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【岡田斗司夫】シャーデンフロイデとは|「ざまあみろ」の心理が生まれる仕組み

目次

シャーデンフロイデと炎上YouTuberの「ざまあみろ」

  • ✅ 「ざまあみろ」は特別な悪意ではなく、誰の心にも起き得る反応
  • ✅ 炎上の熱は「不公平に見える」という感覚で強まり、制裁の快感に変わりやすい
  • ✅ 感情を否定するより言語化して距離を取るほうが、巻き込まれにくくなる

評論家の岡田斗司夫氏は、破産や失墜が話題になるYouTuberの事例を入口に、「他人の不幸を見てスカッとする」感情を取り上げています。岡田氏は、この感情をドイツ語の「シャーデンフロイデ」と結びつけ、倫理で裁く話ではなく、人間の心の仕組みとして観察する必要があると述べています。ネット上で広がる「ざまあみろ」という声は、個人の性格だけでは説明しにくく、環境や構造が感情を増幅させる、と整理されています。

私は、誰かの失敗を見たときに、心が軽くなる瞬間があるのを否定できません。表向きは「よくない」と分かっていても、内側では「調子に乗るとこうなる」と感じてしまうことがあります。

私は、その反応を無理に消そうとするより、まず「そう感じる自分がいる」と認めたほうが扱いやすいと思います。感情を見ないふりをすると、別の形で強く出てしまうことがあるからです。

「毒のある喜び」を言葉にする

岡田氏が最初に行っているのは、「スカッとした」という反応に名前を付ける作業です。名前が付くと、自分の心の動きが一段外側から見えやすくなります。炎上動画や失敗談を見て盛り上がる場面でも、「面白い」と感じたことを責めるのではなく、なぜ面白いのかを分解していく姿勢が、次の理解につながります。ここでのポイントは、感情を正当化するのではなく、感情に飲まれない距離を作ることです。

私は、心が動いた瞬間に「良いか悪いか」の判定だけで終わらせたくありません。なぜそう感じたのかを考えると、気持ちが勝手に加速する前に、ブレーキをかけやすくなるからです。

不公平感が炎上の燃料になる

「ざまあみろ」が盛り上がる背景には、単なる好き嫌いだけでなく、「不公平に見える」という感覚が入り込みやすいと説明されています。影響力のある人の振る舞いが許されているように見えると、視聴者の中で怒りが「正義」の形を取りやすくなります。その結果、相手が困ることを求める気持ちが、いつの間にか「当然の制裁」に見えてしまいます。ここでは、プラットフォームのルールや社会の格差感が、個人の感情に火を付ける構図が焦点になります。

私は、「不公平だ」と思った瞬間に、言葉が強くなりやすいと感じます。腹立たしさがあると、相手の失敗を「当然」と思いやすくなってしまうからです。

私は、そのときほど一呼吸置いて、「本当に不公平なのか」「自分のイライラを正義に変えていないか」を確かめたいです。

ネットの熱狂を自分の問題として扱う

岡田氏の整理のしかたは、「誰かを責める」より先に「自分の中で何が起きたか」を点検する方向へ読者を誘導します。炎上は外側の出来事に見えますが、視聴者側の心の動きが重なることで大きくなります。自分の中の「喜び」や「怒り」の成分を自覚できると、コメントや拡散といった行動の前に、立ち止まりやすくなります。次のテーマでは、その手前にある自己評価のクセがどう関わるかを掘り下げていきます。

私は、ネットの盛り上がりを見ていると、気づかないうちに気持ちが同調してしまうことがあります。だからこそ、心が熱くなったときほど、言葉を出す前に自分の中を静かに見直したいです。


羨望の仕込みとしての「平均以上効果」と認知のねじれ

  • ✅ 人は自分を「平均以上」と見積もりやすく、その前提が羨望の土台になる
  • ✅ 羨望を認めないほど心の中にねじれが残り、相手の失敗で喜びが噴き出しやすくなる
  • ✅ 「ざまあみろ」は突然生まれるのではなく、日常の見積もりの積み重ねから育つ

