孫正義氏の出自と学びの原点
世界的な投資家でありソフトバンク創業者の孫正義氏は、在日三世という背景を持ち、幼い頃から逆境を力に変えて歩んできました。その歩みは、後の通信・投資分野での挑戦を理解する上で欠かせない要素を含んでいます。
1. 在日三世としての背景
孫氏は在日韓国人三世として生まれました。家庭は経済的に豊かではなく、社会的な偏見も少なくありませんでしたが、そのような環境が彼に強い独立心と起業家精神を育ませました。周囲の兄弟にも実業の道を歩む人が多く、家族の存在は大きな刺激となりました。
2. UCバークレーへの飛び級進学
高校時代からアメリカ留学を志し、カリフォルニア大学バークレー校に飛び級で進学します。UCバークレーは米国屈指の名門校であり、孫氏はここで経済学とコンピューターサイエンスを学びました。技術と経済を同時に捉える視点は、この時期に培われたといえます。
3. 自動翻訳機の発明と起業の出発点
在学中に自動翻訳機を考案し、大手企業シャープに1億円で売却しました。この成功体験は彼に「アイデアを事業化する力」を実感させ、その資金は後の起業の重要な原資となります。
こうして孫氏は、在日の家庭に生まれながらも自らの努力と先見性で未来を切り開いていきました。そして次のステージでは、日本でソフトバンクを創業し、通信の世界へと挑戦を広げていきます。
ソフトバンク創業と通信事業の挑戦
孫正義氏が日本で事業を立ち上げた当初、ソフトバンクはパソコン雑誌や書籍を扱う小さな出版社にすぎませんでした。しかし彼の視野は出版業界にとどまらず、やがて通信事業という巨大な市場へと広がっていきます。その歩みは、日本のインターネット普及を支える礎となりました。
1. 出版事業から通信事業へ
1980年代、パソコンの普及とともに関連書籍の需要が高まり、ソフトバンクは順調に成長します。しかし孫氏は「情報流通の未来は通信インフラにある」と直感しており、出版を足がかりに次の大きな産業を狙っていました。単なる出版社から脱却し、情報社会の中核を担う企業への変革を目指したのです。
2. NTT民営化と新規参入の好機
転機となったのは、1985年の電電公社の民営化でした。NTTの誕生により民間企業も通信市場に参入できるようになり、新しいビジネスチャンスが生まれます。孫氏はこの流れを敏感にとらえ、通信会社向けに接続機器を供給する事業に乗り出しました。
彼が手掛けた通信機器は、ポーバルや光通信といった代理店を通じて販売され、大きな収益をもたらしました。この成功により、ソフトバンクは出版から通信へと大きく舵を切ることになります。
3. ADSL普及とインターネット拡大
1990年代後半、ダイヤルアップ接続が主流であった日本の通信環境は速度面で大きな課題を抱えていました。孫氏はここに勝機を見いだし、ADSLによる高速インターネットの普及を推進します。彼は米国留学時代の人脈を生かし、UCバークレー時代の知人が関わるUTスターコムにモデムを製造させました。
さらに販売はヤフージャパンを通じて展開し、営業には光通信などの強力な販売網を活用しました。ソフトバンクはリスクを一手に引き受け、パートナー企業には確実な利益が入る仕組みを作り上げたのです。その結果、ADSLは急速に普及し、日本のインターネット環境を一変させました。
こうしてソフトバンクは通信インフラを担う企業へと成長し、次に狙いを定めたのはメディア産業と投資の世界でした。
メディア進出とITバブル期の投資戦略
通信事業で基盤を築いた孫正義氏は、次にメディア産業と投資市場に挑みました。1990年代後半から2000年代初頭にかけて、彼は前例のないスピードと規模で投資を繰り返し、日本企業の枠を超える影響力を示します。その軌跡は華やかな成功とともに、大きなリスクも抱えるものでした。
1. テレビ朝日買収騒動と撤退
孫氏が大きな注目を集めたのは、テレビ朝日の株式取得をめぐる動きでした。英メディア王ルパード・マードックと組み、JスカイBを通じてテレビ朝日の株式を20%取得しようとしたのです。これは国内のメディア業界に激震を与えました。
しかし強い反発や政治的圧力もあり、孫氏は最終的に株を手放す判断を下します。この決断は短期的な後退に見えましたが、不要なリスクを避ける冷静な判断力を示すものでもありました。
2. ナスダックジャパンと20兆円企業の誕生
次に彼が仕掛けたのは、証券市場への進出です。2000年にソフトバンクは米国ナスダックと提携し、ナスダックジャパンを設立しました。この動きは当時のITバブルと重なり、ソフトバンク株の時価総額は一時20兆円を突破するまでに膨らみます。
この急成長は日本企業としては前例のない規模であり、孫氏を「時代の寵児」と呼ばせる要因となりました。ただし、同時にバブルの崩壊リスクも内包していたのです。
3. ヤフー出資とアリババ投資の成功
この時期に孫氏が行った投資の中で特筆すべきは、ヤフーとアリババへの出資です。米国ヤフーに出資し、日本市場向けに設立したヤフージャパンは瞬く間に普及し、ソフトバンクの収益基盤を強化しました。
