昭和の政治構造が再来した高市政権の正体
高市早苗氏の政権発足は、多くの国民にとって「変化への期待」を抱かせるものでした。しかし、ひろゆき氏はこの人事構成を見て「昭和の時代がそのまま戻ってきた」と評しています。彼がそう語る理由は、高市政権の中核に据えられた顔ぶれが、かつて日本政治を支配してきた派閥・裏金・宗教の構造を再現しているからです。
具体的には、幹事長代行に萩生田光一氏、党副総裁に麻生太郎氏、そして財務関係を握るポジションに鈴木俊一氏が就任した点が象徴的です。これらはいずれも、旧来型の自民党政治を体現してきた人物であり、結果として「改革よりも安定」「刷新よりも保守」を優先する布陣となりました。ひろゆき氏は、この構造がまさに昭和期の自民党そのものであり、再び「派閥と裏金の政治」に戻る兆候だと指摘しています。
1. 派閥・裏金・宗教団体が復活する自民党の現状
ひろゆき氏は、かつての自民党政治の根幹を「金と宗教でつながる派閥」と表現しています。派閥に所属すれば選挙資金が得られ、政治活動を支える裏金が流れる。その資金源を確保するために、宗教団体や業界団体と深く結びつく。こうした構造が昭和の政治文化でした。そして今回の高市政権でも、同じ構造が復活しつつあると警鐘を鳴らしています。
特に問題視されているのが、萩生田氏の登用です。統一教会との関係を指摘されてきた人物が党の幹部として復帰することは、自民党が「過去の清算」を済ませていないことの証明だとひろゆき氏は見ています。本来であれば、宗教団体との関係を断ち、政治と信仰の分離を徹底することが求められるはずです。にもかかわらず、かつての“窓口役”が権限を回復している現状は、まさに昭和の延長線上にあるといえるでしょう。
2. 「改革できない自民党」構造的な限界とは
また、ひろゆき氏は「誰が総裁になっても自民党の体質は変わらない」とも語っています。その理由は、組織構造そのものが「既得権益を守るためのシステム」になっているからです。たとえ改革派と呼ばれた石破茂氏が総裁になっても、政策を実行するためには派閥の合意や財務省の意向に従わざるを得ない。つまり、個人の意思よりも組織の慣習が優先される仕組みが、すでに固定化されているのです。
この「改革できない構造」は、裏金や癒着の問題を断ち切れないだけでなく、政策決定の遅れや責任の曖昧化を招いてきました。昭和の政治では「派閥の論理」で政策が決まり、平成の政治では「官僚主導」が強まりました。令和の現在も、根本的には同じ構図が続いているとひろゆき氏は指摘しています。つまり、政治家が主導しているように見えて、実際には派閥と官僚機構のバランスの中で動かされているという現実です。
この状況のままでは、国民の生活に直結する課題――たとえば所得格差、円安、教育費の負担など――に対して迅速かつ抜本的な対策を打つことはできません。ひろゆき氏は、こうした硬直した政治構造こそが「日本を変えられない最大の病理」であり、まさに昭和の政治文化が現代に蘇った証拠だとしています。
さらに、彼は今回の政権交代を「国民が自民党の昭和的体質を見極める最後の機会」と位置づけています。表向きは安定と経験を掲げながら、その実態は派閥と利権の再強化に他ならない。高市政権の命運は、この“昭和的構造”を乗り越えられるかどうかにかかっているのです。
昭和の価値観が日本経済を停滞させる理由
高市政権の人事を「昭和回帰」と評したひろゆき氏は、その延長線上で日本経済の停滞をもたらしている根源的な要因を語っています。彼が指摘するのは、「昭和的価値観から脱却できない社会の構造」です。勤勉・根性・同調といった美徳が、かつての高度経済成長を支えたのは確かですが、現代のグローバル経済ではむしろ成長の足かせになっているといえます。
昭和の時代には、長時間労働と終身雇用を前提に「働けば報われる」という明確な信念が存在しました。しかし、今の日本では生産性が上がらず、実質賃金が下がり続けています。それでもなお、政治や企業が昭和の成功モデルを信じ続けていることが、ひろゆき氏の言う“日本病”の本質です。彼はこの価値観を「時代に取り残された信仰」と表現し、今の日本社会がそれを信じる限り、経済の再生はないと警告しています。