岡田氏は、シャーデンフロイデを「ただ意地悪な気持ち」として片づけず、手前にある心理の段階を丁寧に示しています。鍵になるのは「自分は平均より少し上でいたい」という自己評価のクセです。多くの人は露骨に優越を口にしませんが、心のどこかに「自分はそれなりにできる側」という感覚を持ちやすいとされます。その感覚があると、自分より上に見える存在に出会ったとき、羨望や不公平感が生まれやすくなります。

私は、「普通でいい」と思っているつもりでも、心の奥で「平均より少し上でいたい」と願ってしまうことがあります。その願いに気づかないままだと、他人の成功がまぶしく見えた瞬間に、気持ちがざわつきやすくなります。

自分を高く見積もるクセが静かに働く

岡田氏は、人が自分を平均以上に見積もりやすい傾向を取り上げ、ここから話を進めます。実力が数値で測れる領域なら冷静になれますが、日常の多くは「測りにくい能力」でできています。仕事のセンス、会話の面白さ、人望、優しさなどは点数化しにくく、その分だけ「自分は結構できている」と思いやすい領域になります。ここにズレが入り、比較の種が生まれます。

私は、自分のことを冷静に見ているつもりでも、測りにくい部分ほど甘く評価してしまう気がします。だからこそ、誰かと比べて苦しくなったときは、「自分の前提が高すぎないか」を静かに点検したいです。

羨望を押し込めるほど、ねじれが残る

羨望は、抱いた瞬間に「恥ずかしい」「みっともない」と感じやすい感情です。そのため、羨望を認めずに押し込める人は少なくありません。しかし岡田氏は、その押し込みが「認知のねじれ」につながると整理します。自分は平均以上のはずなのに、現実では上がいる。その矛盾を真正面から見ないほど、心の中に言い訳や反発が積み上がります。そして相手がつまずいた瞬間に、抑えていたものが「スカッとする」という形で出やすくなります。

私は、羨望を感じたときに、すぐ「そんなことを思いたくない」と打ち消してしまいがちです。でも、打ち消すほど、心の中で別の形に変わって残ることがあると感じます。

私は、相手の失敗で気持ちが軽くなったときにこそ、「羨望があったのかもしれない」と小さく認めたいです。認めたほうが、次に同じ状況が来たときに振り回されにくいからです。

「ざまあみろ」までの道筋を可視化する

岡田氏の説明は、感情を一つの線として扱います。自分を高く見積もる、上の存在に出会う、羨望が生まれる、羨望を認めない、ねじれが残る、相手の失敗で喜びが出る、という流れです。この線が見えると、「自分は悪い人間なのか」という二択から離れられます。代わりに、「どこでズレが生まれたのか」「どこで押し込めたのか」を点検できるようになります。次のテーマでは、こうした感情の増幅が、脳内物質や集団心理とどう結びつくかが扱われます。

私は、最後に出てきた感情だけで自分を評価したくありません。そこまでの積み重ねを見直せると、次は違う選択ができる気がするからです。


オキシトシンのダークサイドと「正義感への変換」

  • ✅ つながりを強める要素は、同時に境界線を濃くしてしまう可能性がある
  • ✅ 仲間意識が高まるほど、外側への冷たさや排除が起きやすくなる
  • ✅ 羨望や怒りは「正義感」に置き換わると、自分でも気づかないまま強くなる

岡田氏は、シャーデンフロイデを道徳の話に閉じず、脳や集団の働きと結びつけて説明します。ここで登場するのが、愛情や信頼と関連づけられることの多いオキシトシンです。一般には「良いホルモン」として紹介されがちですが、岡田氏はそこに別の側面があることを示し、つながりが生む排除の力に目を向けます。「良い感情の延長線上で、冷たさが生まれる」という見取り図が、テーマ全体を支えています。

