イーロン・マスクの警鐘──言論の自由と「Woke Mind Virus」
2023年5月のインタビュー番組『Real Time with Bill Maher』(HBO)に登場したイーロン・マスク氏は、単なる起業家や発明家の枠を超え、「文明の存続」に関わる課題を正面から語っていました。司会のビル・マー氏は、番組冒頭で「世界を変える人物は政治家ではなく、テクノロジーの担い手だ」と述べ、マスク氏をその一人として称賛していました。それに対してマスク氏は、自らが変革の「ディーラー(deal the cards)」であることを否定せず、インターネットの登場が文明にとって「神経系の獲得」に等しいと語っていました。
このインタビューで最も注目を集めたのは、「Woke Mind Virus(覚醒思想ウイルス)」に対する強い懸念でした。マスク氏によれば、この思想は反メリトクラシー的であり、かつ言論の自由を抑圧する傾向がある点で、極めて危険だということです。彼は「問いを立てることさえ許されない風潮」が広がっており、それはキャンセルカルチャーの別名でもあると指摘していました。
特に問題視されたのは、言論の自由に対する攻撃です。マスク氏は、アメリカ建国時に第一修正条項が設けられた理由を説明し、「誰かが嫌いなことを言う自由こそが、本当の自由です」と語っていました。言いたいことを言えるのは当然であり、それが気に食わない人間の言葉も許容できるかどうかが、自由の本質を決定づけるという考え方です。
彼が引き合いに出していたのは、ホロコースト否認が犯罪とされるフランスや、名誉毀損の立証が非常に容易なイギリスなど、言論規制が厳しい国々の実例でした。「どんなに正当な意図であっても、一度検閲の仕組みが導入されれば、いずれそれは自分たちに向かってくる」という警告は、単なる懸念ではなく、自由社会が陥る構造的な罠への鋭い洞察として響いていました。
教育と歴史観──「ジョージ・ワシントンは奴隷主」の呪縛
インタビューの中盤では、教育現場における「覚醒思想」の影響についても言及がなされていました。マスク氏は、子どもたちが学校でどのような歴史教育を受けているのかを問うエピソードを紹介し、ある家庭の娘たちが「ジョージ・ワシントン=奴隷主」という単一のイメージしか持っていなかったことに驚きを示していました。彼の主張は、奴隷制が悪であることは当然としても、それだけでワシントンという人物の評価を完結させるのは、歴史的理解として極めて不十分だというものでした。
ここでのマスク氏の論点は、個人の多面性や文脈の理解を欠いた「単純化された悪」のラベリングが教育現場で蔓延しているという問題提起でした。歴史とは、良い行いと悪い行いが複雑に絡み合った人間たちによって構成されているものであり、全体像を見ずに特定の欠点だけを拡大するアプローチは、教育の名を借りた思想統制に近いという指摘でした。
マスク氏は、「自分自身も教育現場での変化に気づくのが遅かった」と認めており、現代の学校や大学で進行している価値観の変化に対して、親世代が無自覚であることを強く警戒していました。実際、教育という場が「知識の継承の場」から「イデオロギーの注入の場」へと変質しているという危機感は、マスク氏だけでなく、近年の多くの知識人が共有しているテーマでもあります。
言論の自由とTwitterの役割──買収の動機とその後
こうした自由と検閲の話題と密接に関係するのが、マスク氏によるTwitter買収です。司会のビル・マー氏は「Twitter買収は他の事業と毛色が違う」と述べていましたが、マスク氏は「むしろ文明レベルの課題を解決するためには必要な一手だった」と答えていました。彼にとってTwitterは「デジタル上の公共広場」であり、ここにおける発言の自由が保障されていなければ、民主社会そのものが機能しないと考えていたのです。
実際に、マスク氏は買収後、Twitter社の内部文書を公開する「Twitterファイル」プロジェクトを通じて、政府機関による検閲の実態を明るみに出しました。これが事実であれば、表現の自由を保障するアメリカ合衆国憲法に対する重大な違反であり、テクノロジー企業が中立性を放棄して検閲の片棒を担ぐことへの警鐘となります。
マスク氏はまた、自らTwitterの本社に寝泊まりし、「倒産寸前の企業を立て直す」ことに力を尽くしたとも語っていました。その情熱の背景には、金銭的動機ではなく、「信頼できる公共空間の再構築」という使命感があると明言していました。
