自分とか、ないから――古舘伊知郎が説く現代人のための仏教思想

「自分探し」と無我の思想

古舘伊知郎氏は動画の中で、東洋哲学を通じて「自分とは何か」という普遍的な問いに光を当てています。その核心にあるのは、釈迦が説いた「無我」という教えです。自分探しに迷う人にとって、この思想は驚くほど新鮮な答えを提示していると指摘しています。

1. 自分を空にすることで得られる力

仏教の中心的な概念である「無我」は、固定された自分など存在しないという考え方です。人は自分の存在を強く意識し、そこに価値や意味を見いだそうとしますが、釈迦はむしろ「自分は空である」と説きました。空とは、空っぽという意味ではなく、あらゆる存在が相互に依存して成り立っているということです。

この視点に立てば、自分ひとりの力で生きているわけではないと気づけます。そして、自分を空にすることによって「他者や自然からの大きな力＝他力」を受け取ることができると古舘氏は強調しています。浄土系仏教が説く「他力本願」もその延長線上にあり、個人の限界を超える支えがそこにあるとされています。

2. 「自分とか、ないから。」が示す若者へのメッセージ

古舘氏が特に注目したのが、新名P氏による著書『自分とか、ないから。』です。この本は30代半ばの著者が、自身の虚無感や挫折を背景に仏教と出会い、「自分探し」の答えを見つけていく過程を綴っています。タイトルが端的に示すように、本書のメッセージは「自分という固定的な存在はない」というものです。

この言葉は、一見突き放すように響きますが、実は自分に縛られて苦しむ人にとって救いになります。固定された自分像に囚われることなく、空っぽだからこそ新しい可能性が流れ込む。その柔軟な姿勢こそが、生きづらさを和らげる手がかりとなるのです。

3. 無我の教えと現代の生きづらさ

自分探しに熱中する人ほど、理想の自分像と現実の自分の間で葛藤しやすくなります。古舘氏はこの点を踏まえ、「無我」の視点が現代人の苦しみを和らげると解説しています。そもそも自分とは、変わらない実体ではなく関係性の中で立ち上がる一時的な存在にすぎません。そのことに気づけば、完璧な自分像を追い求める必要はなくなるのです。

新名氏自身も、東大合格という栄光の後に挫折し、布団にこもる日々を送った経験を持ちます。その虚無感の中で東洋哲学に触れたことで、苦しみは必ずしも「克服するもの」ではなく、「受け入れることで軽くなるもの」だと理解するに至りました。古舘氏はこの過程を紹介しつつ、無我という思想が若者だけでなく、幅広い世代に通じる普遍的な力を持つことを示しています。

日常に落とし込む仏教の視点

古舘氏は、難解に思われがちな仏教思想を日常生活の中で理解できるよう工夫して語っています。動画の中では、コンビニのファミチキや満員電車といった身近な例えを用いて、「自分はいない」という無我の思想をわかりやすく示しました。これにより、哲学が机上の空論ではなく、日常に直結する知恵であることが浮き彫りになります。

1. ファミチキで学ぶ「自分はいない」という真理

古舘氏は、自分という存在が固定された実体ではないことを説明するために、ファミチキを例に挙げました。人の体は日々食べ物によって作られており、例えばファミチキを食べればその鶏肉が体の一部となります。つまり、現在の自分の体は過去に食べた食べ物で構成されているという事実です。

さらにその鶏も虫や草を食べて成長しており、その草は太陽の光や水から成り立っています。こうした循環を考えれば、自分という存在は独立したものではなく、無数の他者や自然とのつながりの中で成り立っていることがわかります。この気づきこそ、仏教が説く「無我」の具体例であると古舘氏は指摘しています。

2. 満員電車が教えるつながりの感覚

もう一つの例として、満員電車で他人の吐いた息を吸い込んでしまう状況が挙げられました。自分の体内に他人の息が入り込み、また自分の吐息が相手に取り込まれる。この見たくもない現実が示すのは、個々の存在が閉じたものではなく、常に他者と交換し合う関係にあるということです。