私は、優しさや連帯感があると、人に寛容になれる気がします。一方で、その温かさが強いほど、温かさの外側を雑に扱ってしまう瞬間もあると思います。

私は、「良い気持ちだから安全」と決めつけず、良さと一緒に出てくる影の部分も見ておきたいです。

「良い効果」の説明だけで終わらせない

オキシトシンは、安心や信頼と結びつけて語られることが多く、ポジティブな文脈で理解されやすい要素です。岡田氏も、その一般的な説明を踏まえたうえで、そこから先へ話を進めます。人の心理は単純な善悪でできておらず、同じ仕組みが状況次第で別の反応を生むという前提に立つことで、「ざまあみろ」が生まれる背景も見えやすくなります。

私は、気持ちの説明が「良い」「悪い」だけで終わると、現実の自分と合わなくなると感じます。自分の中には両方があるので、両方を前提にしたほうが落ち着いていられます。

仲間の結束が強いほど、外への排除も起きる

岡田氏が強調するのは、仲間同士の結束が高まるほど、外側への視線が厳しくなりやすい点です。身内を守る気持ちは自然な反応ですが、その反応が強くなると「外の人は後回しでよい」「外の人は信用できない」という判断を呼び込みやすくなります。ここでは、個人の意地悪さというより、集団が作る境界線の働きが問題になります。境界線が濃くなると、排除が正当化されやすくなります。

私は、仲間を守りたい気持ちが強いときほど、判断が単純になりやすいと思います。味方と敵に分けた瞬間に、相手を理解する努力が減ってしまうからです。

羨望が「正義感」に置き換わると加速する

さらに岡田氏は、羨望や不満がそのまま表に出るのではなく、「間違いが許せない」「ルール違反が許せない」という正義感に置き換わる場合があると整理します。正義感は自分の感情を立派に見せやすく、他者への攻撃にも正当性を与えます。ここで危険なのは、本人が「羨望や怒り」を自覚しないまま、行動が強くなってしまう点です。次のテーマでは、この正義感が「制裁」という形で社会に現れ、ネットの吊るし上げと結びつく流れが扱われます。

私は、羨望を認めるより、「正しいことを言っている」と思うほうが楽なときがあります。でも、その楽さの中に、攻撃の勢いが増える危うさがあると感じます。

私は、正義の言葉が出てきたときほど、「本当は何がつらいのか」を自分に問い直したいです。


「制裁(サンクション)」が快感になる社会とネット吊るし上げ

  • ✅ 「制裁」は正義の手続きに見えやすく、攻撃のハードルを下げてしまう
  • ✅ 公開の糾弾がエンタメ化すると、倫理のブレーキが外れやすくなる
  • ✅ 感情を消すのではなく、距離を取って扱う姿勢が現実的な対処になる

岡田氏は、シャーデンフロイデが個人の内面にとどまらず、社会の仕組みと結びつくと「制裁」の熱狂になると述べています。ここでいう制裁は、単なる復讐ではなく、「正しさの実行」として語られやすい点が特徴です。正しさの言葉が付くと、行為の過激さが見えにくくなり、他者を追い詰めることが正当化されやすくなります。ネット上の吊るし上げは、その典型的な現れとして整理できます。

私は、「正しいことをしている」と思った瞬間に、言葉が強くなりやすいと感じます。正しさの名札が付くと、相手への配慮が後回しになってしまうからです。

私は、強い言葉が出そうになったときほど、「それは正義なのか、快感なのか」を一度確かめたいです。

不公平感が「制裁してよい」に変わる瞬間

岡田氏は、不公平感が強まると、人は「罰を与える側」に回りやすいと説明します。ここでは、怒りが「手続き」ではなく「実行」へすり替わっていく過程が問題になります。本来は議論や制度で扱うべき不満が、個人の行動として噴き出すと、周囲の共感を集めやすくなります。共感が集まるほど、行為は「みんなの声」として大きく見え、当事者の苦痛が見えにくくなります。

私は、「みんなが怒っている」と感じた瞬間に、個人の責任感が薄くなることがあると思います。だから、勢いがある場面ほど、ひとりの判断として引き受けられる範囲を意識したいです。