さらに、中国の若き起業家ジャック・マーが率いるアリババに早期投資を行い、後に莫大なリターンを得ます。この判断は孫氏の先見性を象徴するものとして今も語り継がれています。
こうしてソフトバンクはメディアと投資の分野で大きな足跡を残しました。次のステージでは、国内外の通信キャリア買収によって、さらに事業のスケールを拡大していきます。
通信キャリア買収とグローバル展開
メディアやIT投資で成功を収めた孫正義氏は、再び通信分野に大きな一歩を踏み出しました。それは日本国内での携帯キャリア買収、さらに米国市場への挑戦という、より直接的で大規模な戦略でした。ここでは、国内から海外へと広がるソフトバンクの通信事業の軌跡を振り返ります。
1. ボーダフォン買収と国内シェア拡大
2006年、ソフトバンクは英ボーダフォンの日本法人を買収しました。これにより携帯電話事業に本格参入し、ドコモ、auと並ぶ通信大手の一角を占めることになります。当時のボーダフォンジャパンは業績が低迷していましたが、孫氏は積極的な販売戦略と料金プランの見直しを進め、市場競争を活性化させました。
この買収によってソフトバンクは一気に全国規模のインフラを手にし、通信キャリアとしての地位を確立しました。出版から始まった会社が、国内三大キャリアの一角に躍り出た瞬間でした。
2. スプリント買収と米国市場への挑戦
国内での基盤を固めた孫氏は、次に米国市場へ進出します。2013年、ソフトバンクは米携帯キャリア大手スプリントを買収しました。狙いは、日本で成功させたビジネスモデルをアメリカ市場でも展開することでした。
しかし米国は4大キャリアによる均衡した競争環境が整っており、日本のようにシェアを三分割する構図にはできませんでした。そのためスプリントは苦戦を強いられ、当初の目論見通りには進まなかったのです。
3. Tモバイルとの合併と苦境
スプリントの苦境を打開するため、最終的にはTモバイルとの合併が実現しました。ただし合併後はソフトバンクの経営支配力が大きく低下し、孫氏にとっては期待通りの成果を得られたとは言えませんでした。米国市場での挑戦は、大規模投資の難しさとリスクを示すものとなったのです。
それでも孫氏は歩みを止めず、投資会社としての方向性をさらに鮮明にしていきました。その象徴となるのが、世界最大規模のファンド「ソフトバンクビジョンファンド」の立ち上げです。
ソフトバンクビジョンファンドと現在の課題
国内外で通信事業を拡大した孫正義氏は、次の戦略として世界最大規模の投資ファンドを立ち上げました。それが「ソフトバンクビジョンファンド」です。10兆円を超える規模を誇るこのファンドは、テクノロジー企業を中心に世界中へ投資を行い、孫氏の挑戦を新たなステージへと押し上げました。
1. サウジ資金で立ち上げた巨大ファンド
ソフトバンクビジョンファンドは、サウジアラビアの政府系ファンドなどからの巨額出資を受けて設立されました。これにより、従来のベンチャーキャピタルでは考えられない規模の投資が可能となり、世界のテクノロジー企業に多額の資金が注がれました。
投資対象には人工知能、自動運転、シェアリングエコノミーなど、次世代の成長産業が並びました。孫氏は「情報革命を次の段階へ導く」という大義を掲げ、世界の注目を集めます。
2. Uber・WeWork投資のリスク
しかし巨額投資にはリスクも伴いました。代表的なのがUberとWeWorkへの投資です。Uberは世界的なシェアを持ちながらも競争激化により赤字経営が続き、株式市場での評価は不安定でした。
一方、WeWorkは当初「オフィス革命」と称されましたが、実態は従来型のシェアオフィス事業に過ぎず、企業価値の評価が過剰だったと批判されます。上場が頓挫したことでソフトバンクは多額の損失を抱え、孫氏の投資手法に対する懐疑も広がりました。
3. LINEとヤフー統合の行方
国内ではヤフージャパンとLINEを経営統合する策に打って出ました。両社の統合によって国内インターネットサービスの競争力を高める狙いがありましたが、グローバル市場でGAFAのような巨大企業と渡り合うには依然として課題が残ります。
さらにビジョンファンドそのものも資金集めが難航し、運営の持続性が問われる状況となっています。孫氏はこれまで幾度となく危機を乗り越えてきましたが、現在の局面は過去にも増して厳しい岐路に立たされているといえるでしょう。
それでもなお孫正義氏は挑戦を続けています。リスクを恐れずに未来を見据える姿勢こそが、彼を唯一無二の存在にしているのではないでしょうか。
[出典情報]
このブログは人気YouTube動画を要約・解説することを趣旨としています。本記事ではホリエモンチャンネル(堀江貴文)「孫正義さんについて語りました」を要約したものです。
読後のひと考察──事実と背景から見えてくるもの
