は、本文の[番号]と文末の「出典一覧」を対応させて検証可能としています。
出典一覧
- Japan Institute for Labour Policy and Training(2022)『The Future of the Japanese Long-Term Employment Society: The Consequences of Post-Industrialization and Increase of Unmarried Workers』Japan Labor Issues, Vol.6 No.37 公式ページ
- OECD(2024)『OECD Economic Surveys: Japan 2024』OECD Publishing 公式ページ
- Nippon.com(2025)『Midcareer Hiring Boom Shakes Up Japan's Job Market』Nippon.com 公式ページ
- Gallup(2024)『State of the Global Workplace 2024 Report』Gallup 公式ページ
- Yang, S. et al.(2023)『Overtime work, job autonomy, and employees' subjective well-being: Evidence from China』Frontiers in Public Health, 11:1077177 公式ページ
- Economic and Social Research Institute, Cabinet Office(2024)『Effects of telework on employee's working styles and well-being: Evidence from Japan(ESRI Discussion Paper Series No.386)』 公式ページ
- OECD(2023)『OECD Employment Outlook 2023: Artificial Intelligence and the Labour Market』OECD Publishing 公式ページ
- Rönnblad, T. et al.(2019)『Precarious employment and mental health: a systematic review and meta-analysis of longitudinal studies』Scandinavian Journal of Work, Environment & Health 45(5), 429–443 公式ページ
- Noda, H.(2020)『Work–Life Balance and Life Satisfaction in OECD Countries: A Cross-Sectional Analysis』Journal of Happiness Studies 21(4), 1325–1348 公式ページ