公開の糾弾が娯楽になると倫理が揺らぐ

岡田氏は、公開の場で相手を追い詰める構図が、視聴者にとって「面白いもの」になり得る点にも触れています。悪い行いを止めることと、さらし者にして楽しむことは別の話ですが、両者は混ざりやすいです。相手が悪いと思うほど、「どこまでやってよいか」の線引きが曖昧になり、過剰な制裁が拍手されてしまう危険があります。ネットの吊るし上げは、この混ざり方が短時間で起きやすい場でもあります。

私は、「相手が悪いなら何をしてもよい」という気持ちが出たときに、いちばん怖さを感じます。その気持ちは自分を正しく見せますが、同時に自分の感覚を鈍らせるからです。

感情を消すのではなく、距離を取って扱う

岡田氏の提案は、立派な人になるために感情を消すことではありません。「ざまあみろ」と感じる可能性を前提にし、その感情に支配されない距離の取り方を工夫することです。自覚があれば、拡散や加担の前に止まれます。自覚がないと、正義の名の下にどこまでも言葉が強くなります。シャーデンフロイデを理解することは、他者の問題ではなく、自分の行動を整えるための道具として位置づけられます。

私は、感情をなくすことは難しいと思います。だから、感情が出たときに「自分は今、面白がりそうになっている」と気づける状態を作りたいです。

私は、気づけたなら、一歩引いて言葉を選び直せると思います。それだけでも、誰かを追い詰める流れから距離を置けます。

出典

本記事は、YouTube番組「破産したyoutuberの悲劇と「ざまあみろ」の声/ Schadenfreude ~ One person’s tragedy is another person’s excitement.」(岡田斗司夫/2020年2月27日公開)の内容をもとに要約しています。


読後のひと考察──事実と背景から見えてくるもの

炎上ニュースや著名人の失墜に接したとき、「ざまあみろ」「見ていてスカッとした」と感じる人は少なくありません。この感情はドイツ語で「シャーデンフロイデ(他人の不幸を喜ぶ感情)」と呼ばれ、古くから文学や哲学のテーマにもなってきました。近年は、脳画像研究や社会心理学の発展により、この感情がどのような条件で強まり、どのように社会的制裁やネット炎上と結びつくのかが、少しずつ見えるようになっています[1,2]。

本稿では、①シャーデンフロイデと羨望・不公平感、②「自分は平均以上」と思いたがる自己評価バイアス、③オキシトシンなど神経科学的な知見、④制裁やネット吊るし上げの快感構造、という四つの観点を整理します。そのうえで、研究が示す事実と限界を確認し、日常生活や政策にどのような含意があるのかを考察します。

問題設定/問いの明確化

まず押さえたい問いは、「なぜ人は他人の不幸で喜びを感じるのか」「その喜びが、どのように『正義』や『制裁』の名のもとに拡大するのか」という点です。単なる意地悪な性格の問題として片づけるのではなく、誰にでも起こりうる反応として理解できるかどうかが出発点になります。

脳画像研究では、他人の成功を見たときには痛みや葛藤に関わる領域が、逆にその人物の不幸を見たときには報酬系の活動が高まることが報告されています。これは、社会的比較のなかで羨望とシャーデンフロイデが対になる感情として働きうることを示しています[1,2]。

同時に、SNS の普及により、個人の失敗や問題行動が一気に拡散され、「公開処刑」のような形で制裁が行われるケースも増えています。オンラインでのいじめや誹謗中傷は、日本でも児童生徒のいじめ認知件数が過去最多水準とされ、その一部にはパソコンやスマートフォンSNSを通じたものが含まれると報告されています[12,13,16]。

こうした現象の背後には、①個人レベルの感情、②集団心理、③プラットフォーム設計や社会制度といった構造的要因が重なっていると考えられます。本稿では、これらを分けて検証しつつ、「感情そのもの」と「それを行動に移すこと」のあいだに、どんな一呼吸を置けるのかを考えます。

