1. はじめに──「ホモ・デウス」とは何か?
『ホモ・デウス』は、ベストセラー『サピエンス全史』の続編として書かれた本です。前作では、人類がいかにしてこの地球の支配者になったかが描かれましたが、本作ではその「次」、つまり人類がどこへ向かうのか──神のような存在「ホモ・デウス」へと進化していくのかを探っていきます。
タイトルにある「ホモ・デウス(Homo Deus)」とは、ラテン語で「神となった人間」。サル(ホモ)である私たちが、神(デウス)になろうとしているという挑発的な概念です。
岡田斗司夫さんはこの本の上巻(特に前書き=第0部)が最も面白いと語り、動画ではこのパートに多くの時間を割いて紹介しています。そこで語られるのは、人類史における3大災厄──飢餓、疫病、戦争──との戦いと、そこからの「卒業」です。
2. 人類が克服しつつある3つの災厄
飢餓の歴史と現代の肥満問題
人類は長らく「飢える」ことに苦しめられてきました。中世ヨーロッパや古代中国では、干ばつが起きれば人口の1割が餓死することも珍しくありませんでした。1692〜1694年には、フランスで280万人、エストニアで人口の20%、フィンランドでは30%が餓死するという悲惨な飢饉が起きています。
しかし現代では、飢餓よりも肥満が人類の健康を脅かしているという状況です。2014年の時点で、栄養不良の人が約8億人だったのに対し、太り過ぎの人は21億人。太り過ぎで死亡した人が300万人を超えた一方で、飢餓や栄養不良による死者は約100万人。これはまさに逆転現象です。
ハラリはこれを「21世紀のマリア・アントワネットの助言が実現した」と皮肉を込めて表現しています。
パンがなければお菓子を食べればいいのに──いまや、貧しい人はパンすら手に入らず、安いスナック菓子で空腹を満たしているのです。
疫病の恐怖から感染症制御へ
感染症もまた、長く人類を苦しめてきました。特に「ペスト」はその象徴とも言える存在で、ヨーロッパ人口の3割、イタリアの一部地域では5割もの人が死亡しました。
さらに凄まじいのが、1918年のスペイン風邪。第一次世界大戦終結直前、わずか1年で世界人口の5%にあたる1億人が死亡しています。この数字は、当時の世界大戦の戦死者の倍以上。ウイルスの殺傷力が戦争を上回っていたのです。
しかし現在では、天然痘の根絶(1979年)をはじめとして、SARS、エボラなども短期間で封じ込められるようになりました。それでもマラリアなどのリスクは残りますが、「制御可能な問題」として認識されるようになった点が、歴史的には非常に重要です。
戦争の激減と「平和の方が儲かる」論
そして3つ目が戦争です。これもまた、20世紀までの人類にとって最大の死因の一つでした。第二次世界大戦では約4000万人が死亡しています。
ところがハラリは、次のような衝撃的なデータを提示します。
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古代農耕社会:死因の15%が戦争
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20世紀:5%
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21世紀:1%未満
2012年の世界死者数6500万人のうち、暴力による死は62万人。その中で戦争が占めるのは12万人だけです。
一方で、同年に糖尿病で死んだ人は150万人、自殺で80万人。
「もはや火薬よりも砂糖が人を殺す時代だ」と岡田さんはまとめます。
なぜ戦争が減ったのか? ハラリは2つの要因を挙げます。
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核兵器による抑止力
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経済構造の変化(物的資源 → 知識経済)
特に後者が興味深いです。現代の富は、土地や資源ではなく、シリコンバレーのような「知識と技術」から生まれています。だからこそ、戦争によってそれを奪うことはできず、むしろ平和のほうが経済的に合理的。これが、現代社会を安定させる新しいロジックとなっているのです。
3. 人類の夏休みと「次の目標」
こうして飢餓・疫病・戦争という3つの「期末テスト」を乗り越えた人類は、いま、「巨大な夏休み」に突入したと岡田さんは表現します。
しかし、人類は不安に駆られるサル。不安を感じ、何かを目指さずにはいられない。そこで、ハラリが提示する「人類の新たな挑戦」が登場します。
1. 不死の追求──死を克服する技術への賭け
ハラリは、近未来における最大の挑戦の一つを「不死(Immortality)」の追求だと位置づけています。もちろん、文字通りの「永遠の命」ではなく、「死を遠ざける」ことが現実的な目標となります。
この動きは、すでに現実のものです。
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Googleの子会社「Calico(キャリコ)」:目的は「死を解決すること」。数百億円単位の資金が投下されています。
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ピーター・ティール(PayPal創業者):本気で「自分は死なないつもり」で生きていると公言。数世紀にわたる寿命の延長を見込んでいます。
岡田さんいわく、「これはただのトンデモ話ではなく、国家規模で起こっているリアルな構想」。21世紀後半に生まれた人類は、数百年単位の寿命を持つ可能性がある、という予測がすでに研究機関から出ているのです。
