「成功なんてクソくらえ」成田悠輔が卒業式で語った“没落のすすめ”と3つの実験精神
【2023年3月/令和4年度バンタン卒業式スピーチより】
「ご卒業、おめでとうございます」…本当に?
2023年3月、東京で行われたバンタン卒業式に登壇したのは、経済学者・成田悠輔氏。政治、メディア、教育、AIと幅広い分野で発信を続ける彼が、卒業生に贈った言葉は、どこか奇妙で、笑えて、そして深く考えさせられるものでした。
冒頭から成田氏は、自身の奇妙な経歴とスタンスをあけすけに語ります。彼は中学・高校・大学・大学院すべての卒業式に出ていないそうです。理由は「朝起きられなかったから」。そんな彼が、卒業式の壇上に立つことになったこの日を「自分にとっての初めての卒業式」として迎えていたことを、少し照れながらも素直に打ち明けていました。
そして、彼は言います。
「ご卒業、おめでとうございます。……でも、卒業って、何がおめでたいんですかね?」
お祝いの言葉に込められた常識への、素朴で痛烈な疑問。
卒業式といえば、晴れやかで希望に満ちた未来を祝福する場。成功者が壇上に立ち、苦労話と栄光を語る。そんな光景を、私たちは何度となく見てきました。
しかし、成田氏はこう問いかけます。
「成功者の言葉って、本当に未来の役に立ちますか?」
成功者の話は、役に立たない?
成田氏は、現代社会が「成功物語」や「自己啓発」に溢れすぎていると警鐘を鳴らします。テレビもイベントも本屋の棚も、成功の秘訣、逆境の乗り越え方、夢を叶える方法に関するものでいっぱい。けれど、彼はこう言い切ります。
「ほとんどの人の人生は、そんなにドラマチックじゃないし、成功者だって、運がよかっただけです」
実際、多くの「成功」は、特別な体力や頭脳、偶然の人間関係、タイミングなど、自分の意志とは関係のない要素によってもたらされることが多い。だからこそ、成功者の“体験談”を普遍的な「教訓」として語ることには、無理があるのだと指摘します。
「成功者の話は、実はとても偏っている。データやエビデンスとは程遠い、バイアスの塊かもしれない」
この論点は、卒業式という「未来に向けた祝福の場」において、とても異質です。しかし同時に、成田氏らしい鋭さと誠実さを感じさせるものでした。
大事なのは「成功」じゃなく「意味不明な勇気」
それでは、何が本当に大事なのか。
成田氏はこう述べます。
「成功するかどうかなんてわからない。でも、やってみる。そんな“意味不明な勇気”が一番大事です」
社会には、「やった方がいいこと」「言った方がいいこと」だけでなく、「やらない方がいいこと」「言ってはいけないこと」も無数に存在します。しかも最近は、コンプライアンス(法令・倫理の遵守)やハラスメントの概念が強まり、誰かを不快にさせることを過剰に恐れる社会になりつつある、と成田氏は言います。
そんな空気の中で、「何か新しいことを始める」ことの難しさは増す一方。特に、クリエイティブな領域に進む卒業生にとっては、「一歩踏み出す勇気」を持つこと自体が挑戦なのです。
「まだ誰も試していない、誰もやらない方がいいと思ってることに、足を踏み出す。それが大事」
この言葉は、バンタンの卒業生だけでなく、挑戦や変化を恐れるすべての大人たちへの警鐘にも聞こえます。
禁じられたことに手を伸ばすには?
とはいえ、「やらない方がいい」とされていることをやるのは、並大抵の勇気ではありません。では、どうやったらそんな勇気を持てるのか。
ここで成田氏は、人間が歴史の中で編み出してきた「3つの実験精神」を提示します。
「幼児性」「異国性」「物資性」──この3つの謎めいたキーワードに、世界を変えるヒントがある
この3つのキーワードは、それぞれが「社会の当たり前」や「常識」をゆるがす力を持つと、成田氏は説明します。まずはそのひとつめ、「幼児性」から見てみましょう。
幼児性──子どもの無知が世界を動かす
幼児性とは、子どものように「常識を知らず、忖度せず、考えずにものを言うこと」です。
その象徴として成田氏が紹介したのが、有名な童話『裸の王様』。詐欺師に騙されて“透明な服”を着せられた王様が、裸でパレードをしているにもかかわらず、誰もがそれを指摘できない。そんな中、ただ一人、子どもが「王様、裸だよ!」と無邪気に叫ぶ──という話です。
成田氏はこの物語に、こんなメッセージを見出します。
「バカになれ、無知になれ。そうでないと、新しいことは言えない、できない」
大人になると、どうしても「これを言ったら嫌われる」「こんなことしたら怒られる」という判断が先に立ちます。でも、子どもは違う。忖度も計算もせず、ただ目の前の現実を見て、言葉を発する。
この「無知の力」こそが、固定観念を打ち破る原動力になるのです。
異国性──“よそ者”だから言えること
二つ目のキーワードは「異国性」、つまりアウトサイダーであることの強みです。
たとえば、社会のルールにどっぷり浸かった人間は、そのルールの異常さに気づきにくい。しかし、外から来た人間──よそ者や外国人──は、それに気づき、時に批判することができる。
「僕も、日本に半分しか属していないから、好き勝手言えるのかもしれません」
このように、自らの“よそ者性”を逆手にとって発信を続ける成田氏は、「ガーシー」の名も例に挙げます。所属や利害から解放された人間こそが、タブーを破り、既存の秩序に風穴を開けるのだと。
もちろん、「幼児性」も「異国性」も、必ずしも称賛されるわけではありません。どちらも時に「非常識」「無責任」「空気が読めない」と批判されます。でも、それでいい、と成田氏は言います。
「社会の外からしか言えないことがある。だからこそ、時に外側から“圧”をかけることが必要なんです」
でも、外側からでは足りない
しかし、成田氏はここで一つの“限界”を語ります。
「幼児性」と「異国性」は、どちらも社会の“外側”からのアプローチである、と。
「結局それは、ピンポンダッシュやヤジと変わらないかもしれない」
いくら外から正論を叫んでも、社会そのものが変わらなければ意味がない。では、どうすれば“内側から”社会を変えることができるのか?