起業家の歩みはしばしば「個人の才能や努力」として語られますが、その背後には制度や市場環境、歴史的な偶然が複雑に絡み合っています。本稿では、移民と起業行動、通信自由化、ブロードバンド普及、放送メディア規制、投資とバブルの循環、大型ファンドとユニコーン評価、そしてデジタル市場の競争というテーマを国際機関や公的資料に基づき点検します。個人史を超えて、事実と背景から見えてくる構造を考察することが目的です。
移民と起業行動──統計が示す背景
OECDの統計によれば、2022年時点で加盟国には約1,000万人の移民起業家が存在し、自営業に占める移民比率は平均17%に達しています(OECD, 2024)。また米国のAIスタートアップ研究では、Forbes AI 50に選ばれた企業の6割超に移民創業者が関わっていると報告されています(CSET, 2020)。こうしたデータは「逆境が起業家精神を育む」との見方を補強する一方、制度的な支援や教育機会が成果に直結することも示しています。
通信自由化と参入条件──制度が形づくる市場
1985年の日本電信電話公社の民営化は、通信市場に新規参入の道を開きました。OECDは当時の政策評価で、電気通信市場の自由化が競争を促進し、技術革新を支える基盤になったと指摘しています(OECD, 1995)。さらに2000年前後に導入されたローカルループの開放(アンバンドリング)は、事業者間の競争を加速させ、消費者にとって低価格で高速の通信環境を実現する要因となりました(TIA資料(総務省データ引用))。制度設計がなければ事業機会そのものが成立しなかった点は、忘れられがちな前提です。
ブロードバンド普及の実像──政策と競争の作用
2001年から2004年にかけて、日本のDSL契約数は爆発的に増加しました。内閣府の報告書は、この時期に数百万件規模の契約が積み上がったことを示しており(内閣府, 2004)、ITUの国際比較も日本のブロードバンドが世界最速水準で普及したことを裏付けています(ITU, 2003)。ただし2005年以降は光回線(FTTH)が急成長し、DSLからの移行が進んだことも事実です。技術革新と規制設計が重なり合うことで、普及曲線が描かれたといえます。
放送メディア規制──資本と公共性のバランス
放送法や電波法は、外国資本の比率を原則20%以下(衛星放送など一部は33.3%)に制限しています(放送法(英訳)、電波法(英訳))。国際法律解説(ICLG 2025)でも、役員要件や免許制度が外国資本にとって参入障壁となることが整理されています。資金力だけでは放送市場に参入できないという現実は、「メディア資本と公共性の両立」という制度的緊張を象徴しています。
バブルと投資評価──市場循環の教訓
ITバブル期には企業価値が急拡大し、同じ速度で調整に転じる事例が相次ぎました。日本銀行の研究は、1980年代末から1990年代にかけての資産価格バブルが金融政策と市場行動の相互作用で形成されたことを示しています(日本銀行, 2001)。またIMFの分析は「失われた10年」の背景に資産価格の崩壊と不良債権処理の遅れがあったと指摘しています(IMF, 2009)。この経験は、短期的な評価の急騰を「先見性」だけで説明する危うさを物語っています。
巨大ファンドとユニコーン評価──規模の光と影
未公開企業の評価に関しては、優先株の条件を無視した「名目評価」が実態より高く見えるとの指摘があります。スタンフォード大学の研究は、ユニコーン企業の公表バリュエーションが平均で約50%過大に算定されていると推定しました(Gornall & Strebulaev, 2019)。また、大型ファンドの運用成績に関しても一様ではなく、ハリスらの研究はベンチャー投資における超過収益の持続性が時代とともに低下していることを示しています(Harris et al., 2023)。業界データでも、小型・中型ファンドが大型ファンドを上回る分布が観測されており(Carta, 2025)、規模の経済と資本効率の間にはトレードオフがあると考えられます。
デジタル市場の競争──ネットワーク効果と政策
デジタル市場はネットワーク効果によって競争が急速に集中する一方、新規参入を後押しする余地も持ちます。OECDは「市場支配力の概念がデジタル経済で進化している」と整理し、規模が競争を強化する場合と抑制する場合の両面を指摘しています(OECD, 2022)。日本の公正取引委員会も、デジタル広告やアプリストア取引に関する調査を行い、透明性や優越的地位の濫用を論点化しています(公正取引委員会, 2020、公正取引委員会, 2019)。統合やスケール拡大を評価する際には、規模そのものよりも相互運用性や公正な取引条件の確保が重要になります。
おわりに──制度と市場のはざまで
移民の起業、通信自由化、メディア規制、投資バブル、巨大ファンドとデジタル市場――それぞれの事例は、個人の行動やビジョンだけでは説明できません。制度的な枠組みと市場循環の中で、成功や失敗が繰り返されてきました。革新を支えるための規模の追求と、公共性や公正さの確保はしばしば緊張関係に立ちます。どの価値を優先し、どのように均衡を取るべきか。残された課題は多く、今後も検討が必要とされます。