古舘氏は、この状況を「ユニフォーム交換のようにお互いを構成し合っている」とたとえました。嫌悪感を伴う場面ですら、仏教の「すべてはつながっている」という真理を直感的に理解できる機会になると示しています。

3. 固定された自分という幻想

ファミチキや満員電車の例が示すのは、どんな人間も常に外部との関係性によって成立しているという事実です。固定された「自分」という実体はなく、むしろ他者や環境と絶え間なく入れ替わりながら存在しているにすぎません。この感覚は、仏教の「諸法無我」を日常レベルで実感できる入り口となります。

古舘氏は、自身の長年の説明よりも、このような身近な比喩の方がスッと心に入ると認めています。その姿勢は、難解な哲学をどう現代人に届けるかという課題に真摯に向き合うものであり、まさに仏教を生活に活かす実践例といえます。

言葉の魔法と人間関係のフィクション

古舘氏は、仏教の「無我」の教えをわかりやすく伝えるために、日常的な人間関係を題材にしました。彼が強調するのは、私たちが当たり前に使う言葉が人間関係を固定化し、実態のない役割を生み出しているという点です。この気づきは、言葉の魔法によって「自分」という幻想が作られていることを理解するきっかけになります。

1. 彼氏彼女という関係性の虚構

古舘氏は、恋愛関係を例に挙げて言葉の働きを説明しました。ある人が「私は彼氏です」と名乗るとき、それは必ず「彼女」という存在との関係性の中で成り立ちます。彼女がいなければ「彼氏」という役割は存在しません。したがって、彼氏や彼女という呼び方は、言葉によって一時的に固定化されたフィクションにすぎないのです。

この視点を広げれば、友人、夫婦、同僚といった関係性もすべて言葉によって成り立っています。別れや変化があれば役割は消滅し、存在そのものも揺らいでしまいます。固定された自分など存在しないという仏教の思想が、ここに重なっているのです。

2. 兄弟や親子の「同い年」という発想

さらに古舘氏は「兄と弟はどちらが先に生まれたのか」という問いを投げかけました。一般的には兄が先と答えますが、実際には弟が生まれた瞬間に兄という役割が成立するため、両者は同時に生まれたことになります。この逆転の発想は、言葉がいかに人間関係を規定し、現実を形作っているかを浮き彫りにしています。

同様に「親と子」も同い年だと古舘氏は語ります。子が生まれた瞬間に親も誕生するのだから、年齢差はあっても関係としては同時に成立するというわけです。この考え方は、親としての固定観念に縛られず、柔軟に関係を見つめ直すヒントになります。

3. 言葉に縛られない自由な視点

これらの例が示しているのは、私たちが普段「当たり前」と思っている自分や人間関係が、実は言葉による仮の構築物であるということです。言葉がなければ彼氏も彼女も存在せず、親や子という区分も曖昧なものとなります。言葉の魔法が作り上げた世界に私たちは生きており、それを実体のあるものと勘違いしているのです。

古舘氏は、この事実を理解することが「無我」の実感につながると指摘しています。言葉によって固定された自己像から解放されれば、人はより柔軟に他者と関わり、生き方を見直すことができるのではないでしょうか。仏教の教えは、言葉に支配されない自由な視点をもたらしてくれるのです。

東洋哲学と仏教の核心に触れる

古舘氏は動画の中で、難解な仏教哲学に向き合いながらも、それをわかりやすく伝えようと試みています。彼が繰り返し語るのは、仏教が本来持つ深い宇宙観と、その教えをどう現代人に届けるかという課題です。唯識やアビダルマといった専門的な思想を例に挙げながら、古舘氏自身の葛藤も赤裸々に語られています。