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1. グローバル化拒否がもたらす経済の衰退
ひろゆき氏は、昭和的政治が経済に悪影響を及ぼす具体的な例として「グローバル化への拒否反応」を挙げています。彼によれば、外国人労働者の受け入れやIT産業への投資は、日本経済の成長を支える重要な要素です。しかし、保守的な政治勢力の中には「外国人を減らせ」「昭和の日本に戻せ」という発想がいまだに根強く存在しています。これが日本の競争力を削ぎ、国際社会との乖離を広げているのです。
近年、観光や飲食業では多くの外国人労働者が支えとなっています。彼らがいなければ、サービス産業は立ち行かない状況です。にもかかわらず、政治がナショナリズムに傾き、「日本人だけで成り立たせよう」とする動きが強まれば、現場は崩壊します。ひろゆき氏はこれを「現実を無視した幻想」と呼び、昭和型の自給自足モデルではもはや経済を維持できないと述べています。
また、IT分野における遅れも同じ構図です。昭和の官僚体制は紙文化と会議文化を重んじ、変化を嫌う性質を持っています。その結果、デジタル庁が設立されても実態はアナログのままで、行政改革が進まない。ひろゆき氏は、こうした保守的な官僚構造を温存する政治こそが「昭和の亡霊」だと指摘しています。
2. 昭和的繁栄を信じ続ける層の誤解
もう一つ、ひろゆき氏が問題視するのは「昭和的繁栄の再現を信じる世代の思考」です。かつて日本が輸出立国として世界を席巻した時代を理想化し、同じやり方で再び成長できると信じる層が一定数存在します。彼らはグローバル化を敵視し、「外国資本に頼らない日本こそ正義だ」と考えがちです。しかし、世界経済の構造が変化した今、その考え方は通用しません。
たとえば、インバウンド需要や海外観光客による消費は、日本の地域経済に大きく貢献しています。これは昭和の時代には存在しなかったビジネスモデルです。また、スタートアップや外国資本による新しい雇用も、現代の日本を支える力になっています。それを否定して昭和型の製造業モデルに固執するのは、過去への郷愁でしかないとひろゆき氏は指摘します。
昭和の経済構造では、人口増加と内需拡大が成長のドライバーでした。しかし現在は少子高齢化が進み、国内市場は縮小しています。その現実を直視せず「昔はうまくいった」という記憶にすがる限り、日本は衰退のスパイラルから抜け出せないのです。
ひろゆき氏は、こうした昭和的価値観が残る背景には「安心への執着」があると見ています。新しい仕組みを取り入れるより、慣れ親しんだ枠組みの中で生きるほうが安全だと感じる国民心理です。しかしその“安心”が、結果的に経済を硬直化させ、若者が挑戦する機会を奪っているのです。
高市政権がこの構造をどこまで変えられるかは未知数です。ただ、ひろゆき氏は「もしこのまま昭和の価値観に依存するなら、日本の衰退は決定的になる」と明言しています。政治が変わらなければ、経済も変わらない。昭和の成功体験を断ち切り、時代に合った新しい価値観を受け入れられるかどうか――それが日本の再生の分岐点だと強調しています。
円安と世界情勢──アメリカ内政不安がもたらす通貨危機
日本経済の混乱を語る上で、ひろゆき氏は「円安の進行」を避けて通ることはできないとしています。彼の分析によれば、現在の急激な円安は単に日銀の金融政策だけが原因ではなく、世界情勢とアメリカの政治不安が深く関係しているといいます。
とりわけ注目すべきは、トランプ前大統領の動きです。ひろゆき氏は、アメリカが再び「分断国家」になりつつある現状を危険視しています。トランプ氏は一部の州兵を他州に派遣しようとし、裁判所がそれを止めるなど、国内の政治対立が深刻化している状況です。ひろゆき氏は「アメリカは今、内戦寸前の空気を漂わせている」と述べ、これがドルへの信頼を揺るがしていると分析しています。
1. トランプ再登場とアメリカの内戦リスク