その問いに対する答えが、3つ目のキーワード──「物資性」でした。
物資性──“内側から壊す”勇気
成田悠輔氏が提示する3つ目のキーワードは「物資性」──これは、社会の“外側”ではなく“内側”にいる者が、自らの成功や立場を壊す覚悟のことです。
ここで語られたのは、終戦直後の日本における渋沢財閥の逸話。GHQにより財閥解体が進められていた当時、渋沢財閥は特例として“解体を免除してやってもいい”という提案を受けたそうです。しかし、彼らはそれを拒否し、自らの意志で解体の道を選んだといいます。
その決断を象徴する言葉が「ニコボツ」。
「ニコニコ笑いながら没落しよう」
この精神には、自らの成功や権力を壊すことで、新しい未来への道を切り拓こうとする覚悟が込められています。
「やってはいけないことを言うんじゃない、自分が壊れることを、引き受けること。それが“物資性”です」
つまり、社会の中心にいて既得権を持つ人間こそが、それを壊す役割を担うべきだというのです。これは、単なる外部批判でも、正義感でもなく、自己破壊的なまでの“内側からの改革”という思想です。
本当に尊敬すべき存在とは?
このように成田氏は、「成功を積み上げる人」よりも、「自らの成功を壊せる人」の方が、社会にとって価値があるのではないかと問いかけます。
「自分が成し遂げたことが、もしかしたら害かもしれない。その意識を持てる人間こそ、本当に強い」
成功者の中には、自分の成功を絶対化し、他者にも押し付ける人が多くいます。成田氏はそうした人物に対して、慎重に、そして冷静に距離を取ります。
代わりに彼が重視するのは、“柔らかい没落”を受け入れられる人間。自分の栄光を笑いながら壊し、自らのプライドや居場所を手放してでも、何か新しいものを生み出そうとする人です。
登っているのか、落ちているのか──そのわからなさに耐える
最後に成田氏は、冒頭で紹介した古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの言葉を再び引きます。
「投げられた石にとって、登っていくことが善でもなく、落ちていくことが悪でもない」
これは、目に見える“成功”や“失敗”にとらわれず、自分の軌道を見つける大切さを伝える言葉です。
「皆さんはこれから、登っているのか落ちているのか、よくわからない時間を長く過ごすことになるでしょう」
成田氏は、それこそが人生の本質だと語ります。成功や失敗を早々に判断するのではなく、「わからないまま、ふらふらする」こと。それに耐えることが、ほんとうの意味での生き方なのではないかと。
没落する準備はできているか?
成田氏は、自身の没落を日々シミュレーションしていると語ります。
「暴言で炎上しすぎて、全ての仕事を失う未来を想像しています」
現実として、彼は過激な発言で何度も炎上し、批判にさらされてきました。それでも、自分の信念や“非常識”を貫く彼の姿勢は、一貫しています。
「最近は通風の発作で歩けないし、飲み食いのしすぎで一文なしになりそう。でも、全部失っても、そばを打って生きていこうと決めています」
そうして彼は、最後にユーモアを込めてこう結びます。
「皆さんも、ぜひ一緒にニコニコと没落していただいて、そばでも食べに来てください」
おわりに──「ニコニコと没落しよう」という贈り物
この卒業式スピーチは、未来への応援ではありませんでした。希望や夢を語るのではなく、むしろ「希望にしがみつくな」「夢に酔うな」と諭すようなものでした。
けれどその根底には、誰もがいつか“壊れる”かもしれない世界に生きているという事実を、真摯に受け止める誠実さがあります。そして、壊れても、失っても、笑っていよう。何かが終わったその場所から、そばを打ちながらまた始めればいい。そんな生きる姿勢の提案でもあったのです。
卒業式で語られるには、あまりに逆説的で、皮肉で、笑えるほどに深いメッセージ。それが「ニコニコと没落しよう」でした。
出典元:
YouTube『成田悠輔氏「ニコニコ笑いながら没落しよう」令和4年度バンタン卒業式 祝辞スピーチ【完全版】|2023年3月』
https://youtu.be/bbQX89lVkj4