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【羽生善治×成田悠輔】「将棋と人間の終わり方」──制度・嫉妬・柔軟な人生観

「アイドルのような棋士」──羽生善治の特異な存在感

YouTube番組「with対談連載」にて成田悠輔氏が羽生善治氏と語り合った本対談の後編では、羽生氏の将棋観、制度観、そして人間としての柔軟な人生観が、にじみ出るように展開される。冒頭から成田氏は、羽生氏の存在を「学者界にこんな人はいない」と評し、将棋という世界を超えた文化的アイコンとして見ていることを明言する。

実際に、将棋界では棋士が副業・外部活動を自由に行えるため、羽生氏のように異業種と積極的に交流し、メディアにも登場する存在は極めて稀でありながら認知度が高い。

その一方で、羽生氏自身は将棋界の小ささを冷静に捉えており、顔見知りばかりの狭い共同体であることから「外の世界との接点が重要」と語る。


将棋界の“閉じた生態系”──年齢制限と編入試験の壁

プロ棋士になる道は極めて限られている。毎年新たにプロになる人数は、わずか数名。

一般には26歳までに育成機関を通過しなければならず、それ以降は“編入試験”という狭き門しか残されていない。しかも、その制度自体が誕生して間もない。

羽生氏は、近年初めてアマチュアから編入でプロ入りした人物を紹介しつつ、「理論的には40代・50代からでも不可能ではないが、実質的には困難」と述べる。

背景には、幼少期から積み重ねる訓練時間の壁がある。AIによるトレーニングが可能な現代でも、この“時間的積み重ね”の重要性は変わっていないということだ。


感情の浄化装置としての将棋──嫉妬はなぜ起きにくいのか

閉じた世界にいるからこそ、嫉妬や確執が生じやすそうに見える将棋界だが、羽生氏は意外にも「むしろ少ない」と答える。

理由は、「結果がはっきり出るから」。

将棋は1局ごとに勝敗が明確につき、審判もいない。

すべてが自己責任であり、言い訳の余地がない。

この「潔さ」は、嫉妬が生まれにくい構造を生んでいる。評価と成果の一致、理不尽さの少なさ、それによる感情のリセット。このサイクルこそが、将棋界における健全な人間関係の土台を作っていると羽生氏は語る。


ゲームとしての“完成度”──将棋の進化と洗練

話題は将棋というゲームそのものへと移る。

羽生氏は、「将棋のルールは長い時間をかけて洗練されてきた」と述べ、特に「持ち駒の再使用」や「盤面サイズの最適化」など、戦略とテンポのバランスが絶妙だと評価する。

これに対して成田氏は、「ルール自体をAIに設計させることもできるのでは」と問いかける。例えば、将棋やチェスのようなゲームルールを無数に生成し、それをAI同士で数百万回プレイさせたうえで、最も戦略的に面白く、試合時間が適度に収束するルールを抽出する──これは、**“AIが発明する新しい将棋”**という発想に近い。

羽生氏はこれに強い関心を示し、「今度やってみます」と応じる。将棋が伝統の象徴であると同時に、未来の遊戯設計に向けたヒントの宝庫であることが浮かび上がった瞬間である。


“見る将棋”の時代へ──プレイヤーから鑑賞者へ

将棋人口について羽生氏は、「プレイ人口は減っているが、観る文化は拡大している」と分析する。子どもや高齢者はプレイに熱心だが、働き盛り世代はプレイよりも観戦・中継・SNSなど、“観る将”として関わる傾向が強くなっているという。

これは、将棋が“競技”から“文化的コンテンツ”へと移行している兆しでもある。動物将棋のような入門型ゲーム、ネット中継、データベース解説などが、この“文化としての将棋”を支える土台になっている。

会長就任の理由──羽生善治が背負う「将棋100年目の決断」

2025年、羽生善治氏は日本将棋連盟の会長に就任した。

その理由を問われた羽生氏は、将棋連盟が翌年100周年を迎えることを一つの節目として挙げる。これまで将棋界を支えてきた先人たちへの感謝と、これからも残していきたいという責任感が、決断の背景にあるという。

特に印象的だったのは、新聞社との共進化の話である。

将棋のタイトル戦の大半は、新聞社がスポンサーを務めており、活字文化の繁栄と将棋界の発展は密接にリンクしてきた。羽生氏は、「新聞の文化と将棋は近代以降ずっと共に歩んできた」と述べ、今後はインターネットの中でその関係性をどう再構築するかが課題になると語った。