アメリカの政治的混乱は、かつて映画『シビル・ウォー』が描いた「国内のイデオロギー対立による分裂」が現実味を帯びてきたかのようだと、ひろゆき氏は語ります。共和党と民主党の対立はすでに政治闘争の枠を超え、宗教観・人種問題・移民政策など社会全体の価値観の衝突へと発展しています。これにより、世界最大の経済国であるアメリカの安定性が失われ、ドルの信用が下がりつつあるのです。
アメリカへの信頼が揺らぐと、国際市場では「安全資産」とされていたドルを避ける動きが生まれます。ひろゆき氏は「ドルが信頼を失えば、相対的に円も弱くなる」と指摘します。本来であれば、ドルが下がれば円が上がるのが自然な為替の動きです。しかし、現在の日本は経済基盤が脆弱で、投資先としての魅力が低いため、ドル安にもかかわらず円高にならない。つまり「ドルも弱いが円はさらに弱い」という異常な状態が続いているのです。
2. ドルへの信頼低下が進む中での日本の苦境
このような国際的な通貨不安の中で、日本が直面しているのは「構造的な円安」です。ひろゆき氏は、エネルギーや資源を輸入に頼る日本にとって、円安は単なる為替問題ではなく生活全体を直撃する問題だと述べています。石油や小麦など、すべてドル建てで取引されるため、円の価値が下がれば物価上昇が避けられないのです。
かつて1ドル360円の固定相場制だった時代には、政府が為替を直接コントロールしていました。しかし現在は市場が自由に決める「変動相場制」です。円が売られれば価値が下がり、買われれば上がる。ひろゆき氏は、この仕組みが理解されないまま「政府が何とかしてくれる」という期待だけが残っていると指摘します。
また、日銀の政策対応の遅れも問題視しています。上田総裁が「利上げを検討する」と発言しても実行に移せず、円売りが止まらない状況です。かつて1ドル160円まで円安が進んだ際には政府が為替介入を行いましたが、今回はその動きが鈍い。ひろゆき氏は「もはや日銀が打てる手は限られている」と分析し、金融政策の限界を明確にしています。
さらに、アメリカの政治不安に加え、国際市場では新興国やユーロ圏の通貨も不安定化しています。そのため、かつてのように「ドルが下がれば他が上がる」という単純な構図ではなくなっているのです。ひろゆき氏はこの現象を「世界同時通貨不信」と呼び、通貨価値よりも実物資産に投資が集中する流れが強まっていると分析しています。
つまり、現代の円安は一国の金融政策では解決できないグローバルな構造問題であり、政治の安定性こそが最大の経済指標になりつつあるということです。
ひろゆき氏はこの状況を「アメリカのトランプ現象と日本の昭和回帰は、どちらも過去への執着が招いた現象」だと結論づけています。どちらの国も、自国第一主義や懐古主義に基づいた政治を展開しており、それが経済不安と社会分断を加速させているのです。彼の言葉を借りれば、「昭和型政治とアメリカ型ポピュリズムは、同じ病の別の顔」だといえるでしょう。
円安の問題は、単なる為替の数字ではなく、政治と社会の信頼の鏡です。日本がこの流れを断ち切るには、まず「昭和の成功体験」から脱却し、現代の国際秩序の中で自らの立ち位置を再定義する必要があります。そうでなければ、円の価値だけでなく、国家としての信頼までも失いかねません。
トリクルダウンの幻想と格差拡大の現実
ひろゆき氏は、日本経済を長く縛ってきた「トリクルダウン理論」に強い疑念を示しています。彼の主張によれば、アベノミクスが掲げた“富が上から下へと自然に流れる”という構想は現実に起きず、むしろ格差を固定化する仕組みとして働いてきたといいます。
この理論の前提は、企業や富裕層が豊かになれば、その恩恵が庶民へと波及するというものでした。政府はこの発想のもとに金融緩和を進め、株価の上昇を経済回復の象徴として打ち出しました。しかし、ひろゆき氏は「株価は上がっても生活は上がらない」と指摘し、その効果が実体経済に及ばなかった現実を浮き彫りにしています。
1. アベノミクスが庶民を救えなかった理由