定義と前提の整理

シャーデンフロイデは、他者の不幸や失敗を見たときに生じる快感を指す用語です。近年のレビューでは、この感情は一枚岩ではなく、「競争・自己評価」「正義・公正」「集団アイデンティティ」といった複数の動機から生じると整理されています[4]。

一方、羨望は、他者の成功や優位性に対する不快感とされ、その強さや質に応じて、相手から学ぼうとする比較と、相手を引きずり下ろしたくなる比較に分けて検討する研究もあります[3]。羨望とシャーデンフロイデは独立した感情ではありますが、「高く見える他者」との比較体験の中で連続して現れる現象として捉えられることが多いです[3,4]。

自己評価に関しては、多くの人が自分の能力や人格特性を「平均よりやや上」と見積もる「平均以上効果(better-than-average effect)」が、欧米を中心に長年確認されています[5]。ただし、この傾向の強さや現れ方には文化差があり、東アジアでは自己卑下的に見えるパターンが報告されるなど、自己評価スタイルをめぐる議論は続いています[6]。

また、メタ分析では「自己高揚の現れ方は文化によって異なるが、何らかの形で自分をよく見せたい動機は広く見られる」とする見解もあり、「羨望の土台としての自己評価の歪み」は、程度や表現が違っても多くの社会で共有されている可能性が指摘されています[6]。

神経科学の文脈でよく言及されるオキシトシンは、「愛情ホルモン」あるいは「絆ホルモン」として知られ、信頼や協力行動を高める効果があるとされますが、同時に、仲間ひいきや外集団への冷淡さを強める「ダークサイド」が指摘されています[7,8]。

「制裁(サンクション)」は、規範違反に対して加えられる罰や不利益を意味します。経済ゲームや神経科学の研究では、違反者を罰する行為が、たとえ自分にコストがかかる場合でも快感を伴い得ることが示され、「利他的懲罰(altruistic punishment)」と呼ばれています[9]。

ネット上の「吊るし上げ」は、この制裁行動が匿名性や拡散性の高い環境で増幅された現象と見なすことができます。オンライン・パブリックシェイミング(公開の恥辱)に関する研究では、当事者だけでなく、傍観者や参加者の心理・行動にも大きな影響が出ることが指摘されています[10,11]。

エビデンスの検証

まず、羨望とシャーデンフロイデの神経基盤についてです。ある研究では、他者の成功に触れた際には、痛みや葛藤に関わる前帯状皮質が活性化し、逆にその人物が挫折した場面を見ると報酬系である腹側線条体が反応したことが報告されています[1]。類似の研究でも、嫉妬場面では報酬系の活動が低下し、不幸場面で再び高まるという結果が示されており、他者との比較が感情と報酬系に直接響いていることがうかがえます[2]。

社会心理学の領域では、特定の集団に対する羨望が強いと、その集団の不幸に対してシャーデンフロイデを感じやすいことが示されています。ステレオタイプ内容モデルを用いた研究では、高地位だが冷たいと見なされる集団に対して、とくにその傾向が強まると報告されています[3]。

シャーデンフロイデ自体も、「競争ベース」「正義ベース」「攻撃ベース」の三つの下位タイプに分けるモデルが提案されており、単なる「性格の悪さ」ではなく、自己評価の維持、公正感の回復、集団アイデンティティの防衛といった動機が組み合わさっていると考えられています[4]。

次に、「自分は平均以上だ」という見積もりの問題です。大規模な研究では、さまざまな能力や人格特性について、参加者の多くが「自分は平均より優れている」と回答することが繰り返し確認されています[5]。こうした平均以上効果は、西洋文化圏でとくに強く見られる一方、東アジアでは自己卑下的な評価が報告されるなど、文化差をめぐっては議論が分かれています[6]。

もっとも、メタ分析では、「自己高揚は文化を問わず存在するが、表現の仕方や重視される領域が異なる」とする見解もあり、「誰もがどこかで自分をよく見せたい」という前提は、ある程度共通していると考えられています[6]。