他のゲームとの違い──“スターを生む競技”としての将棋

成田氏は、将棋の世界に“スーパースター”が誕生すること自体が非常に珍しい現象だと語る。スポーツや芸能であればスーパースターが生まれるのは当然だが、将棋のようなニッチな競技でも羽生善治藤井聡太のような国民的な存在が現れるのは不思議だという。

羽生氏はこれに対し、将棋の裾野が広かった昭和期の「縁台将棋文化」や、将棋盤一つで遊べる手軽さを背景に、“庶民的ながらも高度な知的競技”としての地位が確立されてきたことが要因だと説明する。

将棋は一見閉じた世界だが、どこかで常に日本社会の文化の中心とつながってきた──そうした文脈が、スターの登場を可能にしたのだろう。


家元制度の終焉──関根金次郎と「実力主義」への革命

将棋界の歴史を変えた大事件として、羽生氏が挙げたのは13世名人・関根金次郎の決断だった。江戸期の将棋界は、お茶やお花と同じく“家元制度”が存在していた。

世襲で地位を継ぎ、競争のない名人職が続いていた時代に、関根は自らその制度を終わらせ、実力制に移行するという英断を下した。

この改革により、将棋は名実ともに「勝った者が上に立つ」競技となり、制度的正当性と公正さが確立された。羽生氏はこの出来事を、「将棋界で最も大きな変化」だと評価し、今日の繁栄の基盤となっていると語る。

この事実は、単なるルール変更ではない。文化と制度の交差点で、伝統に切れ目を入れた人間の物語であり、現在に通じる「民主的な競争社会」のモデルでもある。


将棋を“教養”として捉える未来──教育との接点

羽生氏はまた、将棋を「教養」や「たしなみ」として捉えることの重要性を説く。子どもの頃に覚え、大人になるにつれて自然と手放しても、“一度身につけた知的な嗜み”として定着してほしいという願いを述べた。

成田氏はこれに応じ、「プログラミングの授業があるのなら、将棋やゲームの授業があってもいい」と提案。将棋には、論理的思考、記憶力、判断力、そして責任感を養う要素が詰まっており、まさに“思考の筋トレ”として教育的効果が高い。

もっとも、義務教育に導入するにはさまざまな現実的ハードルがある。だが、プログラミングや金融教育がカリキュラムに加わる現代において、「将棋のような“無意味に見えて深い学び”」を重視する動きは、今後広がっていく可能性がある。


棋士人生の“終わり方”──変化を受け入れるという選択

最後に、成田氏が「どのように棋士人生を終えたいですか?」と問いかけると、羽生氏は静かにこう答える。

「今40歳の自分が60歳になったら引退しようと思っても、60歳の自分はたぶん別のことを考えている」

この言葉は、将棋という明快な世界で生きてきた男の、人生に対する極めて柔軟な姿勢を象徴している。「しんどいと思うことはしょっちゅうある」と語りながらも、やめたいと思ったことはない。

自己否定に陥りやすい個人競技だからこそ、あえて深く考えすぎず、流れの中で判断していくという姿勢が求められるのだという。

これは、定年制度やキャリア設計が揺らぐ現代においても重要な示唆である。未来の自分に柔軟であること、そして“いまここ”を生きること。その実践者が羽生善治なのかもしれない。


おわりに──羽生善治は制度を守り、ゆっくりと壊していく

この対談を通じて明らかになったのは、羽生善治という人物が制度を内側から理解し、そして少しずつ柔らかく再構成していく存在であるということである。

伝統を守る一方で、新しいゲームルールの可能性や、AIとの協働、教育現場への導入、観る文化への展開──それらを同時に語れる存在は稀である。

羽生善治は将棋界の会長であると同時に、**日本の知の制度を未来へ渡す“柔らかい改革者”**でもあるのだ。


✅ 出典情報

出典元動画:
『【成田悠輔×羽生善治】後編/祝・羽生さんが日本将棋連盟会長に就任!』
公開日:2024年10月31日
チャンネル:with online
👉 https://youtu.be/HWy1dALM8FA
※本記事は上記動画の後編内容に基づいて構成しています。