アベノミクスの中核政策である「異次元緩和」は、日銀が市場に大量の資金を流し込み、企業の資金繰りと投資を支えるものでした。確かに企業の株価は上昇し、上場企業の内部留保は過去最高を更新しました。しかし、その利益は労働者の賃金や地方経済にはほとんど届いていません。ひろゆき氏は「利益が企業に溜まるだけで、下に流れてこない」として、これを“上が詰まった経済”と評しています。
その結果、富裕層は資産運用でさらに富を増やす一方、一般家庭は物価上昇と税負担に苦しむ構図が定着しました。特に非正規雇用の拡大は深刻で、働いても生活が安定しない層が拡大しています。ひろゆき氏は「政府が庶民の努力では追いつけない経済を放置している」と批判し、制度設計そのものが格差を再生産していると警告しています。
さらに問題なのは、株価を支えてきたのが実体経済ではなく、日銀による“官製相場”だった点です。中央銀行がETF(上場投資信託)を買い支えることで、市場の下落を抑え続けてきました。その結果、日銀は日本企業の大株主となり、自由市場の原理が歪められたのです。ひろゆき氏は「それはもう市場ではなく、延命装置に過ぎない」と表現しています。
2. 「株価だけ上がる国」日本の構造的問題
トリクルダウンが破綻したもう一つの理由は、政治が「株価を上げること」だけを成果とみなしてきたことです。株価が上がれば経済は好調だという“見かけの繁栄”を演出し、実際の生活指標である実質賃金や可処分所得の低下を軽視してきました。ひろゆき氏は「国民の財布が軽くなっているのに、政府は成功だと言い張っている」と皮肉を込めて語っています。
この「株価依存型経済」には深刻な副作用があります。企業が内部留保を増やしても、消費が拡大しなければ税収も伸びません。個人消費が冷え込めば、中小企業は倒産に追い込まれ、地方経済は衰退します。にもかかわらず、政治は依然として大企業優遇の政策を続け、庶民の生活支援を後回しにしています。
ひろゆき氏は、この構図を「昭和的政治の経済版」と表現しています。派閥や業界団体への配慮が優先され、国民全体の生活改善よりも既得権益の維持が優先される。つまり、政治が格差の是正ではなく、格差の管理を行っているのです。彼の見立てでは、このままでは日本は「緩やかな衰退を続けるだけの国」になりかねません。
また、富裕層に集中した資金は、消費ではなく資産運用や海外投資に流れます。国内にお金が回らないことで経済の循環が止まり、若者世代の所得は伸びず、物価だけが上がる。ひろゆき氏は「上が詰まった経済では、いくら下で努力しても報われない」と語り、経済政策の根本的な方向転換を求めています。
彼の提言は明快です。富の再分配を進め、教育・医療・住宅など“生活の土台”に予算を回すこと。それこそが中間層を再生させ、持続的な経済成長を生み出す唯一の道だと強調しています。上を潤わせる発想から、下を支える仕組みへ――それが次の時代の経済モデルであるべきだというのが、ひろゆき氏の結論です。
トリクルダウンの幻想はすでに終わりました。これから求められるのは、数字ではなく実感を重視する政治と経済です。ひろゆき氏の言葉を借りれば、「庶民が笑えない経済は、成長しているとは言えない」ということではないでしょうか。
教育費と少子化──「年収1000万でも苦しい」社会の誤算
政治と経済の歪みが最も深刻に現れているのが、教育と子育ての領域です。ひろゆき氏は「年収1000万円でも子育てが厳しい」と語り、その背景に日本の制度的欠陥があると指摘しています。物価上昇と教育費の高騰が家計を圧迫し、結果として少子化を加速させているのです。
彼によれば、日本では子どもを育てることが“経済的リスク”になっています。大学進学までに必要な教育費は1人あたり平均1,000万円を超えるとされ、私立大学や塾に通えばさらに費用がかさみます。その結果、「子どもを持つほど生活が苦しくなる」という構造が当たり前になり、出生率の低下が止まらないのです。
1. 教育コストが家庭を追い詰める構造
ひろゆき氏は、教育費の問題を「社会の設計ミス」と表現しています。高度経済成長期には、親が働けば子どもを大学に通わせられる時代がありました。しかし今は違います。共働きでも生活が苦しく、子ども1人を進学させるのが精一杯。特に都市部では、家賃や物価の上昇も加わり、年収1000万円世帯でも貯蓄が難しい状況にあります。