1. 難解な唯識哲学への挑戦

唯識は大乗仏教の中でも高度な哲学体系であり、「すべての現象は心の働きによって成立する」と説きます。古舘氏はこれを若い世代に語ろうとしたものの、専門的すぎて伝わらなかったと振り返っています。その経験を通じて、自分の理解が不十分なまま語ることの危うさを痛感し、より平易な言葉で伝える必要性を強調しました。

この姿勢は、仏教思想を広く社会に届けるために不可欠な課題を浮き彫りにしています。難解な哲学をそのまま語るのではなく、受け手の視点に立った説明が求められているのです。

2. アビダルマが示す宇宙観

古舘氏が注目したもう一つの思想が「アビダルマ」です。これは釈迦の死後、数百年をかけてまとめられた膨大な経典群であり、宇宙や存在をどのように捉えるかを徹底的に分析した体系です。大乗仏教が登場する以前に成立しているため、釈迦の教えにより近い形で宇宙観が整理されているとされています。

このアビダルマは、存在が常に変化し続ける「諸行無常」の世界観を土台に、人間の苦しみと解脱の道筋を宇宙的なスケールで描き出しています。古舘氏はこの壮大な哲学に魅力を感じつつも、自身が理解しきれていないことを認め、安易に語ることは避けました。その慎重さは、学びを深めようとする真摯な姿勢を示しています。

3. 古舘氏の学びと葛藤

仏教や東洋哲学を伝えることの難しさについて、古舘氏は繰り返し反省を口にしています。若い世代にとっては難解すぎ、年配の世代にとっては身近に感じにくい。そうした壁をどう越えるかが大きな課題だと語りました。

その一方で、古舘氏は「人生後半そろそろ仏教に触れよう」という共著を紹介し、40代以降の世代に向けて仏教を学ぶ意義を訴えています。自身の経験を踏まえながら、哲学的な深さを損なわず、同時にわかりやすく伝える道を模索しているのです。この試みは、東洋哲学を現代社会に橋渡しする挑戦として大きな意味を持ちます。

［出典情報］

このブログは人気YouTube動画を要約・解説することを趣旨としています。本記事では古舘伊知郎氏が出演する「【自分とか、ないから。①】東大卒で元芸人で拗らせニート。布団にこもり続けて見つけた答えとは。」を要約したものです。

読後のひと考察──事実と背景から見えてくるもの

本稿では、東洋哲学の中核にある「無我」や「縁起」という観点を、現代の自己観・メンタルヘルス・社会的関係性の問題と結びなおし、外部の信頼できる資料から事実関係を確認しつつ補足・反証の論点を提示します。とりわけ、若年層に広がる不安・抑うつの実態、瞑想実践の効果と限界、そして言語や社会制度が「自分」や人間関係をどう形づくるかに焦点を当てます（OECD 2025）。:contentReference[oaicite:0]{index=0}

「無我」とアイデンティティ──前提の確認

仏教における「無我」（アナッター）は、変わらない実体的な自己を措定しない立場として要約できます。これは「人は物理的・心理的な諸要素と過程の集合として把握できる」という心の理論と結びついて語られてきました。したがって、「固定的な自分像に執着しない」ことは仏教思想の主要な含意ですが、同時に倫理や責任の放棄を意味しない点にも留意が必要です（Stanford Encyclopedia of Philosophy）。:contentReference[oaicite:1]{index=1}

文化差と「自分探し」──データで見えること

心理学の古典的研究は、「独立的自己観」と「相互協調的自己観」が文化により強弱を異にすることを示してきました。これは「自分をどのように定義し行動するか」に関する前提条件が社会的に学習されることを示唆します（Markus & Kitayama, 1991）。一方で、パンデミックを挟んだ近年の統計は、若年層のメンタルヘルスの悪化や複合的な不調の増加を報告しており、「自己観の教育」だけでは十分でない広範な要因（学校環境、経済状況、睡眠・運動など）が関わることを示しています（OECD 2025、OECD 2023）。:contentReference[oaicite:2]{index=2}