2. 幸福の再定義──国家から個人へ
ハラリが次に示すのは、「幸福(Happiness)」の追求です。これは、単なる感情論ではなく、哲学史と政治思想の地平から捉えるべき問題です。
もともと幸福は、古代ギリシャの哲学者エピクロスによって「人生の目的」とされていました。彼は神々の存在や死後の世界を否定し、現世での快楽(=痛みのない状態)こそが最善であると説きました。
しかしこの考えは、長らく社会の中心には据えられませんでした。ベンサムやミルの功利主義を経て、ようやく18〜19世紀に国家政策の一部となり、以下のような制度に結実します:
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福祉
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医療
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教育
これらはもともと「国家のため」に導入されたものでした。戦争で勝つため、経済を成長させるため。ところが20世紀後半から21世紀にかけて、これらは完全に「個人の幸福のための制度」へと再定義されていきます。
長生き、健康、教養、豊かさ──
それはもう国家のためではなく、自分の幸せのために存在する。
この転換こそが、現代人の生き方を根底から変えました。ハラリはこの構造を「幸福を限度なく追求する時代」と呼んでいます。
3. アップグレード──神のような能力を人間が得るとき
最も衝撃的なのが、3つ目のプロジェクトです。ハラリはこれを「人間のアップグレード(Upgrading Humans)」と呼びます。
その内容は以下の3分野に分かれます:
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生命工学(Biotech)
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遺伝子編集によって「太らない体」「病気にならない体」を作る
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例:CRISPRによる遺伝子の再設計
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サイボーグ工学(Cyborg)
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非有機的生命体(AI的存在)
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人間の記憶や思考をデータ化してクラウドにアップロード
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人間の「意識」をハードウェアから分離する発想
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岡田さんが強調したのは、ここまで来ると「もはやホモ・サピエンスではない」という点です。アップグレードされた人類は、ネアンデルタール人とサピエンスの違いのように、「別の種」として扱われるようになる。
それがタイトルの意味する「ホモ・デウス(神となったサル)」です。
4. 軽頭蓋直流刺激装置と集中力の支配
未来のアップグレードの具体例として、岡田さんが紹介したのが**軽頭蓋直流刺激装置(tDCS)**です。これは、脳に微弱な電流を流すことで集中力や精神状態を制御する技術です。
現在すでにアメリカ空軍では、スナイパーやドローン兵の集中力維持に活用されています。また、統合失調症やうつ病治療にも効果があるとされ、一部ではゲーム機器として市販されています。
実験に参加した記者サリー・アディの証言が印象的です:
「あらゆる雑音が頭の中から消えた」
「心の中でささやくネガティブな声が聞こえなくなった」
「もう一度、あの装置を使いたいという欲求がずっと続いた」
これはまさに「人間の内面を操作できる技術」の兆候であり、ある意味で幸福や集中力すら「スイッチ一つでON/OFFできる未来」を示しています。
5. ホモ・デウスはディストピアか?
こうして人類は、かつての災厄から解放され、いまや自らを作り変えようとしています。しかしその未来がバラ色であるとは限りません。
動画の終盤、岡田さんは警告的にこう語ります。
ホモ・デウス(アップグレードされた人類)は、
もはや普通の人類を「同じ種族」とは見なさなくなるかもしれない。
これは、単なる格差や差別の話ではなく、「機能的・遺伝的な違いによって生まれる、新たなヒエラルキー」の誕生です。知性や寿命に大きな差がある種が並存する社会──それは果たして「人間社会」と呼べるのでしょうか?
終わりに:人類はどこへ向かうのか?
『ホモ・デウス』は未来を断言する本ではありません。むしろ、「飢餓・疫病・戦争という問題を超えた人類が、何をするのか?」という問いを、私たち一人ひとりに投げかけているのです。
不死、幸福、アップグレード──それは神になる道か、それとも人間をやめる道なのか。
この本をどう読むかは、私たちがどんな未来を望むのかによって変わってくるはずです。現代社会の課題、テクノロジーとの付き合い方、そして「人間とは何か?」という根本的な問いに向き合ううえで、極めて刺激的な一冊でした。
【出典情報】
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解説者:岡田斗司夫(ゼミ第243回)