この構造を生んだ原因の一つが、国の教育投資の少なさです。OECD諸国の中で、日本の教育への公的支出は常に最下位クラスに位置しています。大学授業料は先進国の中でも高水準であり、奨学金も実質的には「借金」として返済を求められます。ひろゆき氏は「教育を国が投資ではなく“個人の負担”と見なしている」と批判しています。
また、彼は教育費問題を「中間層の崩壊」とも関連づけています。高所得層は子どもを海外留学に送り出せる一方で、一般家庭は塾代や授業料に追われる。教育格差がそのまま所得格差につながる社会では、子どもの将来は“生まれた家”でほぼ決まってしまいます。この不平等が、若い世代の結婚・出産意欲を奪っているのです。
2. 本質的な少子化対策は「教育の無償化」
こうした現状を踏まえ、ひろゆき氏は「少子化対策の本丸は教育の無償化にある」と強調しています。単に児童手当を増やすだけでは、根本的な負担軽減にはつながりません。子育ての最大の障害は、将来への不安――特に「教育費が払えるかどうか」という心理的圧力だからです。
彼の主張は明快です。「教育費を心配せずに子どもを育てられる社会になれば、出生率は自然に上がる」。北欧諸国では大学まで教育が無償で、結果として若者の将来設計が安定しています。日本がその仕組みを取り入れない限り、どんな補助金政策を行っても効果は限定的だというのが、ひろゆき氏の見立てです。
また、教育費の国費負担には経済的な意味もあります。子ども世代が高等教育を受けることで将来の納税額が増え、社会全体の生産性も上がります。つまり「教育への公費投入は支出ではなく投資」なのです。ひろゆき氏は「教育無償化は少子化対策であり、同時に経済成長戦略でもある」と位置づけています。
その一方で、政治がこの方向に踏み切れない理由も明らかにしています。財務省が歳出削減を最優先し、既得権を守る構造が根強く残っているからです。ここでも「昭和的な官僚政治」が壁となり、現代社会の課題に即した政策転換を阻んでいるとひろゆき氏は語ります。結局、教育政策すらも派閥と財務官僚の都合で決まるのが現実なのです。
彼の提言は、単なる理想論ではありません。「教育費を国が全額負担する国」は世界に多数存在します。日本がそれをできないのは、政治が国民の将来よりも財政均衡を優先しているからだと分析しています。昭和の時代には「借金を残すな」という価値観が強くありましたが、ひろゆき氏は「借金を残しても教育を残せ」と主張します。人材こそが最大の国力であり、それを育てることが次の時代を作る唯一の道だという考え方です。
年収1000万円でも苦しい――この言葉は、単なる嘆きではなく、制度の欠陥を突いた警鐘です。教育費の問題は、すでに中間層の限界を示しており、今の日本社会が“昭和の延長線上”で生きていることの象徴でもあります。ひろゆき氏は「今こそ政治が未来を担う世代に投資すべきだ」と結び、日本の構造転換の必要性を強く訴えています。
[出典情報]
このブログは人気YouTube動画を要約・解説することを趣旨としています。本記事では「昭和の時代は2026年に終わったと言われる(ひろゆき)」を要約したものです。
読後のひと考察──事実と背景から見えてくるもの
本稿では、提示された主張を第三者の統計・白書・主要報道機関の調査報道に基づいて検証します。政治資金と派閥構造、行政のデジタル化、賃金と労働市場、円安の構造要因、トリクルダウン理論の実証、教育費と少子化――これら六つの論点を整理し、どの前提がデータで裏付けられ、どこに異なる見解があるのかを丁寧に確認します。
政治資金・派閥をめぐる統治の脆さ
「派閥と資金の結び付き」という指摘には一定の根拠があります。与党派閥の政治資金不記載問題では、検察捜査や関係者の辞任が相次ぎ、派閥と資金集めの制度的リスクが浮き彫りとなりました(Reuters)。また、宗教団体と政治の関係では、特定法人の解散命令が司法で確定し、長年の問題が行政・司法の是正対象となってきました(AP News)。これらは「旧来型の政治文化が残存する」という仮説を裏付けますが、同時に法的枠組みが機能している点も踏まえる必要があります。