オキシトシンについては、投与により「内集団を優先し、外集団に冷たくなる」傾向が強まることが実験で示されています。ある研究では、オキシトシンを投与した参加者が、自分と同じ集団に利益を配分し、他集団には不利な選択をしやすくなったと報告されています[7]。別の研究では、集団対立場面でオキシトシンが「仲間どうしの攻撃行動の協調」を促し、外集団への攻撃を強める場合があることも示されています[8]。

制裁の快感については、経済ゲームを用いた神経科学研究が興味深い示唆を与えています。信頼を裏切った相手に対して金銭的な罰を与えるとき、実験参加者の線条体という報酬系の領域が活性化し、実際に相手の利益を減らせる「実効的な罰」のときに活動がより高まるという結果が示されました[9]。これは、「自分には損でも、ルール違反を罰すること自体が快感になりうる」ことを示すものと解釈されています。

オンライン・パブリックシェイミングについては、COVID-19期の行動を対象とした研究などで、晒された側が防衛的になったり、不安や社会的撤退を強める一方で、必ずしも建設的な行動変容につながっていないケースが多いことが指摘されています[10]。最近の研究では、傍観者が「どこまで参加するか」を決める際、道徳的憤りや所属組織への同一視が影響することも示されています[11]。

サイバーいじめ全般に関しては、人権機関のレビューなどで、羞恥・不安・自己肯定感の低下、場合によっては自殺に至るリスクなど、深刻な精神的・身体的影響が整理されています[12]。日本でも、文部科学省調査での「いじめ認知件数」は近年増加し、パソコンやスマートフォンを用いたいじめも一定割合を占めています[13]。さらに、新聞報道データベースを用いた量的分析では、いじめが関連した児童生徒の自殺事例が一定数確認されており、特定の学年や時期に集中する傾向も指摘されています[14]。

反証・限界・異説

これらの研究にも、限界や異なる見解があります。シャーデンフロイデについては、「羨望から生じるもの」だけでなく、「道徳的に問題のある行為が罰せられたときに、公正さの回復として感じる喜び」も区別すべきだという議論があります[4]。この立場からは、すべてのシャーデンフロイデを否定するのではなく、「どの動機が中心になっているのか」を見分ける必要があると考えられています。

自己評価バイアスについても、「平均以上効果は統計的な見かけの産物ではないか」「質問の仕方によって結果が大きく変わる」といった批判があります[5,6]。東アジアでは、表面的には自己卑下的でも、状況や指標によっては自分や自集団を高く評価するケースも報告されており、単純な「日本人は自己評価が低い」といった理解には慎重さが必要だと指摘されています[6]。

オキシトシンの「ダークサイド」についても、すべての状況で外集団への攻撃性を高めるわけではなく、脅威の有無や課題設定によって効果が変わることが示されています[7,8]。そのため、「オキシトシン=善」や「オキシトシン=悪」といった単純図式ではなく、「誰と誰の関係を強めるのか」「どんな文脈で作用するのか」を見る必要があるとされています。

制裁の快感に関する研究も、主に実験室の小規模なゲーム状況を扱っており、現実の法制度やネット炎上の複雑さをそのまま反映しているわけではありません。オンライン・パブリックシェイミングについても、「社会的弱者が声を上げにくいときに、公開の場で問題を可視化する手段として機能する場合がある」という肯定的評価もあり、状況により評価が分かれています[11,15]。

つまり、「シャーデンフロイデ=悪」「制裁=暴走」と断定することも、「どんな吊るし上げも正義」とみなすことも、どちらも現実を単純化しすぎるという指摘があります。重要なのは、各研究がどのような条件とスケールで得られた知見なのかを確認し、自分たちの日常場面にどこまで適用できるかを慎重に考える姿勢です。

実務・政策・生活への含意

個人レベルでは、「ざまあみろ」と感じた瞬間に自分を責めるかどうかよりも、「どういう文脈でその感情が強まりやすいか」を知っておくことが役に立ちます。研究からは、①自分を平均以上と見積もりがちなとき、②相手を「不当に優遇されている」と感じたとき、③自分の属する集団が軽んじられていると感じたときに、シャーデンフロイデが強まりやすいことが示唆されています[3–5]。

