「好き」と言われて苦しい私 ― 恋愛相談に隠された本音
岡田斗司夫さんが今回取り上げたのは、20代女性の恋愛相談。相談内容は一見すると、よくある「片思い」と「報われない恋」についての悩みのように見えます。しかし彼は、文章中の違和感を手がかりに、相談者の内面に潜む本音へと鋭く踏み込んでいきます。
この相談文には、2人の登場人物がいます。一人は高校時代から想い続けている「その人」。もう一人は、自分に好意を寄せている大学の友人(男性)です。相談者は前者に片思いしつつも、後者には恋愛感情がわかず、それを申し訳なく感じています。
注目すべきは、文章における「認証代名詞」の使い分けです。「その人」「彼」といった言葉が慎重に選ばれており、性別の明示を避けるような構成になっている。これを手がかりに、岡田さんは「相談者は女性に恋をしており、それを隠しているのではないか?」と仮説を立てるのです。
サイコパス的視点とは何か?
こうした洞察力の背景には、岡田斗司夫さん自身の「自認」があります。彼は自身を「おそらくサイコパスである」と述べています。医学的な診断を受けたわけではないものの、サイコパスに見られる特性(共感の欠如、罪悪感の希薄さ、冷静な観察力など)を自覚しており、それを論理的な分析力として活かしていると語ります。
この「共感力の欠如」が、かえって本音や論理の筋道を明確に見抜く力につながっているという自己分析は、彼の相談解釈における独特な視点の裏付けでもあります。
彼の中では、倫理や感情よりも、構造や矛盾の論理が優先されます。そのため、たとえば相談文の中に不自然な代名詞の使い分けがあれば、「なぜここで性別を伏せたのか?」という問いが立ち上がる。そこに「社会的に言いにくい何か=同性愛」が隠されているのでは、という読みへとつながっていくのです。
「無駄な罪悪感」とは何か?
岡田さんが導き出した結論は、こうです。
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相談者は、自分が女性を好きであることを男性に伝えられずにいる。
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相手の男性はそのことを知らず、「待てば振り向いてもらえる」と信じている。
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相談者は、その誤解を正さずにいながら、「愛せない自分はおかしいのでは」と自責の念を抱いている。
このような構造を整理したうえで、岡田さんは「これは問題と問題が絡み合って、脳が“ジャグリング”状態になっている」と指摘します。
つまり、恋愛の問題そのものは比較的シンプルなのに、それに「罪悪感」や「自己否定」などの余分な問題が絡み、複雑化しているというのです。彼はこれを「悩みのるつぼ」と呼び、悩みの本質は「複数の問題を同時に考えていることによる認知的負荷」だと分析します。
ジャグリング思考から抜け出すには
彼が紹介する実例のひとつに、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの話があります。彼は自分の悩みをすべて書き出したところ、500個あると思っていた問題は実際には70個ほどであり、そのうち「今夜中に解決すべきもの」はゼロだったことに気づいたというのです。
このエピソードから、岡田さんが導く教訓は明快です。「悩み」は問題そのものではなく、脳が抱えるジャグリングの状態である。よって、問題を個別に切り分けることで、思考の負荷を減らし、冷静に対処できるようになる。
つまり、自分の性的指向の問題(それ自体は個性)と、望まれない恋愛の問題(人間関係)を分けて考えなければならない。ごっちゃにすることで、余計な罪悪感や悩みが生まれているのだと説きます。