「改革できない構造」仮説の検討:デジタル統治と政策実行
行政のデジタル化は、統治能力の実証的指標の一つです。OECDの「デジタル政府指数(2023)」によると、日本はデータ活用や利用者中心設計の項目で加盟国平均を下回り、依然として改善の余地があるとされています(OECD Digital Government Index 2023)。ただし同報告は、政策改善の余地や成功事例も併記しており、単純な「体質論」で説明するのは不十分といえます。
賃金・物価・労働力:価値観と現実のずれ
日本の賃金停滞は、統計的にも確認されています。OECDによると、エネルギー価格や為替変動の影響を受け、実質賃金は長期的に伸び悩んでいます(OECD Employment Outlook 2024)。さらに、2040年時点で約100万人の外国人労働者不足が予測されており(Reuters)、労働力確保のための受け入れ政策は避けられない課題です。一方、反移民的な言説が一部で広がる動きも報じられ、社会的合意形成が今後の政策実行を左右することが予想されます(AP News)。
円安の主因は何か:金利差と輸入構造、そして政策の限界
円安は単一要因では説明できません。2024年以降の急激な円安の背景には、日米の金利差拡大とキャリートレードの活発化があり、政府の為替介入でも基調は反転しにくい状況が続きました(Reuters、Reuters)。また、ドル建て輸入依存が高いため、為替変動が物価に直結します。日本銀行の報告では、金融政策の段階的引き締めがシステム安定性と物価抑制の両立を図る難しさを示しています(日本銀行「金融システムレポート」2024年10月)。2025年にはETF保有の段階的売却も決定され、官製相場の正常化が進行中です(Reuters)。
トリクルダウンの検証:分配と成長の関係
「上から下へ富が流れる」という理論は、実証的には支持されていません。IMFの研究によれば、富裕層の所得シェア拡大は成長率を押し下げる傾向にあり、むしろ低・中所得層の所得上昇が持続的成長に寄与するという結果が示されています(IMF、IMF News)。また、中央銀行によるETF保有の縮小は、株価依存型経済からの脱却を模索する動きといえます。
教育費と少子化:家計負担の構造と政策選択
教育への公的支出はOECD平均を下回り、家計負担が大きいことが指摘されています(OECD Education at a Glance 2025)。出生数は9年連続で減少し、2024年には過去最低を更新しました(Reuters)。厚労省統計によれば、少子化の背景には婚姻件数減少・教育費負担・労働環境など複合要因が重なっています(厚労省統計)。教育の無償化や奨学金の拡充は、短期的には財政支出を要しますが、長期的には人的資本の蓄積を通じて税基盤の拡大につながるという「投資」視点が国際的にも共有されています。
歴史的比較と倫理的含意:透明性と世代配分
派閥・資金・業界の結び付きは世界的に見られますが、統治の信頼性は情報公開と利益相反管理の制度によって左右されます。日本でも司法・監査・行政調査が機能しており、是正メカニズムは存在します。ただし、透明性と納得感の確立には継続的な制度改善が不可欠です。教育・医療・子育てに公的資源を重点配分することは、分配の問題にとどまらず、将来世代の選択肢を広げる「自由の拡張」として位置づけられます(OECD Society at a Glance 2024)。
おわりに:前提を点検し、選択肢を広げる
政治資金・行政・賃金・通貨・分配・教育の各課題は、いずれもデータで裏付け可能な現実です。ただし、それぞれの性格は異なり、「昭和的回帰」という単一のラベルで括るより、制度と政策手段を再設計する視点が必要です。過去の成功体験に依存せず、将来世代の選択肢を最大化する配分をどう設計するか――その合意形成こそ、今の日本社会に求められる最重要課題といえるでしょう。