そのため、ニュースやSNSで誰かの失敗を見たとき、「事実として何が起きているのか」だけでなく、「自分は相手やその集団をどう位置づけてきたか」「どんな不公平感を抱いているか」を振り返ることは、感情に飲み込まれない一つの手がかりになります。感情そのものを無理に消そうとするより、「これは自分の羨望や公正感に触れた反応なのだ」とラベルを貼る方が、行動を選び直しやすいと考えられています。

教育・子ども支援の現場では、スマートフォン普及とともに、子ども同士のサイバーいじめが増え、重大事態や自殺と関連するケースも報告されています[13,14,16]。行政機関は、ネットいじめ対応マニュアルの作成や啓発資料の配布などを通じて、学校と家庭が連携して早期発見と対応を進めるよう呼びかけています[17]。

具体的には、①子どもたちに「感情と行動を分けて考える」ことを教える、②集団で誰かを責めるときに働く同調圧力や快感の仕組みを解説する、③オンラインでの発信が半永久的に残りうること、などを共有する取り組みが考えられます。最近の解説では、日本の子どものネット利用実態とともに、家庭・学校・事業者が連携した安全対策の必要性が指摘されています[16]。

政策・プラットフォーム運営の観点からは、オンラインハラスメントを「個人の問題」ではなく、公衆衛生上の課題としてとらえ、社会的・制度的な対応が必要だとする見解も出ています[12,15]。例えば、被害者支援やカウンセリング体制の強化、違反コンテンツの迅速な削除、アルゴリズムが過激なコンテンツを増幅しないようにする設計などが議論されています。

同時に、制裁が快感になりうるという研究知見は、「処罰権限をもつ個人・集団が、自らの感情を正義と混同しやすい」というリスクも示唆します。法的な制裁と私的制裁を分け、後者がエスカレートしないような手続き的な保障を整えることが、デジタル時代の課題として残されています。

まとめ:何が事実として残るか

これまでの研究と統計を踏まえると、いくつかのポイントは比較的安定した知見として残ります。第一に、羨望とシャーデンフロイデは、脳内で痛みと報酬のシステムと結びつき、社会的比較のなかで揺れ動く感情であることが示されています[1,2]。

第二に、多くの人が自分を平均以上と見積もる傾向や、文化ごとに異なる自己評価スタイルが存在し、その歪みが羨望や不公平感の土台になりうることです[5,6]。

第三に、オキシトシンは「絆」を強める半面、内集団へのひいきや外集団への冷たさを増幅する場合があり、「良いホルモン」としてのみ語るのは片手落ちであること、そして規範違反者を罰する行為が報酬系を活性化し、「制裁そのものが快感になりうる」ことが示されている点です[7–9]。

第四に、オンライン・パブリックシェイミングやサイバーいじめは、当事者の精神的健康に深刻な影響を与えうる一方で、必ずしも建設的な行動変容をもたらしていないとの指摘が多いこと、そして日本を含む各国で、子どものいじめやネット被害への対策が急務となっていることです[10–14,16]。

そのうえで、シャーデンフロイデや制裁の感情を「完全になくす」ことは現実的ではなく、むしろ「どのようなときに強まり、どの瞬間に正義の名を借りて暴走しやすいのか」を知り、個人・教育・制度のレベルで一呼吸置ける仕組みを整えることが、今後も検討が必要とされる課題だと考えられます。

本記事の事実主張は、本文の[番号]と文末の「出典一覧」を対応させて検証可能としています。

出典一覧

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  2. Dvash, J. & Shamay-Tsoory, S.(2010)‘The envious brain: The neural basis of social comparison’ Human Brain Mapping 公式ページ
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  4. Wang, S. et al.(2019)‘Schadenfreude deconstructed and reconstructed: A tripartite motivational model’ New Ideas in Psychology 公式ページ
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