実践の科学的エビデンス──効用と限界

ストレス軽減や気分症状に対する瞑想・マインドフルネスの効果は、無作為化比較試験に基づくメタ分析で「小〜中等度」の改善が示されています。例えば、成人を対象とした系統的レビューでは、不安・抑うつ・痛みに対して有意な効果が報告されています（Goyal et al., 2014）。一方、うつ病の再発予防という限定された臨床目的においては、マインドフルネス認知療法（MBCT）が再発リスク低減に資する可能性が複数の試験で示唆されてきました（Kuyken et al., 2015）。ただし、学校現場での「全員必修型」導入の有効性については、英国の大規模クラスターRCT（MYRIAD）が、通常授業に対する優位性を示さなかったことを報告しています。実施の方法（任意参加か、ホームプラクティスの遵守度など）が効果を左右する可能性が指摘されています（Evidence-Based Mental Health, 2022）。:contentReference[oaicite:3]{index=3}

有害事象と安全性──「万能薬」ではないという反証

近年は、瞑想やマインドフルネスに伴う望ましくない体験・有害事象の把握も進みつつあります。メタ分析は、研究デザインにより幅はあるものの、不安増悪や抑うつ、解離的体験などの報告が一定割合で生じうることを示しています（Farias et al., 2020、Britton et al., 2021）。米国国立補完統合衛生センターも、効果とともに安全性への配慮、適切な指導や既往歴の確認の重要性を周知しています（NCCIH, 2022）。この点は、「実践すれば必ず楽になる」という一方向のメッセージに対する重要な留保となります。:contentReference[oaicite:4]{index=4}

言葉と関係がつくる自己──社会的実在の視点

「彼氏」「同僚」「親」といった呼称は、自然物の属性ではなく、社会的な役割や規範によって成立するカテゴリーです。社会哲学では、こうした社会的事実が相互作用や共同意図にもとづいて形成される過程が分析されてきました。したがって、人が自分を役割名で固定しすぎると、変化の途上にある関係まで「本質」と誤認するリスクが生じます（Stanford Encyclopedia of Philosophy）。この視点は、仏教の「固定的な自我をとらない」という態度と、社会科学的な「役割の再検討」を橋渡しします。:contentReference[oaicite:5]{index=5}

倫理と責任──「無我」は道徳を空洞化するのか

「自己は実体でない」としても、仏教倫理は具体的な戒・徳目を通じて行為の評価と責任の枠組みを保持してきました。無我は道徳の否定ではなく、執着の弱化を通じて害の少ない行為を促す方向に働く、という解釈が学術的に整理されています（Stanford Encyclopedia of Philosophy）。ここでは「自己像に固執しない」ことと「結果に対する説明責任」は両立しうると理解されます。:contentReference[oaicite:6]{index=6}

歴史的・制度的な含意──伝達の難しさと失敗例から学ぶ

高度な教義や瞑想技法を「誰にでも同じように」届ける試みは、しばしば実装面での壁に直面します。学校ベースの普及策が効果を示さなかった事例は、内容そのものよりも「対象・動機・支援体制・実施忠実度」の組み合わせが鍵であることを示します（MYRIAD試験）。人々の文化的自己観や生活上の制約、支援資源へのアクセスの差を踏まえた、多層的な支援設計が必要という含意が導かれます（OECD 2023）。:contentReference[oaicite:7]{index=7}

まとめ──前提を吟味し、複数の道を確保する

以上の検討から、「固定的な自己像から自由になること」は多くの人の苦悩を和らげうる一方、それ単体を万能の処方箋とはみなさない慎重さが求められるといえます。文化的文脈、教育・労働・家族環境といった制度的要因、そして実践の副作用への目配りを同時に行うことが、より現実的な選択肢を開きます。最終的に、人は自他・関係・制度の中で変化し続ける存在です。だからこそ、どの概念や技法をどの場面で用いるのが妥当か、前提条件を確かめながら運用していく姿勢が今後も求められると考えられます。

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