AIの暴走を防げ──人類が抱える最大のリスク
インタビューの終盤、話題は人工知能(AI)の未来と規制の必要性へと移っていきました。マスク氏は早くからAIのリスクを警告してきた人物であり、現在もアメリカ連邦議会などでその必要性を訴え続けています。司会のビル・マー氏も「映画のような未来が現実化する」との危機感を共有し、AIが人間の知性を超える日を「自分たちの終わり」と捉えていました。
マスク氏は、AIが航空機や自動車、食品と同様に「公衆の安全に関わる技術」であることを強調し、独立した規制機関による監視が不可欠だと述べています。誰もがルールを守るよう監視されなければ、最も儲かる=最も危険な方法を取る者が勝つという構造に警鐘を鳴らしていました。
また、現時点でもAIが「非常に急速な進化」を遂げていることを踏まえ、OpenAI(元々マスク氏が創業に関わった企業)によるChatGPTの普及を例に挙げて、「たった半年で世界の認識が変わった」と語っていました。
一方、「なぜAIを擁護する人たちはそれを恐れないのか」という問いに対して、マスク氏は「不老不死という個人的欲望」が背景にあると見ています。例えばレイ・カーツワイル氏のような技術者は、AIが老化や死を克服する手段になると信じており、それゆえにリスクを過小評価しているという分析です。
人類存続の条件──出生率と資源をめぐる議論
マスク氏は、文明の衰退を招く最大の要因は「少子化」であると断言しています。「人口が減少すれば、どんなに立派な文化や経済も維持できません」と語り、出生率の低下が先進国全体に共通する「見過ごされがちな脅威」であることを指摘しています。
これに対してビル・マー氏は、「資源も足りないのではないか」と反論しましたが、マスク氏は「資源は足りている」ときっぱり否定しました。水資源についても「地球の表面の70%が水であり、脱塩処理は今や非常に安価。水不足はテクノロジーで解決可能です」と説明していました。
「火星に移住して子どもを育てる」といった発言は突飛に見えるかもしれませんが、マスク氏の中では「文明を存続させるための冗長性(バックアップ)」という明確なロジックが存在しています。地球という唯一の拠点に頼るリスクを最小化するという視点は、むしろ極めて合理的なリスク管理とも言えます。
「幸せ」の条件──愛と仕事の両立
インタビューの最後には、より個人的な話題も登場しました。司会のビル・マー氏は、過去の『Rolling Stone』の記事を引き合いに出し、「愛に満たされなければマスク氏は幸せではいられない」と語っていたことを紹介しました。マスク氏はこれに対して「愛と仕事のどちらか一方が満たされれば“半分幸せ”、両方が満たされれば“完全に幸せ”」という自身の幸福観を語っていました。
この「二つの充足による幸福の構造」は、彼の行動様式とも一致しています。Twitter社の買収後、本社の図書館で寝泊まりしながら現場に張り付いたマスク氏の姿勢は、単なる経営判断ではなく、仕事に対する愛情の延長と見ることができます。
一方で、こうした極端な働き方は、家族やパートナーとの関係に困難をもたらすことも示唆されていました。司会者は「工場に住む男性との交際は難しい」と述べましたが、マスク氏自身もその点については否定せず、「確かに障害にはなる」と認めていました。
おわりに──未来を繋ぐための「つながり」
このインタビューを通じて浮かび上がるイーロン・マスク氏の一貫した姿勢は、「つなげる」というテーマに集約されます。人間と情報をつなげるインターネット、都市と都市を結ぶハイパーループ、地球と火星をつなぐ宇宙計画、そして異なる価値観をつなげるTwitter──どのプロジェクトにも共通するのは、分断や孤立を乗り越え、「文明の全体性」を再構築しようとする意思です。
マスク氏が懸念するAIも、「つながり」が暴走した結果としてのリスクをはらんでいます。だからこそ、「技術を制御しながら、正しい方向へと進める力」を社会が持つ必要があると彼は訴えています。
自由とは、愛とは、幸福とは、そして未来とは──テクノロジーを超えた問いに対して、イーロン・マスク氏は一貫して人間的な回答を模索し続けているように見えます。その姿勢こそが、単なる天才や富豪ではなく、「時代の変化を引き受ける者」としての存在感を生み出しているのです。